2024.07.23

女性美術館長は、どんなアートの未来を描くのか?

長らくトップに立つ女性の少なさを指摘されてきた美術館業界だが、近年では女性館長が増えつつある。最近就任した中から4名に、経験の活かし方、そして目指す美術館像を聞いた

長らくトップに立つ女性の少なさを指摘されてきた美術館業界だが、近年では女性館長が増えつつある。最近就任した中から4名に、経験の活かし方、そして目指す美術館像を聞いた

社会の多様な役割を担う美術館を目指して【Arts Initiative Tokyoディレクター 塩見有子さん ✕ 弘前れんが倉庫美術館の館長 木村絵理子さん】

4月1日に弘前れんが倉庫美術館の館長に就任した木村絵理子さんと、国内外のアートシーンに精通する塩見有子さん。長らく女性トップの組織で働いてきた木村さんの経験を踏まえつつ、これからの時代に求められる美術館のあり方を考える

Arts Initiative Tokyoディレクター 塩見有子さん ✕ 弘前れんが倉庫美術館の館長 木村絵理子さん
塩見有子プロフィール画像
塩見有子

しおみ ゆうこ●英国のサザビーズインスティテュートオブアーツにて現代美術ディプロマコース修了。2002年、仲間と、NPO法人  Arts Initiative Tokyo[AIT/エイト]を開設、代表に就任。レジデンス・プログラム、企業による芸術支援プログラムなどを推進。

木村絵理子プロフィール画像
木村絵理子

きむら えりこ●2000年、早稲田大学大学院文学研究科芸術学美術史専攻修了後、横浜美術館で学芸員を務める。’05年より『横浜トリエンナーレ』のキュレトリアル・チームに携わる。
’23年、弘前れんが倉庫美術館で副館長兼学芸統括、
’24年、館長就任。

座右の銘は?
"It’s Different When You Are in Love"
「英国の作家トレイシー・エミンの作品に登場した詩的なフレーズ。好きになれば世界は違って見えてくるという意」

女性館長のもとで経験を積んだ横浜美術館での学芸員時代

塩見(以下S) 木村さんは弘前に移るまでの23年間、横浜美術館で学芸員を務め、多様性や身体性をテーマとした展覧会を開催していましたね。

木村(以下K) 子どもの頃、アメリカに住んでいたことがきっかけで、文化交流から生まれる新しい価値観に、関心を抱いてきました。多民族国家だからこそ、個人の政治的・民族的なルーツや、アイデンティティのあり方を意識する機会も多かった。そうした価値観は、自身が企画した展覧会にも反映されています。2016年の『BODY /PLAY/POLITICS』では、グローバルサウスという言葉が出始めていた頃で、ジェンダーバランスも意識してアーティストを選びました。

 私も幼少期をアメリカで過ごし、日米の学校生活の中で感じる違和感が、現代美術への関心につながりました。

 同じ時代を生きているアーティストの表現に触れ、会話もできる。そこが現代美術の面白さですよね。

 まさに、目の前のアーティストと現在進行形の関係をつくれるのも魅力です。横浜美術館は、横浜市を拠点とした国際展『横浜トリエンナーレ』(以下、ヨコトリ)のキュレーションも行なっていますよね。

 はい。ヨコトリではのべ200人を超えるアーティストと仕事を共にし、歴代ディレクターから大いに学びました。自分ひとりではできないことをどのように周りの人たちと一緒につくっていくか。対話を繰り返し、周囲を巻き込んでいくリーダーもいれば、プロットを立て役割を振り分けるリーダーもいる。2020年にはインドのアーティスト集団「ラクス・メディア・コレクティヴ」をアーティスティック・ディレクターに迎えました。会議は、早口の英語で進行され、最初は口を挟めませんでしたが、私が意見を言うと必ず耳を傾けてくれ、フレキシブルな議論を体験できました。

 ヨコトリは東日本大震災やコロナ禍の2020年にも実施されましたね。人々の心が激しく揺さぶられているときだからこそ、続けるんだという強い意志を感じました。

 震災のあった2011年は、当時の林文子市長と逢坂恵理子館長、パリからアーティスティック・ディレクターに迎えた三木あき子さんとで決断し、誰も止めることはなかった。2020年には、その逢坂さんから、東京国立近代美術館の研究員だった蔵屋美香さんに館長職が引き継がれていました。いずれも女性トップの決断を周りも自然に受け止めていました。

 海外で女性館長は当たり前ですが、逢坂さんは2009年に横浜美術館の館長に就任した、日本の先駆者です。

 はい、まさしく。私たちの世代にはロールモデルがいないと言われてきましたが、女性館長が二代続くような雰囲気の中で働けた経験が、今、糧になっています。女性だから苦労したということも特になかったですね。

弘前から世界へとつながる窓口になる美術館を

 フェアな職場を経験された木村さんが、また別の土地で館長になるのは素晴らしいことですね。どんな経緯で弘前に移られたのですか?

 横浜美術館で行なった弘前市出身の奈良美智さんの展覧会が、弘前れんが倉庫美術館の前身である吉井酒造の煉瓦倉庫を会場として巡回したんです。以後も2回、地元のNPOやボランティアの手で奈良さんの展覧会が行われました。その後、弘前市が同倉庫を所有して2020年には美術館として開館。民間企業が運営しているのですが、公立美術館としての体制づくりやコレクション形成に際して私の経験を活かせるのではないかと思いました。

 トップダウンではなく、市民主導で美術館が誕生した。アートを愛する土壌とコミュニティが着実に育まれてきた街ですね。

  はい。伝統を大事にしつつ新しい物事にも関心がある、柔軟な街。弘前だから依頼をお受けしました。

 弘前といえば、桜の名所でもあります。開催中の蜷川実花さんの企画展も、蜷川さんが弘前の桜を撮り続けていたことがきっかけだったとか?

 同世代の蜷川さんと一緒に仕事ができてよかったです。展覧会に合わせて開催されたトークショーでは、90年代に若い女性写真家に注目した「女の子写真」ブームについても触れました。女性3人が同時に木村伊兵衛写真賞を受賞し、作風の異なる3人がひとくくりにされたことに違和感があったことを語っていただき、共感しました。

 早速館長としての職務に大忙しですね。ちなみに就任以来、どのようにチームを統率していますか?

 規模が小さいので基本的にすべての仕事をワンチームで動かしています。スタッフが若く、フットワークが軽いので、私がというよりも、みんながさまざまな仕事を楽しくできるように後押ししていきたいです。

 今後どんな美術館を目指しますか?

 弘前市民にとっては世界とのつながりが感じられるように。他の地域や海外の方たちには、弘前および青森の歴史や土地が地続きに感じられる美術館にしたい。それが自分たちの誇りにつながればうれしいです。開館以来、多様な専門家の方とアーティストが弘前の何かを入り口として作品を制作するリサーチプロジェクト『弘前エクスチェンジ』シリーズもその一例です。

『蜷川実花展 with EiM:儚くも煌めく境界』

1・2 『蜷川実花展 with EiM:儚くも煌めく境界』に関連し、4月に開催した写真家・映画監督の蜷川実花さんと木村絵理子館長のオープニングトーク。弘前の桜をはじめ、日本各地の花々を撮影した写真を、元倉庫の巨大空間にインスタレーション。データサイエンティストの宮田裕章やセットデザイナーのENZOらと結成したクリエイティブチーム「EiM」とともに作りあげた。展覧会は9月1日まで。

変容する美術館の役割。〝知〟を共有し合う場として

 私が交流のある海外の女性館長は、社会包摂や多様性、サステイナビリティ、エデュケーション(教育)プログラムに関心がある方が多い。社会課題に、イノベーティブなやりかたで変革をもたらしています。たとえばスウェーデンのマリア・リンドさんは、テンスタ・コンストハルの館長時代、地域の移民に焦点を当てたプログラムを実施。彼らを受け入れ、どんな歴史やルーツを持っているかを調査し、自分たちのコミュニティの特性を物語として展示したんです。木村さんは、美術館単位で環境負荷について考えていることはありますか?

 日本の美術館は展覧会予算が少ないがために展示壁の使い回しなどの工夫をしていて、自ずと海外の美術館に比べてゴミが少ないんです。変革の方法を日本から提案してもいいですね。

 そうなのですね。また、美術館は心のケアにもなると思います。作品を通じて自分とは異なる考えに触れる習慣もでき、モヤモヤを逆手に取ると、新しいアイデアが生まれることも。

 困難が降りかかったときに別の考え方や生き方を探す疑似体験にもなります。作品を身近に感じてもらうためにも、テキストやトーク、ワークショップなどいろいろな形で作品の背景や文脈を伝える仕掛けを用意し、人が集まる無料スペースにも作品を展示したりしています。

 人々の居場所になるといいですよね。自分の意見を主体的に表現する学び場にもなると思います。

 みんな違ってみんないいなんですが、それだけでは争いや分断も招きかねない。他者とどう共通のルールや倫理観をつくるか、作品やラーニングプログラムなどを通じて考えていくことも、美術館が取り組むべき方向性のひとつかもしれません。

 美術館の役割が多様になる中、今後も女性館長による美術館の変革に注目していきたいです。

 

Information

弘前れんが倉庫美術館
©Naoya Hatakeyama

【弘前れんが倉庫美術館】
青森県弘前市吉野町2の1
https://www.hirosaki-moca.jp/
シードル工場として使われた煉瓦造の建物を改修し、2020年に開館。9月1日まで『弘前エクスチェンジ#06 白神覗見考』開催。関連イベントとして8月30日〜9月1日、栗林隆《元気炉》×L PACK.《いっしょくたにへば たげめぐなるはんで》。

美術館と関わる人に幸福をもたらしたい【長野県立美術館の館長 笠原美智子さん】

長野県立美術館の館長 笠原美智子さん

座右の銘は?
"Girls Just Want To Have Fun"
「好きなシンディ・ローパーの曲名から。アメリカ留学時代から励みにしている言葉です」

笠原美智子プロフィール画像
笠原美智子

かさはら みちこ●1987年シカゴ・コロンビア大学大学院修士課程修了(写真専攻)。’89年から東京都写真美術館で学芸員を務め、2002年〜’06年、東京都現代美術館に移籍。’18年、石橋財団アーティゾン美術館 副館長(旧ブリヂストン美術館)。’24年、長野県立美術館館長。

ジェンダー展が残した心地よい働き方の萌芽

今年4月、故郷にある長野県立美術館の館長に就任した笠原美智子さん。笠原さんは東京都写真美術館の開設準備室から約30年学芸員を務め、日本の美術館で初めてジェンダーの視点から企画展を行なった人でもある。日本でも写真が新しい芸術表現として評価され始めた1991年、『私という未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト』という展覧会だった。以降も、男性目線の女性美やエロスから身体やセクシュアリティを解放する『ラヴズ・ボディ ヌード写真の近現代』展など、フェミニズムやジェンダーをテーマに掲げた展覧会を続けた。2010年に同展を引き継ぐ『ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現』ではカップル半額割引というサービスを設定。「男性同士のカップルが『まさか東京都の美術館がカップルと認めてくれるなんてうれしい』と言ってくれたこともありました。入館者数は大事な指標ですが、目の前の二人に届けばいいじゃないかというのが作り手としての本音でしたね」

また、国際舞台でも2005年には『第51回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展』で日本館コミッショナーとして『石内都 マザーズ2000-2005 未来の刻印』を実施。「やりたい展覧会をすべてやり切ることができ、世界でも珍しいくらい幸運でした」と振り返る。

2015年にはブリヂストン美術館のリニューアルに関わり、2018年アーティゾン美術館の副館長に就任。この頃から笠原さんは美術館のマネジメントに徹する。「組織としても個人としても、すべての人が能力を十分に発揮できるように環境を整えていくことがマネジメントだと思います。私が前に出るのではなく、新しい美術館が順調に回っていくための潤滑油のような役割をしようと考えていました」

4月から館長を務める長野県立美術館では、コレクションを継続的に蓄積できるようにし、観客への鑑賞プログラムも充実させている。そこでは県内のネットワークも活かすことができる。

「みんなが幸せに働いてこそ、お客様に幸せになって帰っていただけると思います。そのためには館全体がどう動いていて、学芸員だけでなく受付や事務など職員の誰もが自分の仕事の意味や位置づけを考えて動けるよう、情報を常に共有し、意見も言いやすい風通しのよい職場にしていきたい」と語る。学芸員の仕事は国内外の専門家との充実したネットワークによることが多い。よりよい仕事ができる仕組みづくりを少しずつ進めている。

昨今の女性館長の増加傾向について尋ねると「学芸員の数は女性が圧倒的に多いのに、今まで館長が男性ばかりだったというほうが不自然だったと思います。今後、半数以上に達してほしい」と答えた。「学芸員に女性が多くても、正社員が少なく、非常勤や1〜5年などの任期つき職員の割合が多いのが実情ではないでしょうか。近年は、学芸課長など管理職に就く女性が増え、ようやく館長になる人が増えてきたのだと思います。ちなみに前職のアーティゾン美術館では、アルバイトもあるんですが、基本的に全員正社員。産休育休制度が整っていて、今の仕事を復帰後も続けられるから安心して出産できるんですね」

こうした美術界での意識の変化は、ジェンダー問題を扱う展覧会を行う学芸員が増え、女性の学者や研究者などが声を上げ続けてきた流れにもよる。

「昨今の#MeToo運動などを見ると、美術界で私たちがやってきたことも、多少今の土壌づくりを担ってきたのかなと思います」。学芸員としては「石内都さん、志賀理江子さんなど、自分自身の思いや関心、思想を作品として体現している現代の作家と出会い、一緒に年を重ねてきたことが一番うれしい」と語る。鑑賞者の私たちも、それぞれの場所で少しずつ種をまこう。

長野県立美術館の館長 笠原美智子さん

今年6月いっぱいまで開催されていた、『生誕150年 池上秀畝 高精細画人』のオープニングイベントに登壇し、挨拶をする笠原館長。花鳥画を得意とした郷土出身の日本画家、池上秀畝の画業を、練馬区立美術館などとの共同研究で紹介した展覧会だった。

 

Information

長野県立美術館

【長野県立美術館】
長野県長野市箱清水1の4の4(善光寺東隣 城山公園内)
https://nagano.art.museum 
2021年、信州の自然と調和した景観をつくりだす「ランドスケープ・ミュージアム」としてリニューアル。郷土作家をはじめ豊かな近現代美術コレクション。9月16日まで『ダリ版画展ー奇想のイメージ』を開催。

敷居を低くし、社会と隣接した美術館へ【ポーラ美術館の館長 野口弘子さん】

ポーラ美術館の館長 野口弘子さん

座右の銘は?
"現状維持は負け"
「世界が変化する中、自身も進化することが大事。組織にも自分にも言い聞かせてきた言葉です」

野口弘子プロフィール画像
野口弘子

のぐち ひろこ●ホテル業界でコンサルティングやマーケティングに従事。2006年「ハイアット リージェンシー 箱根 リゾート&スパ」総支配人に、開業準備より11年間勤める。沖縄で総支配人としてホテル開業後、’20年からコンサルや総支配人育成塾「GM GYM」に携わり、’23年より現職。

ホテル総支配人から異例の転身。美術館に新しい視点を

「館長就任のオファーをいただいたときは驚き、そして葛藤しました。本当に私が引き受けていいのかと」と語るのは、2023年7月よりポーラ美術館館長を務める野口弘子さん。国際的ラグジュアリーホテルでは日本初となる女性総支配人として「ハイアット リージェンシー 箱根 リゾート&スパ」に立ち上げから携わるなど、ホテル業界で30年のキャリアを重ねてきた。箱根で勤務するなかで「自然豊かな暮らしが心地よくなった」と、東京の住まいを引き払い、箱根に居を定めた。そして、「ホテル業界や地域の発展に貢献していきたい」と2020年3月にハイアットを退職。ホテルや地域団体のコンサルティング活動やコーチングを行なっていた。そんな折にやってきたのが、ポーラ美術館館長就任のオファーだ。「ここは何度も訪れていたお気に入りの場所。けれども、私には美術館の勤務経験はまったくありませんでした。驚きつつもお話を伺うと、これから地域に根差した活動をし、さらにホスピタリティも強化していきたいという想いがありました。私のキャリアと箱根で考えていたこと、美術館の方向性とが合致したんですね」

異業種からの転身ゆえ、当初は発見の連続だったという。「美術館が17時で閉館し、お客様がお帰りになることが新鮮でした。ホテルでは24時間お客様のことを考え、神経が休まることがありません。代わりに収蔵品は24時間守り続けないといけませんが」

野口さんは着任早々さまざまな改革に乗り出した。箱根登山鉄道・強羅駅から美術館への無料送迎バスを走らせ、館内にはスーツケースを預けられるスペースも設置。旅行客に便利な環境を整備した。さらに、組織改革も進行中だ。「多くの人は美術館は敷居が高いと思っています。ポーラ美術館は、誰しもに『私は受け入れられている』と感じてもらう施設でありたい」。そこで野口さんは美術館のホスピタリティの向上に努める「運営部」という館長直属の部署を立ち上げ、美術館の受付や看視スタッフ、お客様と接するスタッフのポジションを「ゲストリレーション」と名前を改めた。さらに、入館したばかりの来場者と言葉を交わし、チケット売り場などに案内するロビーアテンダントというポジションを新設する。「美術館に来て一番驚いたのが、受付や看視スタッフが業務委託であったこと。ホテルの世界では、スタッフは施設の哲学やサービスの真髄を理解したうえでお客様と接遇しています。この仕組みを美術館でも取り入れることにしたのです」。野口さんのホスピタリティの精神はすぐに美術館内に浸透し、国内外、老若男女問わず支持を集め、さまざま人が気持ちよく訪れる美術館となっている。

今後に向けてもさまざまなプランが進行中だ。「当館は観光地にある美術館。なんとなくお越しになるお客様にも、来てよかった、と思ってもらえるような体験を用意したい。そのための、コンシェルジュ的な役割のスタッフをつくりたいです。限られた時間のなかで行動しているお客様のために、◯分滞在してもらえるなら、こんな鑑賞ルートはどうか、この作品とあの作品を中心に回遊してみては?など、スケジュールに合わせた提案ができるスタッフを育成したいですね」

さらに、美術館やホテルで働く後進の女性たちにも気を配る。「私がここで何かを残すことで、ホテル、美術館、両業界の皆さんに『このようなキャリアパスがあるんだ』と気づいていただけるきっかけになればと思います。美術館の世界は、建築家の妹島和世さんや青木淳さんのように、ほかにも異分野から美術館館長になる方が続いています。私のチャレンジが、多くの人たちの選択肢を増やす機会になってくれるとうれしいです」

箱根登山鉄道・強羅駅から美術館へのラッピングバス

1 箱根登山鉄道・強羅駅から美術館へのラッピングバスの導入。1日13往復の無料送迎にて運行を開始した
2 館の入り口にスタンバイし、来客の案内や接待を担当するロビーアテンダント

 

Information

ポーラ美術館

【ポーラ美術館】
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
https://www.polamuseum.or.jp/
印象派絵画や近代日本の洋画や日本画、現代アートまで多岐にわたるコレクションを収蔵。『フィリップ・パレーノ:この場所、あの空』を12月1日まで開催中。

モデルケースとなる組織づくりを目指す【三菱一号館美術館の館長 池田祐子さん】

女性美術館長は、どんなアートの未来を描くの画像_10

座右の銘は?
"特になし"
「当たり前のことですが、仕事は誠意を持って取り組む。その姿勢を誰かが見ているもの!」

池田祐子さんプロフィール画像
池田祐子さん

いけだ ゆうこ●大阪外国語大学でドイツ語専攻卒業。大阪大学大学院文学研究科芸術学専攻博士後期課程単位取得退学。京都国立近代美術館・国立西洋美術館主任研究員を経て、2019年4月から京都国立近代美術館学芸課長、’22年7月から副館長を兼任。今年4月より現職。

現代で近代美術を紹介することの大切さを伝える

「展覧会は絶対に一人ではつくれない」。今年4月、三菱一号館美術館の館長に就任した池田祐子さんが強調した印象的な言葉。「仕事をする上でみんなとコミュニケーションをとって連帯するのはすごく大事なこと。相手の状況を思いやって行動すれば、必ずよい形となって自分に返ってくるものです」。学芸員として30年にわたり活躍を続ける彼女がこれまでの経験を通じて強く感じてきたことである。

大学時代にはドイツ語を専攻し、ジャーナリズムに関心を抱いていたという池田さん。一方で、幼少期より美術に親しんでいたこともあり、一般教養科目で履修した美術学の授業がきっかけで、その面白さにのめり込むことになった。大学院でドイツの近代美術を研究するうち、あっという間に月日がたっていたという。「1990年代前半の当時、10年も大学・大学院にいた女性に一般の就職先はありませんでした。大学か美術館・博物館のほぼ二択で、機会をいただいた場所で働こうと思っていたんです」

キュレーターという職種もまだあまり知られておらず、現在のようにメジャーではなかった頃のことだ。京都国立近代美術館へ就職が決まったが、それまで館内の女性学芸員は一人のみ。長年、自らの仕事の傍ら男性学芸員のサポート業務を担ってきた方でもあったという。「彼女の退職時、周囲は当然のように私が仕事を引き継ぐことを期待しました。でもそれはおかしい。新たに担当を仕切り直すべき、と主張しました」。間違っていると思うことをきちんと伝えることは、彼女の信念でもある。

7年目からは、自身の企画による展覧会も手がけるようになった。その後、国立西洋美術館の主任研究員を経て、2019年には京都国立近代美術館の学芸課長、2022年には副館長に就任した。近年監修した『上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー』展では、20世紀にウィーンと京都で活躍したデザイナー、上野リチ・リックスを紹介。作家の創作を網羅する世界初の大規模な回顧展となり、大きな話題を呼んだ。

現代アートがブームとなっている昨今、池田さんは近代美術を今に紹介する意義をこう話す。「19世紀末から20世紀にかけて、芸術は王侯貴族だけのものではなく一般市民に浸透していきました。現在みられるアートマーケットを含めた社会と美術の関係性は、近代に始まっていると言えます。今、現代アートに注目が集まっていますが、参照される過去が研究されていなければ、現代の作品を評価も批評もすることはできません。また、近代には第一次/第二次世界大戦が起きましたが、このような惨事を繰り返さないためにも、過去を検証して紹介することは未来を考える際のヒントになるのです」

そして今年4月、池田さんは三菱一号館美術館館長に就任。同館の建物は1894年に丸の内初のオフィスビルとして建設され、老朽化のために解体。 2010年に可能な限り忠実に再現され、美術館として開館した。「まだ経験の浅い美術館でもあるため、組織体制は盤石とは言えません。ですから、根幹は大事に受け継ぎながらも、自由にチャレンジできる風通しのいい職場環境を整えていくことが大きなミッションです。効率化できるところは改善し、人材育成に力を入れ、今後に活かせるモデルとなるような組織づくりをしていきたいですね」

都心の立地にある美術館から発信できることをさらに追求し、より多くの人々が訪れるよう、新たな視点を持つ魅力ある展覧会やイベントを打ち出していく。今年11月の再開館に向け、池田さんは日々、国内外を飛び回る。

三菱一号館美術館

今年6月ミラノのパラッツォ・レアーレにて、世界巡回展『ルノワール×セザンヌ −モダンを拓いた2人の巨匠』を視察する池田さん。同展は2025年5月より三菱一号館美術館にて開催。「展覧会の準備には最低でも3年はかかります。5、6年後の話をしていることも多いです」(池田さん)。

三菱一号館美術館

【三菱一号館美術館】
東京都千代田区丸の内2の6の2
https://mimt.jp
三菱地所が運営する、主に19世紀末の西洋美術コレクションを持つ美術館。メンテナンス休館を経て2024年11月に再開館。「再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」は11月23日から1月26日まで開催予定。

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