私たちは、この世界の何を知っているだろうか。見わたせば世界は暴力にあふれ、格差と分断は深刻化している。不条理が平気でまかり通ることもあれば、顔の見えない誰かに思わぬ攻撃を受けることもある。一方で、そっと手を差し伸べられたり、あたたかい言葉をかけてもらえたり、「世界はこんなにも美しいのか」と思う瞬間もある。
愛と暴力の狭間で揺らぎながら、私たちは生きている。ときにはそれを、映画から教わることもある。なぜなら映画とは、社会を映し出すものだから。
さまざまな分野で活躍する10人の映画愛好家が、今年も良質な社会派作品をレコメンドしてくれた。社会は簡単には変えられないかもしれない。だが、絶望するにはまだ早い。社会が変わらなくても、自分自身を変えることはできる。少なくとも、精一杯生きていれば、こんなにいい映画に出合える。
日本にいたいと望むことは“罪”なのか/『マイスモールランド』
埼玉県南部には約2,000人のクルド人が暮らしているといわれている。多くは住んでいた国の弾圧から逃れてやってきた人々だが、日本で難民申請が認められたクルド人は、これまでにひとりだけ。出入国管理および難民認定法(入管法)は厳しく改正され、クルド人に対するヘイトスピーチも深刻な問題となっている。
本作に登場するのは、クルド人の家族とともに埼玉県で育った17歳の少女、サーリャ。ごく普通の高校生活を送っていたが、ある日難民申請が不認定となり、日常が一変する。在留資格を失い、アルバイトや大学進学はおろか、友人と自由に会うことさえ許されなくなってしまう。
2017年に本作を企画した川和田恵真監督は、長期にわたる取材を経て書き上げた脚本を自ら映画化。現代の日本社会が抱える問題を見据えながら、ひとりの少女が自身のアイデンティティに葛藤し、成長していく姿を繊細に描いた。
おすすめしてくれた人:ライムスター宇多丸さん
たとえば、極めて弱い立場にある在日外国人の方々から、実際のところこの社会は、どのように見えているのか?……一方では、人道など知ったことかと言わんばかりの攻撃的な排外主義も目につくようになって久しい昨今、大文字の「社会問題」の向こう側に当たり前だけど無数に存在する、ひとりひとりの切実な人生に想像力を働かせるためにも、こうした作品の重要性、必要性は、いよいよ増しているように思います。シンプルに言い直せば、日本に暮らす者全員、まずは必修の一作!
ラッパー、ラジオパーソナリティライムスター宇多丸さん
1969年東京生まれ。89年、大学在学中にヒップホップグループ「ライムスター」を結成。93年にデビューし、日本のヒップホップの最初期より牽引し続け活躍中。2007年にはTBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』がスタート。ラジオパーソナリティとしてもブレイク、番組内の映画評コーナーが人気を得る。現在は『アフター6ジャンクション2』(TBSラジオ、月~木22:00~)が放送中。
資本主義社会の権力構造をあぶり出す/『逆転のトライアングル』
超富裕層向けの豪華客船が難破し、無人島に流れ着いた大富豪の乗客とクルーたちの姿を描いた風刺コメディ。食料も水もない極限状態に追い込まれる中、生き残りをかけたヒエラルキーの頂点に立ったのは、船の下層階でトイレの清掃を担当していた有色人種の女性、アビゲイルだった。
リューベン・オストルンド監督による鋭い人間観察眼で、ファッション業界やルッキズム、階級社会の不条理を痛烈に皮肉った本作。資本主義社会の権力構造が逆転したときに起こる人間模様を、ブラックユーモアたっぷりに描いた。2022年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。
おすすめしてくれた人:SPURエディター板垣佳奈子
はじまりはメンズモデルのカールがオーディションを受けるシーン。「バレンシアガ!」「H&M!」の掛け声にあわせてストイックな表情とフレンドリーな表情を切り替えるモデルたちのシーンがシュールで、「これは面白い映画に違いない」と確信しました。
今、ハリウッド映画では表象を取り繕うように多様なエスニシティをキャストすればそれでいいという風潮がありますが、いくら演出で多様性を謳ったところで、現実世界の不平等な構造は変わっていませんよ、と突き付けられているようです。ただしそんなアンフェアな構造が、船の難破によって映画のタイトル通り「逆転」する。生きるか死ぬかのシンプルな状況では、肌の色もお金も関係ありません。船にいたときは名もなき存在だったアビゲイルの生き生きとした姿に、「さて、あなたはどの立場に感情移入しますか?」と問われているようです。
2010年に集英社に入社後、SPUR編集部に配属。ファッション・ビューティの両分野で記事制作を続け、2022年にイギリスの大学院へ進学。ファッションの歴史を社会、経済、政治の観点から考察する研究を行う。帰国後はSPUR編集部でファッションと映画を担当。
心の底に、苦しみを抱えて生きている人がいる/『スープとイデオロギー』
日本の植民地支配後、朝鮮半島南部が米軍政下にあった1948年4月3日、朝鮮半島を分断する南朝鮮単独選挙に反発した済州島民の一部が武装蜂起した。その後、3万人もの島民が、軍や警察、右翼団体などに虐殺された。
韓国現代史最大のタブーといわれる「済州島4・3事件」。在日コリアン2世のヤン ヨンヒ監督は、壮絶な体験を打ち明けた高齢の母にカメラを向ける。親子の親密な対話を通じて、知られざる重い過去の記憶に迫った。
おすすめしてくれた人:サヘル・ローズさん(俳優・タレント)
「済州島4・3事件」のことをまったく知らず、興味本意で観た本作。冒頭、このまま観続けることができるのか?と不安になる瞬間があります。もし不安になっても、絶対に最後まで観てほしいです。視聴者は、ヨンヒさんと同じ眼差しで映画を観ていくのではないでしょうか? そしてヨンヒさんとともに理解できた瞬間が、この映画のクライマックス。その瞬間、何か……息詰まるものがあります。
この映画を通じた重要な気づきは、「なにごとにも、そこにいたる背景がある」ということに尽きます。母が我が子に伝えられなかった記憶。それは何十年も心に秘めたのではなく、「沈めてきた」が正しい。そんなふうに心の底にたくさんの思いを、秘密を、苦しみを抱えて生きている人が、世界中にいるということを考えさせられました。多くの方々に、歴史の当事者の声を聞いてほしい。魂を削った人の言葉は、とても深く重いものです。
1985年イラン生まれ。幼少期を孤児院で過ごし、8歳で養母とともに来日。高校生のときから芸能活動を始める。主演映画『冷たい床』でミラノ国際映画祭の最優秀主演女優賞を受賞。俳優として映画や舞台、テレビなどで活躍する傍ら、人道支援活動にも熱心に取り組んでいる。アメリカで人権活動家賞を受賞。2024年、著書『これから大人になるアナタに伝えたい10のこと』(童心社)を上梓。
おすすめしてくれた人:奈良禄輔さん(ジャーナリスト)
これは、ある土地に刻み込まれた歴史と記憶が、ひとりの人間の中で固着、変容していくさまを捉えたドキュメンタリーです。「済州島4・3事件」を体験したヨンヒ監督の母は、認知症になり、次第にすでに亡くなった家族との対話を始めます。その姿は過去に遡及し、とどまろうともがいているよう。でも、事件に関しては語らない、いや、語れない。それは認知症の症状とも解釈できますが、一方で記憶を忘却へと押し込もうとする懸命の作業にも見えます。分からない。おそらく、母本人にも分からない。夢であってほしいと願うような現実に対し、人は強くあろうとして弱くなるのでしょうか。
2024年のノーベル文学賞に決まった韓国の作家ハン・ガンさんの『別れを告げない』も併せて読みたい。今作と同じく、この事件の記憶にまつわる母と娘の愛の物語です。
1984年生まれ、大阪府出身。通信社記者として、事件・事故、災害、原発問題、芸能などを幅広く担当。2024年春から、故郷の大阪で勤務。最近は人形浄瑠璃文楽にはまりつつある。
過ちを繰り返さないために/『さらば、わが愛 覇王別姫』
中華民国の国民党政権下の1925年から、日本軍の侵略、文化大革命を経た70年代末までの中国の激動の歴史を背景に、ふたりの京劇役者の波乱に満ちた生きざまを描いた一大叙事詩。孤児から京劇の人気俳優にのぼりつめた女形の主人公・程蝶衣を、香港のトップ俳優だった故レスリー・チャンが演じた。1993年に公開され、カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた、中国映画の金字塔。世界中を魅了した傑作が、レスリー・チャン没後20年にあたる2023年に、4Kの鮮やかな映像でよみがえった。
おすすめしてくれた人:齊藤幸子さん(写真家)
京劇の女形のスター、蝶衣を演じるのは、クィア・アイコンである美しきレスリー・チャン。作中では日中戦争下で日本軍に占領された北京の様子が描かれ、蝶衣の人生にも日本軍が大きく影響します。日本人として、忘れてはいけない歴史です。戦後は国共内戦に突入。時勢とともに荒んでいく蝶衣はアヘン中毒に苦しみ、克服したかと思えば、文化大革命により批判闘争の名のもとに吊し上げられる。最後まで愛をつらぬいた蝶衣の姿に心を打たれつつも、他の登場人物の苦しさも理解ができてしまう。しんどいけれど、過去の過ちを繰り返さないために、歴史を継承する意味でも大いに価値のある名作です。
京劇がそうであるように、芸術には時代を超えて人の心を動かし、伝える力がある。この映画を観ると、まさにその力を感じます。私の人生の映画です。
SPURをはじめ、さまざまな媒体で活躍中。日本の移民問題をはじめ、「個人が社会的背景によってどのように条件づけられるか」をテーマに作品を制作し、国内外で発表している。2021年、日本国内で暮らすクルド人の現在を映し出した作品が、写真アワード「Portrait of Japan」でグランプリを受賞。
トランスジェンダーの悩みを身近に感じて/『ウィル&ハーパー』
コメディ俳優のウィル・フェレルが、2022年に61歳で性別移行を公表した親友のハーパー・スティールとともに、アメリカ横断のロードトリップに出るドキュメンタリー。ニューヨークからカリフォルニアにかけて旅するふたりは、道中でLGBTQに差別的な保守州にも立ち寄る。人のあたたかさに心打たれたり、冷たい現実を突きつけられたりしながら、30年来の友情を確かめ合い、絆を深めていく。トランスジェンダーの人が抱えるリアルな問題や、アメリカにおける性的マイノリティの実情を深く掘り下げた作品。
おすすめしてくれた人:長谷川町蔵さん(文筆家)
ウィル・フェレルの長年の仕事仲間で、一緒に『ユーロビジョン歌合戦 ~ファイア・サーガ物語~』の脚本も書いたライターが、トランス女性であることをカムアウト。ハーパーと名乗り始めた彼女を知るために、フェレルは彼女とアメリカ大陸横断の旅に出る……。複雑な問題を題材にしたドキュメンタリーにもかかわらず、フェレルにジェンダー問題に関してごく一般的な知識しかないのがポイント。これまで見せなかった女性らしい姿とともに、以前通りスポーツ観戦や安いビールで飲んだくれるのも「ハーパーらしさ」であることに、フェレルが感心したり驚いたりすることこそ、トランス女性の抱える悩みや痛みが身近に感じられます。J.K.ローリングに本作を観てほしい!
90年代末からライターとして活動。映画や音楽、文学など多岐にわたって執筆を続けている。主な著書に「インナー・シティ・ブルース」(トゥーヴァージン)、共著に「文化系のためのヒップホップ入門1〜3」(アルテスパブリッシング)、「ヤング・アダルトU.S.A.」(DU BOOKS)など。
郊外の街の小学校で起こったある出来事を軸に、少年たちの親密な関係性と、それに伴う葛藤や痛み、彼らを取り巻く大人たちの情感を描いた作品。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、無邪気な子どもたち。主張が食い違う登場人物それぞれの視点による3部構成で、物語は展開される。隠された真実が明らかになるにつれ、「怪物」に対する解釈が変わっていく。自らの感情に思い悩む子どもたちの心情を深く描写し、観る者に「怪物」は誰なのかを問いかける。第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞、クィア・パルム賞を受賞。
おすすめしてくれた人:西村宏堂さん(僧侶・アーティスト)
登場人物たちはそれぞれ、自分が正しいと思うことをやっているのに、視点の違いからすれ違いが生まれ、身近な相手が「怪物」のように見えてしまう。本作では、そんな人間関係の“しわの寄り方”が描かれています。たとえば、母親は息子が結婚して幸せになってほしいと願いますが、同性愛者の息子からすると、ありのままの自分が否定されているように感じてしまう。それぞれの愛が、怒りや悲しみに変換されて届いてしまうことがあると伝えています。
現代の私たちも、社会の分断やSNSでの誹謗中傷が絶えない中で、誰かのことを「怪物」だと思ってしまう瞬間があるのではないでしょうか。でも、相手の視点に立つとどう見えてくるのか。自分が同性愛者であることに気付きながらも隠そうとする主人公・湊のように、周りの人からは見えないことがあると思うのです。本作を通じて、私たちは他者の心を理解することの難しさについて深く考えさせられます。
東京都生まれ。ニューヨークのパーソンズ美術大学を卒業後、アメリカを拠点にメイクアップアーティストとして活動。2015年に浄土宗の僧侶となる。LGBTQ活動家としてニューヨーク国連人口基金本部、ハーバード大学などで講演。2021年にTIME誌「次世代リーダー」に選出された。著書「正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ」(サンマーク出版)は8カ国語で出版された。
封建的な思想が色濃く残るトルコの小さな村で、いっさいの外出を禁じられた5人姉妹の日々を描いた本作。決められた相手と結婚させられ、自由を奪われた少女たちがそれを取り戻すべく、奮闘する姿をみずみずしいタッチで綴った。トルコ出身の女性監督、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンさんの長編デビュー作。監督が少女時代に実際に体験した出来事が投影されている。第88回アカデミー賞外国語映画賞にノミネート。
おすすめしてくれた人:齊藤幸子さん(写真家)
遠い国の古い因習の話と言ってしまえばそれまでですが、普段からライフワークで同じ文化圏から来ている少女たちと触れ合っている私としては、5人の少女たちが知っている誰かの姿と被ってしまい、涙なしでは観られません。希望も持てるラストには感動しました。
監督自身の体験が映画にも描かれているように、家父長制文化の中で生きる女性や性的マイノリティが自分たちの物語を表現した作品が、ここ数年で増えたと思います。監督が2016年の時点で「トルコは保守的になっている」とインタビューで語っていますが、日本や世界の情勢を考えると、マイノリティをめぐる環境は進歩しているとは思えません。このように抑圧されている少女が近くにいることも忘れずに、「他者の文化だから」と割り切るのではなく、同じ女性としてできることはないかと考える日々です。
SPURをはじめ、さまざまな媒体で活躍中。日本の移民問題をはじめ、「個人が社会的背景によってどのように条件づけられるか」をテーマに作品を制作し、国内外で発表している。2021年、日本国内で暮らすクルド人の現在を映し出した作品が、写真アワード「Portrait of Japan」でグランプリを受賞。
超高齢社会で、人は何を選択し、どう生きるのか/『PLAN 75』
2025年には、国民の5人にひとりが75歳以上になるといわれる日本。超高齢社会を迎え、医療や介護、福祉などに深刻な影響を及ぼすことが予想されている。
本作の舞台は、満75歳から自らの生死を選択できる架空の制度「プラン75」が施行された近未来の日本。「プラン75」の導入によって、人々の生き方や考え方がどのように変化していくのか。制度に翻弄されながらも懸命に生きる人々を丁寧に描いた。今の日本が抱える問題に鋭く切り込み、どう生きるべきかを問いかける衝撃作。監督・脚本を務めたのは、今作が長編デビュー作となる早川千絵さん。2022年カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に正式出品され、カメラドール特別賞を受賞した。
おすすめしてくれた人:児玉美月さん(文筆家)
現在、超高齢社会である日本では、65歳以上の単身高齢女性の貧困率は4割にも上っていると言われています。本作は、日本が抱える高齢女性の貧困の問題をあぶり出していきます。主人公である角谷ミチは、勤め先の宿泊施設を退職させられ再就職先も決まらず、退去後の家探しでも高齢者には貸せないと立て続けに断られてしまうなど、生活がどんどん困窮していきます。映画はそうして、なぜミチが「PLAN75」に手を出さなくてはいけなくなったのかを明らかにしますが、そこにあるのは、もし「安楽死」が法制度化されたらどんな危険性があるのかということでもあります。本作ではSF的な世界観が仮構されていますが、自分たちが生きている社会と地続きの問題が数多く提示されています。
映画を中心にさまざまな媒体に文章を寄稿。共著に『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』(フィルムアート社)、『反=恋愛映画論——『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで』(ele-king books)、『「百合映画」完全ガイド』(星海社新書)など多数。映画祭審査員も務める。
児玉美月さんのホームページ
「美しさ」は、誰がために/『ブラインド・マッサージ』
視覚障害のある人たちが働く南京のマッサージ院を舞台に、マッサージ師たちの人間模様を描いたベストセラー小説を、ロウ・イエ監督が映画化。光のない世界で生きる彼らの恋や欲望、プライド、挫折など、さまざまな人物の交錯する思いを映し出した。マッサージ院というコミュニティの中で生きる人々を主役にしながら、誰もが共感できる人間関係を、リアルかつ親密に見つめた青春群像劇。登場人物の細やかな心理描写を通じて、私たちが当たり前のように「見える」と思い込んでいることを、本作は静かに問い直す。視覚障害者の視界を再現するかのような映像も必見。
おすすめしてくれた人:牧原依里さん(映画作家・一般社団法人 日本ろう芸術協会代表理事)
この映画では晴眼者の俳優とともに、実際に視覚障害がある人たちが役を演じています。「愛と美醜」がテーマのひとつ。音を通じて世界を認識する彼らが、どのようにこの世界を生きているのか、彼らの生身の姿を映し出す強烈な映像を通じて私の目に飛び込んできました。上映が終わった後、しばらく席を立てなかったことを記憶しています。
聴覚以外で世界を捉える私は、彼らとは異なる世界を生きています。彼らの世界には、視覚と触覚を通じてしか触れることができません。のちに観客の感想を読み、映画の冒頭でスタッフロールがすべて読み上げられていることを知りました。
「視覚障害者にとって“見えない映画”を作ること自体が皮肉であり、この作品は目の見える人間のために作られたのです」とインタビューで語るロウ・イエ監督の言葉が、私に深く考えさせるものとなっています。
映画作家・一般社団法人 日本ろう芸術協会代表理事牧原依里さん
1986年生まれ。映画作家として活動し、ろう者の「音楽」をテーマにしたアート・ドキュメンタリー映画『LISTEN リッスン』で雫境(DAKEI)と共同監督を務める。2022年には一般社団法人 日本ろう芸術協会を立ち上げ、聴者の世界とろう者の世界をつなげる活動に取り組んでいる。 西日暮里にある、視覚で世界を捉える人々のための文化施設「5005」の共同代表。
アメリカとの国境近くにあるメキシコの街、マタモロスの小学校で、2011年に起きた実話を描いた本作。麻薬や殺人など、犯罪と隣り合わせの環境で育つ子どもたちの学力は国内最低。しかし、新しく赴任してきたセルヒオ・フアレス・コレア先生によるユニークな授業で、クラス全体の成績が飛躍的に上昇する。未来を望むことさえしなかった子どもたちが、探究する喜びを知る奇跡の物語。
おすすめしてくれた人:サヘル・ローズさん(俳優・タレント)
この映画は、間違いなく観る人の心を奪います。日本の教育者にぜひ観てほしい。そして、日本の子どもたちや多くの方々にも。学校に行けることを「当たり前」と捉えず、その奇跡と意味を「噛み締めて」生きていてほしいのです。いつの間にか凝り固まっていた、私自身の価値観にも気づかされました。
コミカルな様相とシリアスな場面が見事なまでに融合するので飽きません。また、同じクラスであっても誰ひとり同じじゃない、生徒一人ひとりの人生とも出会えます。本作の最も重要な学びは、「人生というのは自分自身の“利益”を得て生きていくものではなく、どうお互いが抱えるリスクと向き合って“将来”を生きていくか」ということです。これこそ本当にみんなで通うべき「教室」なのではないでしょうか?
1985年イラン生まれ。幼少期を孤児院で過ごし、8歳で養母とともに来日。高校生のときから芸能活動を始める。主演映画『冷たい床』でミラノ国際映画祭の最優秀主演女優賞を受賞。俳優として映画や舞台、テレビなどで活躍する傍ら、人道支援活動にも熱心に取り組んでいる。アメリカで人権活動家賞を受賞。2024年、著書『これから大人になるアナタに伝えたい10のこと』(童心社)を上梓。
社会的格差を「食」の観点から浮き彫りに/『フード・インク ポスト・コロナ』
アメリカにおける食品業界の闇を暴いた大ヒット作『フード・インク』の続編。本作では、パンデミック後のアメリカのフード・システムの脆弱性が描かれている。M&Aによる巨大食品企業の寡占化と個人農家の衰退がもたらす貧富の差の拡大、「超加工食品」による健康被害の増加、巨大企業による移民労働者の搾取など、さまざまな問題が浮き彫りに。一方で、解決策を求めて奮闘する農家や活動家、政治家たちの前向きな姿も映し出される。今学ぶべき食の知識や情報が満載のフード・ドキュメンタリー。
おすすめしてくれた人:長谷川町蔵さん(文筆家)
2020年の新型コロナのパンデミック後、巨大食品企業の市場独占がさらに進んで、前作『フード・インク』が公開された2009年よりも状況がさらに悪化している状況を描きながら、ポジティブな感触が残るのが印象的。理由は、逆境の中で持続可能な社会を作ろうとしている農家や科学者たちの姿に希望を感じるから。ただしアメリカでこうしたムーヴメントを熱心にバックアップしてきた農家出身の上院議員、ジョン・テスターは先の選挙で落選……無念。何ができるか分からないけど、せめて身の回りのレベルでやれることをしなければ、と思いました。
90年代末からライターとして活動。映画や音楽、文学など多岐にわたって執筆を続けている。主な著書に「インナー・シティ・ブルース」(トゥーヴァージン)、共著に「文化系のためのヒップホップ入門1〜3」(アルテスパブリッシング)、「ヤング・アダルトU.S.A.」(DU BOOKS)など。
全米で過去20年間に50万人以上が死亡し、大きな社会問題となっている、医療用麻薬オピオイドの過剰摂取問題(オピオイド危機)。自身もオピオイド中毒を経験した写真家のナン・ゴールディンさんは、製薬大手のパーデュー・ファーマ社を所有する富豪のサックラー家に対して抗議活動を始める。本作は、そんな彼女の闘争の軌跡を記録したドキュメンタリーだ。なぜ巨大な資本を相手に声を上げ、戦うことを決意したのか。作中では、彼女がこれまで歩んできた道のりや、過去の悲劇が明かされる。第79回ヴェネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞に輝いたほか、第95回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた。
おすすめしてくれた人:小川知子さん(ライター)
いかにして写真家、ナン・ゴールディンの社会的スティグマをテーマにした作品が生まれ、それが政治的な声となり、根深い社会問題やシステムを動かしていったのかを目の当たりにし、彼女の止まることのない歩みに突き動かされました。
ナンはオピオイド危機に立ち向かうべく、活動団体「P.A.I.N.」を設立。世界各国の美術館に、危険な薬を安全と偽って販売した富豪サックラー家からの寄付を受け入れないと表明させるまでに至ります。
そんな勇敢な彼女が、生活のためにセックスワーカーをしていた過去を、本作で初めて公言したと語っていたことが深く響きました。マイノリティに向けられた差別や偏見の批判を受けるべき対象は、間違いなく弱者を搾取する巨大資本なのに、自分の恥として口を閉ざしてしまう個人がどれだけ多いか、痛いほど伝わったからです。個人的なところから生まれたアートと活動は一体であり、そこから世界が変わるのだということを、彼女は今も示し続けてくれています。
1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。映画会社、出版社勤務を経て独立。SPURを含む雑誌を中心に、インタビューや映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳などを行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。