奈良県北東部に位置する天空の里、大和高原。古くからお茶の栽培が続くこのエリアは、日本でも屈指の生産地だ。そんな自然豊かな山間部に、お茶にまつわる体験型施設「瑞徳舎(ずいとくしゃ)」はある。日本の暮らしの原点を感じられるこの場所で、内なる自然の声を聞く
茶畑で語る、スタイリスト4人がつなげていきたい未来
想像力をシェアすれば、きっと見えない景色が見えてくる
お茶を通して仲間と分かち合う。クリエイティビティに満ちた心の冒険
山の斜面を彩る、新緑の茶畑。広い空ではうぐいすの楽しげなさえずりが響く。ここ、「瑞徳舎」は煎茶美風流家元 中谷美風さんと、健一自然農園の伊川健一さんが、歴史ある山添村の茶農園を引き継ぎ運営する施設だ。伊川さんの指導のもと、自然栽培されたお茶を手で摘み、製茶。できたお茶を家元のお点前で味わう。そんな五感が喜ぶプログラムに4人のスタイリストが参加。さらに、感じたことを翌日のファッション撮影(SPUR8月号 p.94〜p.101)でそれぞれ表現するという企画が実現した。
体験では、経験したことのないお茶の味と香りに驚き、自然に育まれたもの、手塩にかけたものを口にする豊かさを感じたという。そして、4人が共通して語ったのは家元と伊川さんと過ごした時間が特別だったということ。
「押しつけるでもなく、知らないことを恥ずかしいとも思わせない。楽しむことをゴールに寄り添ってくれた」(吉田さん)。
「セラピーみたいな時間だった。そのままの自分に自信をもって、と言われるような」(飯島さん)。
喉の渇きだけでなく、心の渇きまでも潤してくれるお茶。一方、近年では茶畑の減少に加え、急須でお茶を飲む家も減りつつあると聞く。4人は「先人から引き継がれてきた日本の茶畑と茶文化は、絶対に未来につなげていきたい」と感じたという。ではどうしたら、未来へとつなげていけるのか。「経験した人が、次に伝えていくことが大事だと思う」という金子さんに「本当に! 奈良が歴史のあるお茶の名産地だともっと知ってほしい」と声を合わせる。「実際に自分の目で見て、感じ、体験する。それを発信することで、世界は広がっていくはず」(椎名さん)。
言葉通り、今回4人はファッションを通して守りたい日本の原風景がある世界を表現した。サステイナブルな素材に、花や緑の美しさを思い出させる色柄。各々の形で自然への敬愛を込めた。
吉田さんからはこんな提案も。
「自分の仕事場にティーセットを持っていき、大切な相手にお茶をふるまえたらと思いました。そんな、素敵な流れが生まれたら。世の中は、『時短』が流行りだけど、時間をかけることも大事。目先のものだけを追うと心の豊かさが消え、文化も死んでしまう気がするから」
実は、金子さんと飯島さんは師弟関係にあり、吉田さんもかつて、椎名さんのアシスタントをした経験をもつ。人と自然が共生する里山に身を置き、互いの創造性を循環させながら、合作でファッションストーリーを作り上げた。この体験が、自身が引き継いだ仕事との向き合い方やスタイリストとして表現するために大切なこと、バトンをつなげていきたいファッションの未来について、思いを馳せる機会ともなったようだ。それぞれが、こんな思いを語る。
「先輩たちと過ごしたこの数日は、数えきれないほど気づきがあった。人としての魅力があるからこそ続けていける仕事だと再認識できたのも、そのひとつ。そして、精一杯楽しめばいいんだよ、と背中を押されたようにも思う。次の世代にもリラックスして歳を重ねればいいと伝えたい」(吉田さん)。
「自分が学んだ、表現することの楽しさ、自分の中に楽しみを見つける喜びを、後輩にも伝えていきたい」(飯島さん)。
「アシスタント時代、師匠から言われた言葉を思い起こしました。『現場の素晴らしい人たちの仕事を見られるのは財産だから、よく見なさい』と。自分も人に見せられる仕事をしていかないと」(椎名さん)。
「スタイリストの仕事を続けてきたことは本当に宝物。この日本の原風景で体感したわくわくは、ものづくりの原点でもあると感じています」(金子さん)。
自然が循環する茶畑で、五感の扉を開けたとき、きっと未来につなげていきたい何かが見えてくる。ここ「瑞徳舎」は、過去と未来が出合う、希望の交差路なのかもしれない。
煎茶美風流四世家元 中谷美風さん × 健一自然農園代表 伊川健一さん。大地の記憶を宿す、お茶という宝石
過去から未来を見つめる、古くて新しい茶農園のカタチ
人と自然が循環する社会を創造する。煎茶道家元と自然茶師による楽園
「奈良では、子どもたちがおやつを大切にしまうお菓子箱を“ほうせき箱”と呼びます。私にとって『瑞徳舎』は、心の空腹を満たす宝石箱のような場所です」。そう語る煎茶美風流の家元、中谷美風さん。ここでは、ネット上では見つからない、自分だけのものさしを育むことができると話す。そんな“宝石箱”をともに運営するのは、弟子でもある伊川健一さんだ。伊川さんは15歳から自然農法の基礎を学び、19歳で就農。2001年より大和高原の耕作放棄茶園を引き継ぎ、無肥料、無農薬に徹した自然栽培のお茶づくりを行う。「大和高原の大地と水と太陽と風。ここには、圧倒的にお茶づくりにふさわしい環境があります」と二人は口を揃える。
「瑞徳舎」のある山添村は、古くからお茶の産地として栄えた集落だ。かつては紅茶の生産も盛んで、1958年にロンドンで開催された「全世界紅茶品評会」では、世界一に輝いたほど。その反面、向き合うべき課題もあるという。「大量生産ができない地形であること、そして他県より収穫が遅い地域なこと」だ。道幅が細く、急斜面の茶畑はお茶摘みに時間と労力を要する。また、春の訪れが早い九州エリアは収穫期も早く、新茶として高値で取引されるが、標高の高い大和高原のお茶の収穫時期は遅い。そのため採算がとれず、茶農園を引き継ぐ世代の減少や高齢化が進む。そんな中、伊川さんは長く耕作放棄されてきた茶園を引き継いだ。その理由は、大地に農薬や肥料が残留する可能性が低いからだ。「自然茶産業が増えれば、里山の再生につながる。人と自然が調和し循環する楽園のような原風景をみんなで育みたいのです」
この思いが「瑞徳舎」の運営へつながる。ここは、「20代の頃、茶農家の瑞徳ご夫妻から里山の暮らしと心を教わった場所」なのだ。そして〝深い精神性と結びつくお茶の世界〟をのぞかせてくれるのが家元の存在だ。「お茶には長い時間を経て織り込まれた思想、哲学、文化があります。“お茶を好む人”の意識は、味覚ではなく教養や自然観、文化によって育てられていくもの。人間とは何かをきちんと学ぶことが大切なのです」と家元は語る。
大和高原の“暮らし”の歴史は古く、縄文時代草創期にまでさかのぼるという。また、日本のお茶栽培の歴史は806年に空海が唐から茶の種子を持ち帰り、奈良の大地に植えさせたのが始まりと伝えられる。そんな大和茶をめぐる物語に耳を傾けていると、古代からの記憶が染み込む一滴のお茶が、よりおいしく感じられる。「大和高原の地に持続可能な里山循環地域のひな形をつくりたい」と目を輝かせる伊川さんと、知的好奇心を満たし、精神面におけるお茶の世界を教えてくれる家元。ここはまさに、心の中の輝きを見つけられるかけがえのない“宝石箱”なのだ。