『思春期カムズアゲイン。』ジェーン・スー【更年期を考える/フェムテック調査団】#更年期革命


更年期。クリニックでチェックアップをしたことはないけれど、現在48歳の私はたぶん、真っ只中にいる。正確には、閉経の5年前から5年後までを指すらしい。自分の生理がいつ終わるかなんて知ったこっちゃないが、閉経の平均年齢は50歳と言われているから、中らずと雖も遠からずなはずだ。ここにきて、隅田川花火大会のラスト15分のように発射量がド派手になった私の生理。個人差があるからなんとも言えないけれど、スーッと幕を引くようには終わらせてもらえないらしい。

更年期は、一般的に40代以降にホルモンバランスの乱れが引き起こされる時期を指す。見舞われる症状は、めまい、動悸、ホットフラッシュ、手足の冷え、情緒不安定、不眠、などなど。深刻な病気とまではいかないが、日常生活をつつがなくスッキリと過ごすことができなくなることばかりだ。忌々しいわね。

私は昔から汗っかきだし、眠りが浅い。動悸や手足の極端な冷えは、いまのところ感じない。この汗は更年期のそれなのか? 眠りが浅いのはそうなのか? どれもはっきりとはわからないまま、しかし5年前よりは明らかにダルみの強い毎日を過ごしている。すでに経験した友だちに聞くと、「それが来たときには、これだったのねってハッキリわかるわよ」なんて言う。エクスタシーみたいな言い方をしないでほしい。

気が滅入るのは、「更年期」と言えば自動的に「障害」がくっついてくることだ。なんというか、暗黒期であることが字面で示唆され過ぎている。しかし、思い返してみれば思春期にだって数多の障害があったはず。訳もなく悲しくなったり、イライラして親に当たったり、友だち関係でメソメソしたり、生理がキツくてぶっ倒れたり、自分のことが大嫌いになったり。あれだって、一種のホルモンバランスの乱れが引き起こす症状だったと思う。あれはまごうことなき暗黒期だった。

新卒で働き始めてからおよそ四半世紀、とにかく仕事を頑張らなくちゃと、私はメンタルを鍛えに鍛えぬいて生きてきた。なにがあっても、私なら乗り越えられると自分のお尻を叩き、無駄と思われる感情を切り捨ててやってきた。結果的にたいていのことには動じずにいられるようになったけれど、精神の「ゆらぎ」のようなものは、すっかり失ってしまった。小学校2年生の通信簿に「体が大きいのによく泣きます」と書かれていた私は、どこかへ行ってしまった。心が軍人になってしまったのだ。

それが、どうしたことだろう。ここ1~2年の私は、訳もなく落ち込んだり涙を流したりする。空が青く澄んでいるだけで、ちょっと悲しくなったりもする。どうでもいいことを気にして、一日中メソメソしたりさえする。もしかして、これが更年期における不定愁訴なの? まるで、思春期みたい!!!

更年期を明るく過ごそうとか、年齢を重ねてもますます輝くとか、そういうポジティブバイブスがかなり苦手な私ではあるものの、思春期ネガティブを取り戻したことは逆説的に大変よろこばしい。私にもまだ「ゆらぎ」を許容する隙があったってことだもの。

これからなにが起こるのか、自分がどうなるのか、まったくわからなかったお先真っ暗のリアル思春期を過ごしていた私と異なり、大人の似非思春期こと更年期を嗜む私は、これが「いつか終わる」ことを知っている。人格や人間性の問題ではなく、ホルモンのせいだということも知っている。

2時間ほど寝そべったままのソファから「はやく立ち上がらなくては」と思うと苦しいが、「立ち上がれないほど苦しい私」を俯瞰でニヤニヤ眺めるのは楽しいのだ。どっちにしろ体調不良で立ち上がれないのだから、メチャ悲しい曲を流したりして浸りきったほうが、エンタメとして味わい深い。これは大発見だった。なんにでも理屈がないと気が済まなかった私が、さしたる理由もなく物憂げな表情でぼんやりするなんて。

切り捨ててきた感情が、耳かきひと匙にも満たないであろうホルモン量の変化で一気に戻ってきた。頑張って鍛えてきた精神なんて、身体次第でどうにでも転ぶ。あまりにもあっけなかったけれど、私はこれを寿ぎたい。人間味を取り戻した自分を祝福したい。終わりがあるのなら、それまで存分にゆらぎを楽しんでいくつもりだ。

PROFILE

ジェーン・スー●コラムニスト
東京生まれの日本人。雑誌やWEBメディアなどでコラムニストとして活動すると同時に、TBSラジオ「生活は躍る」にてパーソナリティを務める。最新刊は『ひとまず上出来』/文藝春秋、『きれいになりたい気がしてきた』/光文社など著書多数。@janesu112

illustration: Yu Fukagawa