物語は、1980年代のイギリスの田舎町にひとりで暮らす悦子のもとを、ロンドンにいる次女のニキが久しぶりに訪ねてくるところから始まる。悦子はニキとの対話を通じて、長崎に住んでいた頃に起こったある夏の出来事を回想する。
それは、第二次世界大戦終結後の1950年代、戦争によるトラウマを抱えながら、社会が復興から発展に向けて急激に変わろうとしていた過渡期だった。当時、団地で夫と穏やかに暮らしていた悦子がたまたま知り合ったのが、二階堂さん演じる佐知子という女性と、その幼い娘の万里子だった。
佐知子はその夏、悦子が住む団地のそばの川岸に建つあばら家に越してきた。東京の言葉を話し、娘をひとりで育て、米兵の恋人を持つ。育ちの良さを感じさせる一方、どこか謎めいた雰囲気も漂う佐知子は、恋人が近々自分たち親子をアメリカに連れていってくれると信じてやまない。悦子は、そんな佐知子の奔放な生き方に戸惑いながらも、次第に共感してゆく。
娘を身ごもり、順風満帆な生活を送る悦子と、不安を隠しながら異国の新天地に未来を託す佐知子。作中ではふたりの対比が、緊張感のある会話劇を通じて巧みに表現されている。二階堂さんは、自身の役柄をこう振り返る。
「佐知子さんは、あの時代にはとても先進的な考えを持った女性ですが、同時に不安と希望が交錯する、はざまにいるキャラクターでもあると思います。作中に出てくる『川の向こう』という台詞が象徴的なのですが、佐知子さんが住んでいるのは川岸の不安定な場所です。悦子さんから見ると、佐知子さんは向こう側の人でもなければ、こちら側の人でもない。境界を越えるか越えないかというギリギリのところにいるような、曖昧さを感じさせる役だと思います」
長崎時代のふたりの会話は、30年前の記憶をたどる悦子の壮大なモノローグでもある。二階堂さんは演技の際、キャラクターを俯瞰的に捉えることを心がけていたという。「悦子さんあっての佐知子さんだということを前提に考えていましたし、実際に演じているときは、悦子さんの持つ強さや、未来を生きる姿を強く意識していました」
戦争から復興へ、価値観が変わっていく時代のはざまに立たされた人びとは、どんな思いで生きてきたのか。二階堂さんは当時の時代背景も含めてリサーチを重ね、役作りに真摯に取り組んだ。
「この作品は、戦争や原爆の惨状を直接的に描いてはいませんが、それでも実際に経験された方々や、終戦後にその傷を背負って生きてきた方々がいらっしゃるということを伝えています。私自身が佐知子さんというキャラクターをどう演じるかももちろん大切ですが、今回の役では、戦争の影響を受けた方々の当事者性に重きを置いて演じていました」
戦争の傷痕のみならず、記憶の不確かさや女性の自立など、さまざまな題材が盛り込まれているのも本作の魅力だ。
「映像にする際にどんなふうに演出されるんだろうと思っていました。完成した作品を初めて観たとき、戦後を生きる中でそれぞれの登場人物が抱えていることや、人の多面性がとても丁寧に描かれた作品だと感じました。そういった、ひと言では言い表せないところがこの作品の持ち味だなと思っています」
原爆の惨禍を生き抜き、暗い状況でも希望を見出そうと前を向いた人たちがいることを、この映画は私たちに思い出させてくれる。戦後80年の節目で本作が公開されることの意味を、どのように受け止めているのだろうか。静かな口調ながら力強い眼差しで、二階堂さんは答えた。
「長崎に原爆が投下された後も、そこに生きる方々の人生は続いていて、背負うものは非常に大きかっただろうと思います。そういった実体験を伝えてくださる方がどんどん減っていくなかで、カズオ・イシグロさんは『物語の中で紡ぐことに意味がある』とおっしゃいました。それには私も作り手として強く同意しますし、今後も絶対に続けていかなければならないことだと思っています。この作品に関わっている人は誰も戦争を体験していませんが、私たち役者は、演じることで戦争を身近に感じることができたり、自分の中に落とし込むことができたりします。経験していないからわからないと諦めるのではなく、作り手として、後世に語り継ぐ責任を担っていかなければならないと思っています」
新しい視点で、戦争をもう一度見つめ直す/石川慶監督
カズオ・イシグロ作品のファンだった石川さんのもとに、『遠い山なみの光』の映画化の話が舞い込んできたのが約5年前。「できるものならぜひやりたい」と二つ返事で引き受けたが、当時はまだイシグロさんとのつながりはおろか、制作会社も決まっていない、ほとんど何もない状態からのスタートだったという。
「この原作は、これまでにも何度か映画化の話があったのですが、何らかの理由で頓挫していました。なので、よく実現できたなというのが正直な実感としてあります」と石川さん。エグゼクティブプロデューサーとして本作に名を連ねているカズオ・イシグロさんからは、「これはあなたの映画なのだから、自分の解釈に自信を持って進みなさい」と背中を押されたという。
「後に聞いた話によると、イシグロさんは、この原作が日本の若いフィルムメーカーに撮られるべきだという思いを強く持っていらっしゃったそうです。カンヌ国際映画祭で作品が上映されたとき、イシグロさんが隣に座っていらっしゃったのですが、エンドロールが始まると力強く握手してくださいました。そのときに『すごく良かった』とおっしゃったことが、今も深く印象に残っています」
映画では、原作の持つ謎めいた空気感や不穏さが、美しい映像で再現されている。一方、原作の世界に敬意を表しながら、原作にはない新しい解釈や演出が加わっているのも見どころだ。例を挙げると、小説も映画も原爆の悲惨さをつまびらかに描き出してはいないものの、映画ではそれぞれのキャラクターが抱えている痛みを所々で可視化させ、観る人に戦争の理不尽さを伝えている。
「原作が書かれたのは約40年前で、反核運動が盛んに起きていた時代でした。当時の読者からすると、戦争や原爆については語らずとも伝わる部分があったと思うのですが、40年前と今とでは受け取る人たちの感覚も違うはずです。今の世代の人たちに届けるなら、ある程度は傷を可視化する必要があると思いました」と石川さん。
また、小説では主人公の悦子の一人称で語られているのに対して、映画では娘のニキを中心に物語が進んでいく。あえて視点をずらす映画独自の演出には、若い世代へ記憶を語り継ぐことへの切実な思いがにじむ。
「終戦から80年。時計の針は急速に進んでいて、戦争を直接経験された方からお話を聞く機会は今後ますます減っていきます。あと数年もすれば、戦争というのは誰かの記憶として語られるものではなくなってしまう。そんな時代にこれからなっていくと考えると、今まさに若い人たちにバトンをつないでいかなければなりません。だからこそ、この映画ではニキが物語のハブになるべきだと思いました。彼女が、原爆を経験した悦子の話から何を想像し、何を発見していくのか、注目して観ていただきたいです」
石川さんは、「この作品は戦争映画ではない」と言う。戦争の恐怖や悲惨さを生々しく伝える内容ではないという点においては、確かにそうかもしれない。だがその言葉は同時に、「戦争を知らない世代だからこそ、できる伝え方がある」ということも示している。
「第二次世界大戦は、映画の世界においても非常に大きなテーマですし、上の世代の方々が撮った名作がいくつもあります。なので、戦争経験者でない自分たちの世代が、あの時代のことを同等に語るのは難しいんじゃないかという思いがあるのは事実です。そういった意味でいうと今回の作品は、戦後の日本社会という大きな文脈で語っているわけではなく、もっと小さな家族の話を描いています。そこにイギリスからの視点が入ったり、ちょっとしたミステリーのような仕掛けを取り入れたりすることで、新しい視座であの時代を見つめ直すことができたんじゃないか。そんな手応えを感じています」
終戦間もない長崎で、原爆のトラウマを抱える人たちが未来に希望を持ち、人生を切り開こうとするプロセスを鮮明に描き出した本作。さまざまな葛藤を持ちながら、自分らしく生きようとする女性たちの姿は、今の時代を生きる私たちにもきっと響くものがある。石川さんはそう確信している。
「1950年代の長崎に生きる悦子と佐知子、1980年代のロンドンに暮らす悦子とニキ、共通の迷いを持ちながら、なんとかそれを乗り越えようとする彼らの姿は、時代も場所も超えて普遍的に響き合うものがあります。2025年の今という時代にこの作品を観てくださった方にも、何かしら彼女たちに共鳴するものを受け取っていただけるとうれしいです」
人には誰しも、忘れたい過去がある。思い出したくない忌まわしい記憶がある。そしてそれは、個人も国家も同じだ。忘れることでしか癒えない傷もあるのかもしれない。だが、たとえなかったことにしても、見て見ぬふりをしたとしても、戦争という傷痕が消えることはない。だから私たちは、カズオ・イシグロさんの書く物語のように、忘れることと記憶することの間で葛藤し、生きてゆくしかない。沈黙からは何も生まれないことを、私たちは知っている。だからこそ、語り継ぐことをやめてはいけない。今を生きる私たちは、次の世代に伝える義務がある。