義務教育の今を知り、日本の未来を考える。小学校から社会をみる

みんなで掃除、給食の配膳、靴を揃える、廊下は走らない……これらは「特別活動」といって、日本独特の教育だ。社会に出る前に過ごした"小さな社会"小学校について考えることは、私たちの現在・未来に光を当てることかもしれない

みんなで掃除、給食の配膳、靴を揃える、廊下は走らない……これらは「特別活動」といって、日本独特の教育だ。社会に出る前に過ごした"小さな社会"小学校について考えることは、私たちの現在・未来に光を当てることかもしれない

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© Cineric Creative / NHK / Pystymetsä / Point du Jour

教えてくれた人︎
小野智一先生

東京福祉大学大学院教育学研究科/保育児童学部准教授 おの ともかず●1976年、愛知県生まれ。専門は社会科教育、いじめ問題等学校教育課題。教員養成課程を主に担当。

 

Q.なぜ小学生が自ら学校の掃除や配膳をするの?

A.「特別活動」という教科以外の教育活動だから

国語、算数、理科、社会などの教科・道徳以外の教育課程の領域を「特別活動」といいます。「集団や社会の形成者としての見方・考え方を働かせ、様々な集団活動に自主的、実践的に取り組み、互いのよさや可能性を発揮しながら集団や自己の生活上の課題を解決することを通して、資質・能力を育成することを目指す」ことが目標。たとえば、小学校で決められた場所に荷物を収める、靴箱に靴をしまうなどの行為を学習することは、「日常生活や学習への適応」「自己の成長及び健康安全」を目指す特別活動のひとつ。これらは文部科学省の学習指導要領に記されています。

Q.教育内容はどう変わった?

A.およそ10年ごとに学習指導要領が改訂されています

学習指導要領とは、全国どこの学校でも一定の水準が保てるよう、文部科学省が定めている教育課程(カリキュラム)の基準。1947年、アメリカのコース・オブ・スタディを参考につくられ、約10年ごとに改訂されています。「特別活動」につながる教科以外の教育活動は50年代から登場。60〜70年代の「詰め込み教育」の反省から80〜90年代にかけ「豊かな人間性の育成」を目指すように。ちなみに’99年から2003年の改訂は、世間一般で「ゆとり教育」と呼ばれますが、この言葉は文部科学省の学習指導要領には存在しません。’17年の改訂では、「特別活動」を、子どもの「キャリア教育」につながる機能ととらえるようになったのがひとつの特徴といえます。

Q.小学校の教育は、世代や地域で違うもの?

A.小学校ごとに違います

学習指導要領はあくまで「基準」。全国の小学校で共有されている大きな枠ではありますが、具体的なカリキュラムの内容は、個々の学校の「経営・管理者」である校長の方針によって決められます。たとえば「この時期にこの授業を行う」という指導計画や、運動会など「特別活動」の開催時期や内容は、地域の実態に合わせマネジメントされ、各小学校によって細かな違いがあるのです。また教職員の人事権は各自治体の教育委員会にあり、一定年数での異動が決まっています。これによっても各小学校での指導内容が変化するといえます。

Q.日本の小学校教育の根本は?

A.日本国憲法に基づいています

現在、公立小学校で行われている教育は、第2次世界大戦後の日本の民主化に伴い形成されました。すなわち、日本国憲法第26条に定められた「教育を受ける権利」に基づいています。アメリカGHQの指導のもとに生まれた学校教育ですが、欧米諸国には配膳や掃除のような「特別活動」はありません。これは、明治から戦前までの日本の学校制度がフランスから学んだことに起因しているようです。19世紀中盤までは教会を基盤とする「奉仕活動」が要素として存在していたフランスの学校教育と、日本の仏教的な「行儀作法」が組み合わされ、半ば慣習的に残ったと考えられています。

日本国憲法第26条
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

Q.小学校が今、抱える課題とは?

A.たくさんありますが、日本社会の課題と地続きなのではないでしょうか

最近クローズアップされるようになった「教員のブラック労働化」。これは「小学校で教えなければならないこと」の過重化が原因のひとつといえます。ITとITリテラシー、SDGsなど、未来へ向け修得しなければならないことは増え続けていますが、私たち大人も学び続けなくてはいけません。社会を形成するほとんどみんなが小学生だったし、小学生だった人がこの先社会に入ってくる。小学校という小さな社会の課題は、そのまま私たち大人の現実社会で起き得るものではないでしょうか。

【インタビュー】映画『小学校〜それは小さな社会〜』山崎エマ監督に聞く 公立小学校に密着した1年間、4000時間で見つけたこと

山崎エマ

小学校の6年間で日本の子どもが教え育まれることを、世界に開く

ある公立小学校の、入学式から卒業式までの1年間を記録したドキュメンタリー映画『小学校〜それは小さな社会〜』。世界17カ国以上で先行公開され、英文タイトルは『THE MAKING OF A JAPANESE』。監督・編集を手がけた山崎エマさんに、この作品に込めたもの、日本の小学校教育について聞いた。

「私は大阪の公立小学校を卒業し、中高はインターナショナル・スクールに通いました。その後、ニューヨークで映像を学び、ドキュメンタリー監督としてアメリカと日本で生活してきました。海外にいて改めて気づかされたのが〝日本では当たり前のこと〟の美点です。たとえば時刻通りに電車が来る規則正しさ、チームで働くときの協力関係や責任感の強さ。海外の人々から『日本人は偉いね』と褒められるし、私も誇らしいと思う。これらが当たり前に刷り込まれたのはいつだろうと考えると、公立小学校で過ごした6年間だったことに気づきました。靴を揃えて下駄箱に入れることや、ひとりひとりの食事を均等によそうこと、運動会などの練習に励み、クラスの係を割り当てられて、目標や課題を達成すること……。今の自分の行動のベースになっていることは確かで、〝日本人らしさ〟として海外で評価される特質にもなっている。つまり、小学校の6年間で、日本人というものがつくられるのではないかと思ったのです」

今の日本の、どこにでもある公立小学校の姿をとらえたい。特定の教師や生徒、1クラスにクローズアップするのではなく、学校をまるごと撮影したい。山崎さんが撮影リサーチを開始したのは10年前。途中、コロナ禍で撮影の延期や変更を余儀なくされたが、東京都世田谷区立の小学校の撮影許可を得た。約1年前から準備が重ねられ、2021年4月から撮影がスタート。演出はひとつも加えられていない。入学したばかりの1年生と、卒業を控える6年生と、担任教師たちを中心に、彼らの日常をカメラは記録した。

「撮影した映像は700時間ですが、私自身はのべ4000時間を小学校で過ごしました。カメラが空気のように学校の一部として存在するように、ただ毎日そこに居続けました。感染対策のマスクやパーテーションの存在は現代ならでは。けれど、掃除や日直制度など、自分の過ごした平成の小学校時代と変わっていない。この場所は紛れもなく〝小さな社会〟でした。6歳から12歳の子どもたちが、集団の中で暮らし、社会の一員としての役割を与えられる。その役割をまっとうすることで、責任感や協調性を身につける。『ひとりだけでは生きていけないから、みんなの中で生きてゆく』という術や、『自分のことも大事だけど、周りのことも自分のことのように考える』という姿勢、日本の学校教育はこれらを教え、育むことを目指しています。私個人は、このシステムを世界でも素晴らしいものだと考えました。この教育がベースにある子どもたちは、やがて協力し合い、課題を解決する社会をつくっていくのではないかと思うからです。もちろん、集団の中での協調性や責任感というものは、同調圧力や全体主義とも表裏一体の危険をはらんでもいます。作品の中でもその側面は忘れずに描きました」

さらに1年間をかけて自ら編集を行い、完成した『小学校〜それは小さな社会〜』。約100分の中に、山崎監督がとらえた小学校のリアルを凝縮し、世界に向けて発信した。

「ヨーロッパでは『ワールドカップの試合終了後、日本人は競技場のゴミを拾って帰る。その理由は小学校教育にあったのか』と解釈してくださる方もいました。スシやサムライから、もう一歩深く日本のことを知るなら、ぜひ小学校に目を向けてみてほしいと考えていたので、うれしい反響です。国内外で、教育に携わる方々の好意的な評価や感謝を受けたことにも手ごたえを感じました。日本独自の教育システムの中で、現場の先生方も模索しながら働いています。この映画が、教育関係者とそうではない人たちをつないでいければ。小学校と小学生に関わる人も、関わりのない人も、かつて小学生だった人も、みんながちょっとずつ教育のことに関心を持つ。それが日本や世界のよりよい未来を考えることにつながってゆく。この映画で、そんな風を吹かせたいと思いました」

『小学校〜それは小さな社会〜』
© Cineric Creative / NHK / Pystymetsä / Point du Jour

『小学校〜それは小さな社会〜』
入学式、給食とお昼の放送、掃除、合奏の練習、運動会、卒業式……公立小学校の春夏秋冬をノーナレーションで記録。生徒たちの成長、教員たちの人物像を通して、学校という「小さな社会」、日本の教育制度を描き出す(公開中)。

山崎エマさんプロフィール画像
ドキュメンタリー監督山崎エマさん

やまざき えま●英国と日本にルーツを持つ。19歳で渡米、ニューヨーク大学映画制作学部に学ぶ。映像編集の経験を積み、2017年長編ドキュメンタリーを初監督。長編作品に『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』(’19)など。NHK「ETV特集」「ノーナレ」のディレクター・エディターも務める。

3人の〝社会人〟に聞く『小学校〜それは小さな社会〜』を、どう見たか?

writtenafterwards デザイナー 「coconogacco(ここのがっこう)」主宰 山縣良和さん

writtenafterwards デザイナー
「coconogacco(ここのがっこう)」主宰
山縣良和さん

「教えの場をつくる人」として

「小学校で自分のベースを培ったあと、自分らしく進む将来を選びとれるような自由な学びの場を設けたい」

僕が主宰している「coconogacco(ここのがっこう)」は、年齢も出身も動機もまったく異なる学生がファッションなどを学ぶための私塾です。教育現場をつくる身として映画を鑑賞しましたが、客観的に見て、僕も日本の小学校教育は課題はありつつ、よいところもたくさんあると思いました。「みんなでみんなのことを考えながらやっていこう」という環境は守っていくべきだと思うし、海外からポジティブな意見が来るのも理解できました。ただ、僕自身、鳥取の公立小で過ごしたときに細かに感じたコンプレックスや、転校生で集団になじめなかった経験が、どこかで今の僕を形成しているといえます。しかし僕にとって幼少期をのどかな鳥取で過ごした経験は特別なもの。それを実感したのは高校卒業後のイギリス留学です。差別や格差など社会的にも剥き出しのリアリティに直面し、自分のバックグラウンドを見直すきっかけになりました。

そしてセントラル・セント・マーチンズで学んだときも、急にとんでもない自由に放り込まれた感覚がありました。先生はほとんど何も教えてくれないですし、逆に自分のことは自分で責任をもって行動することを学びました。日本に帰国し、何度か教える現場を経験しましたが、デザイン教育の現場であるにもかかわらず、課題を与えられて、やる、という子ども時代からの受身な教育と変わらない。そこで自由なファッション教育の場として開いたのが「coconogacco」です。映画では合奏の練習をサボってしまい先生に叱られる生徒が登場します。演奏だけでなく生活態度も結びつけられて怒られる。けれど「coconogacco」では受講生にオールマイティは求めません。全部を器用にできるより、ひとつできることがあればいい。究極的には存在しているだけでいい。そう伝える場所でもあります。今感じているのは、小学生が自由に将来を選べるようなワークショップは多いのに、中高生のための機会が意外に少ないこと。受験などの現実的な課題のためにフォーマット化してしまう傾向があるのかもしれません。大学や専門学校で、硬化してしまった状態を柔らかくするところからスタートしなきゃいけない。小学校を卒業した10代のために、もっと伸びやかな学びの場をつくることが大切だと思います。

山縣良和さんプロフィール画像
writtenafterwards デザイナー「coconogacco(ここのがっこう)」主宰山縣良和さん

やまがた よしかず●1980年、鳥取生まれ。2005年セントラル・セント・マーチンズ美術大学を卒業。’07年自身のレーベル「writtenafterwards」をスタート。デザイナーのかたわら、ファッション教育の場「coconogacco」を主宰。

スタイリスト 竹淵智子さん

スタイリスト
竹淵智子さん

小学校の「学習支援員」として

「子どもが生きていくための教育を先生だけに負担させず、空気のように寄り添う大人たちが必要かもしれない」

私は今、公立小学校の学習支援員として、クラスの中にいる生活面や学習面での困難がある子どものサポートをしています。いろいろな学年で1クラスのうち3〜8名ほどを担当しつつほかの児童も見ているので、わかりやすく言うと「副担任」のような立場です。映画の小学校の様子を見て感じたのはもう「先生、大変だよね!」。先生の負担が多い現状は、肌で感じています。子どもの教育には3段階の社会が必要とされていると大学で学びました。第1次が家庭、第2次が地域社会、第3次が学校。けれど今、家庭の機能低下や地域社会の関わりの薄さで、勉強以外に学校で教えなきゃいけないことがたくさんある。映画の小学校にも「お母さん役」をしなければならない先生がいました。親が親として機能していない家庭が全国的に増加していて、学校にそのしわ寄せが来ている。でも、親になるための学校はなくて、家庭で教えるべきことを誰も知らない。それもどうなんだろう?と思います。

逆に学校では今も教室の移動中、静かに右側を歩きましょうと教えています。しゃべっている子がいるとやり直しです。それが日本の教育のよさだとも思いますが、ワイワイ移動して次の授業が楽しくできればそれでいいじゃない?とも思ってしまうんです。教えることを取捨選択するのは難しいですが、学校の授業に、本当に人間が生きていかなきゃいけない基本的なことが組み込まれているといいと思います。栄養や睡眠を取る、暴力から逃れる、そういうことに踏み込んだ授業があり、子どもの頭の片隅に残ってくれれば、たとえば虐待に直面したときに、自覚を持って、生き延びるための声を上げられるのではと考えます。

学習支援員として教育現場に立っていると、先生には相談できないけど私には気軽に頼れるという子や、そのブラウス可愛い、と声をかけてくれる子がいます。そんなとき、教室の中に、先生とは少し違う立場で目を配れる人がいるのはいいことかもしれないと思います。先生しか頼れる大人がいなかったり、先生が子ども全員と対峙しなければならない空間に、小さなセーフティネットが生まれます。空気みたいな存在感だけれど、空気の1粒1粒にも甘いもの苦いものがある。そう教えてくれる大人の存在は、たとえば地域や家庭のそばに、今、必要なのではないでしょうか。

竹淵智子さんプロフィール画像
スタイリスト竹淵智子さん

たけぶち さとこ●神奈川県生まれ。メーカー、アパレル会社勤務を経て、2002年にスタイリストとして独立。活動のかたわら’22年、放送大学の3年次に編入し心理・教育を専攻。母子生活支援施設、児童養護施設でのボランティア活動も行う。

ライター 武田砂鉄さん

ライター
武田砂鉄さん

「小学35年生」として

「連帯責任と自己責任の感覚を、軽やかに外してずらす小学生の純粋さから、僕らは逆に学ぶべきなのではないか」

子どもがいたら、子ども越しに入ってくる小学校の情報があるのでしょうが、子どものいない自分は、親でも教員でもない、いわば無責任な立場。自分自身が小学生の延長線上で生きているようにも感じます。

そんな「小学35年生」の視点で映画を観ても、小学校は本当に社会の縮図です。授業を受ける側にもやる側にも大量のタスクがあって、すれすれのバランスで成り立っている。そうしたなかで「連帯責任」は子どもを管理し、学校を運営する上では一番楽ちんな方法ではあるでしょう。けれども僕はこれを薄めたいとどうしても感じてしまいます。連帯責任の感覚が強くなると、なんで、どうして、という問いが生まれにくい環境になる。批評性のない、悪い意味で素直な人間が生まれてくるように思います。連帯責任と自己責任はセットになっていて「みんなに迷惑をかけてはいけない、迷惑をかけたらあなたのせい」という感覚が生まれる。これが小学校という小さな社会でも、すでに芽生えているように見えました。

映画で一番面白かったのは、卒業式のために練習している歌を替え歌にして歌っていた子のシーン。やらなければいけない目の前のことを、茶化して歌う。すごく小学生的な振る舞いです。けれども生きていくなかで、この「ずらす」「外す」ということが大切だと思うのです。大人になってやっても、やっぱり怒られるのだけれども、失ってはいけない。僕は今、公立小学校の隣に住んでいて、日常に小学生の姿を見かけることが多いのですが、彼らの言動を聞くと実に区画整理されていない。われわれ大人の思考のプロセスが1、2、3……と順番にあり、たとえば3の次は4だけれど、4には誰かがいるから3で待って、と進んでいくところを、1から5、さらに10に飛んで3に戻る、みたいなことを平然とやりきるわけです。あの軽やかでイレギュラーなコミュニケーションは、年を重ねるにつれて、自然と削り取られていってしまうもの。「この時間にこれをしなくてはいけない」と決められても、果敢にどうでもいいことを言い、どうでもいいことをやろうとする純粋さ。これは連帯責任と自己責任の感覚が充満したこの社会で、大人も後天的にもう一度、得なければいけないことだと思いました。

武田砂鉄さんプロフィール画像
ライター武田砂鉄さん

たけだ さてつ●1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経てライターに。本誌で「その服、伝わってますか?」連載中。ラジオパーソナリティとしても活躍。著作に『テレビ磁石』『父ではありませんが 第三者として考える』など。

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