1980年代のアメリカ美術を代表するアーティスト、キース・ヘリング。ポップで軽快な作風ながら、ときには辛辣に社会を描写し、平和と自由のメッセージを発信し続けた作家として知られている。1990年に31歳の若さで亡くなるまで、核兵器のない世界を切に願ったヘリング。そんな彼の遺志を引き継いで活動を続けているのが、山梨県小淵沢にある中村キース・ヘリング美術館 だ。戦後80年を迎え、これまで語られなかったヘリングと広島との関係が明らかになった今、改めて彼が伝えようとした平和への思いに迫る。
アートを通じて社会に問題提起を行う、中村キース・ヘリング美術館の取り組み
キース・ヘリングの作品に特化した世界で唯一の美術館として、山梨県八ヶ岳の麓に2007年に開館した、中村キース・ヘリング美術館。館長の中村和男さんが蒐集した約300点もの作品を収蔵・公開しているだけではなく、アートを通じて社会へ問題提起を行ったヘリングの思いを継承し、HIV・エイズの予防啓発や性的マイノリティの可視化、環境保護など、さまざまな社会問題に対するアクションや教育活動を行っている。
1982年に制作された《核放棄のためのポスター》©︎Keith Haring Foundation
1982年6月12日、米国史上最大規模といわれる反核デモがニューヨークで行われた際、ヘリングは《核放棄のためのポスター》を制作し、自費で2万枚を配布した。その後も平和のための創作活動を続け、核廃絶を希求した彼の意思を尊重し、中村キース・ヘリング美術館は反戦・反核を訴える取り組みに力を注いでいる。
ワークブック『キース・ヘリングと平和をえがこう』
毎年8月には、平和の尊さを伝えるイベントや展覧会を開催。2024年夏には、子どもたちが主体となって平和とは何かを探り、色鉛筆やペンなどで自由に描くことのできるワークブック『キース・ヘリングと平和をえがこう』を刊行した。このワークブックは、全国の学校や図書館に無料配布されたほか、広島・長崎原爆の日と終戦記念日に来館した15歳以下の子どもたちにも無料で配られた。
広島の悲劇が再び起こることを誰が望むだろうか?
1988年に広島で開かれたチャリティコンサート「HIROSHIMA '88」のメインビジュアルが描かれたポスター
HIROSHIMAの文字の下で踊る、鳥のような姿をした「広島コンサート・バーズ」のドローイング。世界的に核の脅威が高まっていた1988年、広島原爆養護ホーム建設のためのチャリティコンサート「HIROSHIMA ’88」の開催にあたり、ヘリングが手がけたメインビジュアルだ。その年の7月28日に、ヘリングは実際に広島を訪れていた。当時構想中だった平和のための壁画制作プロジェクトの候補地を視察するためだった。
原爆ドームを背景にしたヘリングのポートレイト ©︎Keith Haring Foundation
2日間の短い滞在の中で広島平和記念資料館へ足を運び、核の悲惨さを目の当たりにしたヘリングは、当時の衝撃を日記*にこう綴った。
「この資料館を体験しなければ、爆弾投下の規模を想像することすら不可能だ。お付きのフォトグラファーがいたことで感じた不快感すら、目に入ってくるもののショックで気づかないほどだった。資料館にはそのとき、家族や子どもたちがたくさんいた。もちろんヒロシマのことを読んだり写真を見たりしたことはあったが、これほどのものを感じたことはなかった。1945年に作られた爆弾がこれほどの破壊力を持っていること、そしてそれ以降の核兵器の発達レベルや増え続けている数は想像を絶するものだ。これが再び起こることを誰が望むだろうか? どこの誰に? 私にとっての恐怖は、軍備競争をまるでおもちゃで遊ぶかのように、議論したり話し合ったりしている人たちだ。あの人たちは、どこかヨーロッパの安全な交渉の場でなく、ここにくるべきなんだ。」
資料館の展示物の中でも、ヘリングが一番心を揺さぶられたのは、1984年に当時のアメリカ大統領のジミー・カーターが10代の娘と一緒に同館を訪問したときの写真だった。
「彼女の表情がすべてを物語っている。あれはたぶん、この危うい状況がどれほど現実世界に近いものかに気づいた、知的で繊細なアメリカのティーンエイジャーなら誰でも見せる典型的な表情だろう。父親の後ろに立ち、彼女の片方の目と頭の一部しか見えない1枚の写真。瞳に映るとてもリアルで切実な恐怖感は、私の涙を誘った。」
*日記の内容は、2024年6月に中村キース・ヘリング美術館で開催された展覧会「Keith Haring: Into 2025 誰がそれをのぞむのか」のために制作された映像より抜粋。
「Art is for Everybody(アートはみんなのために)」という信念のもと、ヘリングは人びとの生活に溶け込む場所に壁画を描きたいという思いを強く抱いていた。だが、平和への思いをかたちにするべく進行していた広島での壁画制作プロジェクトは、幻のまま終わってしまった。広島訪問からわずか1年半後、エイズによる合併症を発症し、ヘリングは31歳の若さでこの世を去った。
キース・ヘリングが亡くなる2週間前、自らの追悼式の祭壇として制作した《オルターピース:キリストの生涯》©Keith Haring Foundation
ヘリングの死後、友人のオノ・ヨーコは、彼が亡くなる2週間前に完成させたブロンズ彫刻の作品群《オルターピース:キリストの生涯》のうちの1点を、広島市現代美術館へ寄贈した。壁画は実現できなかったが、同作が彼の広島への思いを伝える唯一の作品となっている。
特別イベント「キース・ヘリングと平和をえがこう」
戦後80年の節目となった今年、中村キース・ヘリング美術館は、これまで明らかにされてこなかったヘリングと広島のつながりを伝える展覧会やイベントを実施してきた。ひろしまゲートパークの大屋根ひろばでは、特別イベント「キース・ヘリングと平和をえがこう」 が11月30日まで開催されている。ヘリングの広島訪問をたどり、彼が広島で何を感じ、何を願ったのかを紹介する展示や、1988年にヘリングが手がけた「広島コンサート・バーズ」に着想を得て、「つがいの鳥」を大きなキャンバスに描くワークショップ(18歳以下対象)が開かれる。また、本イベントのワークショップに参加した15歳以下の子どもたちには、ワークブック『キース・ヘリングと平和をえがこう』が無料配布される予定だ(各日予定部数配布次第終了)。
ワークブック『キース・ヘリングと平和をえがこう』
広島と長崎に原爆が投下されてから80年。この世界には1万2千以上もの核弾頭が存在し、現在も絶え間なく戦争が続いている。ヘリングが生涯を通じて追い求めた自由と平和のメッセージを、私たちの世代で途絶えさせるわけにはいかない。彼の切なる願いを、今再び胸に刻みたい。負の歴史を理解し、過ちを二度と繰り返さないために。そして、未来に希望をつなげていくために。