写真家・石川真生「沖縄を撮る・人間を撮る」【KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025】

4月より開催される、日本最大規模の写真の祭『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025』のテーマは「HUMANITY」。
揺れ動く現代社会のなかで「人間性とは何か」を写真を通じて探求し、他者に問う作品が集められる。SPURでは、故郷沖縄を拠点に、その地を撮り続けてきた71歳の写真家、石川真生さんにフォーカス。米軍基地周辺の人々を捉えた70年代の作品と、沖縄の離島で撮影した最新作を発表する彼女に、人間を見つめ、関わってきた写真活動の過去、現在、未来を聞いた

4月より開催される、日本最大規模の写真の祭『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025』のテーマは「HUMANITY」。
揺れ動く現代社会のなかで「人間性とは何か」を写真を通じて探求し、他者に問う作品が集められる。SPURでは、故郷沖縄を拠点に、その地を撮り続けてきた71歳の写真家、石川真生さんにフォーカス。米軍基地周辺の人々を捉えた70年代の作品と、沖縄の離島で撮影した最新作を発表する彼女に、人間を見つめ、関わってきた写真活動の過去、現在、未来を聞いた

INTERVIEW with MAO ISHIKAWA

石川真生《赤花》

石川真生《赤花》より。写真集『赤花 アカバナー沖縄の女』の表紙を飾ったこの女性は、石川さんに特に強烈な印象を刻んだという。「彼女は私と同じ外国人バーで働いていて、当時はアメリカの兵隊と暮らしていたんだけど、"極道の女か?"って思うくらい迫力あるお姉さんだった。たくましくて、優しくて。最初はビビったけどすぐに仲よくなったし、よく私の家に遊びに来ていたんだよ」

 

大好きな赤花のように派手で、たくましい女性たちの姿を捉える

『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025』がテーマに掲げる「HUMANITY」。それは人間性や人間の慈悲心、あるいは人間そのものを指す言葉だが、参加する写真家のひとり、石川真生さんは「私は人間だけを撮っていく」と豪語し、まさしく人と人間性を半世紀にわたって写真に刻んできた女性だ。

「よく言うんだけど、私は動物は撮らない。人間にしか興味がないから。人生ほど面白いものはないのでね」と話す彼女の被写体は、正確には自身の故郷沖縄で暮らす人たちと、沖縄に関わる人たちにほぼ限定される。まだアメリカ合衆国の統治下にあった1953年に生まれた石川さんは、’71年に沖縄返還協定(注:返還の条件には米軍基地を残し自衛隊を配備することが盛り込まれていた)に反対するゼネストが行われた際に、デモに参加。その最中で機動隊員が亡くなる痛ましい事件を目撃し、何らかの手段で沖縄を表現したいと思い立つ。そして、高校の写真クラブに所属していたこともあってカメラに着目し、東京の写真学校で基礎を学ぶと、帰郷して写真を撮り始めたのが20歳のときだった。

『KYOTOGRAPHIE』には、こうして活動を始めた石川さんの原点にあたるシリーズ《赤花》から多数の作品が出展される。’75 ~’77 年の2年間に、アメリカ兵が集まる外国人バーで働く女性たちと客の黒人兵の姿を、自らもそこで働きながら捉えた写真群だ。「我ながら今見ても、〝いやー、上手だな、いい写真だな〟って思う。自分の写真が好きじゃなくてどうするのかって話でしょ!」と言い切る彼女、時間をたっぷりかけて被写体との距離を縮め、信頼関係を築いてからカメラを向けるという当時のアプローチは、今も貫いている。

「私は仲よくなった人しか撮らないし、ゆっくりゆっくり撮影するタイプ。だからここに写っている女性たちは、お互いによく知っている仲だしね。タイトルの赤花は仏桑花(注:沖縄を象徴する原種系ハイビスカス)のことで、沖縄戦で亡くなった人たちを慰霊するときに供えることが多いんだけど、お墓に持っていく花がなくても、沖縄ではだいたい墓地のかたわらに赤花が咲いていて、それを摘んで供えるんです。私はそんな赤花が大好きでね。彼女たちも、赤花みたいに派手でたくましくて強いイメージがあるし、みんないろんな仕事をしながら人生を歩んできたよ」。

また、軍隊とは切り離してひとりひとりの人間として接していたというアメリカ兵、とりわけ黒人兵たちを見つめるまなざしも愛情に満ちている。
「アメリカはなかなか沖縄を返してくれなくて、人々の中に不満がいっぱいあったし、私も〝バカたれ、アメリカ軍は!〟と思っていた。〝沖縄から出ていけ〟って感じで。でも私の親戚も軍属のアメリカ人と結婚してアメリカに住んでいた。個人個人を分けたらみんな違う。人は十把一絡げにできないし、米軍とアメリカ人は分けないとね。自衛隊を撮るときだってそう。旦那が自衛官だったから、私には彼らの生活がわかるし、自衛隊は自衛隊なりにやるべきことがあるし、苦労していることもあって、何でもかんでも悪いと、私は思っていないから」

その後の石川さんは、過去の自分と同じような外国人バーで働くフィリピン人女性の里帰りに同行して撮影した『フィリピン』(’89 年)、沖縄芝居のスターである仲田幸子さんを追いかけた『仲田幸子一行物語り』(’91 年)、辺野古基地建設をテーマにした『沖縄海上ヘリ基地―拒否と誘致に揺れる町』(’98年)……と、まだ女性の写真家が少なかった時代から心の赴くままにさまざまなテーマを取り上げて、撮影に取り組んできた。

「だからといって、女性だから苦労したという経験はちょっと思い出せない。私は女として生まれてきてよかったなと思ったことしかないし、逆に男はいろんなことを抱えていて大変だなって。むしろ、女なのに写真を撮っているというのが利点になった。〝すげえな、お前! 女でもやるんだ"みたいに褒められたりしてね。〝私の魅力で撮るんだよ!〟って言ってやったりするんだけど(笑)、みんな私には撮らせてくれましたよ。ただ、そのためには1回で終わりじゃなくて、何度も通うから撮らせてくれているんだと思う。写真を撮るのは楽しいし、いろんな人を知るのはもっと楽しいし、みんな協力してくれるし。それは私の性格がいいからでしょう。いい人がいい人を呼ぶ……なんちゃって(笑)」

石川真生《赤花》
石川真生《赤花》
石川真生《赤花》

すべて《赤花》より。石川さんは、1970年代、沖縄基地を訪れるアメリカ兵を撮るためには外国人バーで働くのが一番手っ取り早いと考え、最初はコザ(現在の沖縄市)、その後米軍のキャンプ・ハンセンがある金武町の、黒人兵が集まるバーで働いた。「キャンプ・ハンセンの近くでは女性たちと米兵たちが同棲していたりもして、いろんな人生模様が繰り広げられていた。とにかく街にはいろんな人がいたよ」と回想する。『KYOTOGRAPHIE』ではこれらの写真と、沖縄の離島で撮り下ろされた近作・新作を、カメラ・レンズ製造メーカーSIGMAのサポートにより発表。作品は、歴史ある帯匠、誉田屋源兵衛 竹院の間に展示される

人生はあっという間だから自分がやりたいことをやる

さらに2014年には、《大琉球写真絵巻》と題した一大プロジェクトに着手。発端は、第2次安倍政権下で普天間基地へのオスプレイ配備などが進められ、沖縄の負担がさらに増していたことへの憤りだった。そこで、パート1から4では薩摩藩の琉球侵攻に始まる沖縄の400年の歴史を振り返り、一般の人たちを巻き込んで重要な史実上の出来事を再現して撮影。ユーモアも交えた創作写真を、毎年1メートル×30メートルという巨大なロール紙にプリントして発表してきた。

「《大琉球写真絵巻》が10年も続くとは思っていなかったけど、やっているうちにもっと続けたくなって。写真っていうのはそんなもんでしょ? 初めから計算できるわけではなくて、もっと撮りたければ撮るし、そういうことの積み重ね。写真を撮ることに理由などないし、いつも、撮っていたら自然にそこにいた、っていう感じなのかな。可愛いと思う人がいたら撮る。〝これは残したい〟と思ったら撮る。嫌いだと思ったら即やめて帰っちゃう。とにかく、性格がよくて魅力的な人しか撮りたくない。好きじゃないと、尊敬するところがないと、撮る気にならないよね」

そしてパート5以降では創作写真だけでなく、その時々に彼女が惹かれた人たちも撮影。近年、自衛隊基地問題に揺れる石垣島や宮古島、与那国島といった周辺の島々へも足を延ばし、ミサイル配備反対運動などの様子を記録している。

『KYOTOGRAPHIE』では昨年与那国島で撮ったという最新巻も披露される。
「沖縄はどんどん悪い場所になってる。それは日本全体にも言えることだけど、アメリカと日本政府が沖縄を利用しようとしているのは目に見えているし、私が与那国島とかに通っているのは、悪いことがないように見張るため。悪いことをしているところをどんどん写真に撮って、発表することで、これ以上悪いことができないようにする。これも、私のひとつのやり方だからね」

そんな石川さんの功績を讃えて再評価する動きが、今回の『KYOTOGRAPHIE』も然り、ここにきて広がっている。’21 年に沖縄県立博物館・美術館で回顧展『石川真生展:醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。』が、’23 年には東京オペラシティ アートギャラリーで東京では初めての個展『石川真生―私に何ができるか―』が開催され、昨年は第43回土門拳賞と、令和5年度芸術選奨文部科学大臣賞を相次いで受賞。《赤花》を撮った頃の彼女にフォーカスした、ドキュメンタリー映画『オキナワより愛を込めて』が公開されたことも記憶に新しい。こうした関心の目、賞賛の声を、彼女は大歓迎しているようだ。

「もっともっと褒めて! もっともっと賞金くれ! って感じ!(笑)。賞をもらって賞金をもらえたというのが重要なところで、私は体が弱いから撮影はなかなか大変でね。手伝ってくれている後輩たちがいるんだけど、ちゃんとお金を払ってサポートしてあげられる。みんな心優しくて、バイトしながら写真を撮っていたりして、すごく上手なの。私は写真が下手な人には上手だって言ったことがない。下手な人には〝諦めて別の道を歩んだほうがいいんじゃない?〟って言っているんだけど、沖縄には上手な子が大勢いるよ」

彼らに与えているというアドバイスも、やはり彼女ならでは。単刀直入で言葉を濁さない。「死ぬのは早いよ。生きている間にしかいろんなことはできないから、とっとと好きなことをやりなって。これは、誰に対しても言っていることかな。だってそうだもん。私はいつの間にかしわくちゃのババアになっていて、こんなにすぐに年を取ると思わなかったから、呑気にしていた。あっという間ですよ、人生は。だからこそ刺激的なものを残して、自分がやりたいことをやる。人の目なんか気にしたことないし、気にしている暇はないし。そして、写真ほど刺激的なものはない。私は強運に恵まれて、周りの人間にも恵まれていい写真がちゃんと撮れているから、幸せ者だなあって思ってますよ」

実は40代後半のときにがんを発症し、今までに何度も手術を受けている石川さん。最近は活動のペースを少し落としてはいるものの、70代に入ってからも創作意欲は衰えず、「本当に魅力的な人が多くて、生きている間にみんな撮り切れるかなって心配するくらい」とほほえむ。

「私は長生きしたい。できるだけ長く長く沖縄の写真を撮っていたいから。両親はとっくに亡くなっていて、私のベッドの真ん前にある仏壇から見守ってくれているんだけど、〝父ちゃん、母ちゃん、あんまり早く私を迎えに来ないでね〟って毎日お祈りしているの。両親も〝うん、うん〟って言っているような気がするし、私は死ぬまで写真を撮り続けるから、見ておいてね」

写真家・石川真生「沖縄を撮る・人間を撮るの画像_5

昨夏滞在した与那国島の自衛隊駐屯地前。向かい側の樽舞湿原に港湾を開発する計画がある

写真家・石川真生「沖縄を撮る・人間を撮るの画像_6

同じく与那国島にて、長年のパートナーと一緒に多数の保護猫を育てている石川さんの友人。いずれも『KYOTOGRAPHIE』に出品予定の作品

写真家・石川真生「沖縄を撮る・人間を撮るの画像_7
©Yasuko Ichikawa

2023年、石垣島の自衛隊駐屯地にミサイルが搬入された際、現地に撮影に赴いた石川さんの姿

石川真生プロフィール画像
石川真生

いしかわ まお●1953年、沖縄県大宜味村生まれ。東京でWORKSHOP写真学校東松照明教室に通ったのち、写真家に。さまざまな切り口で沖縄を撮り続け、『港町エレジー』(1990年)や『FENCES, OKINAWA』(2010年)など多数の写真集を出版。作品は東京都写真美術館やメトロポリタン美術館ほか、国内外の美術館に収蔵されている。
©Kyosuke Arakawa

沖縄から、石川真生を語る

沖縄で仕事をし、沖縄の今を発信する女性に聞いた。30代の新聞記者、又吉朝香さんと、40代の写真家で石川さんと制作を共にした経験もある伊波リンダさん、それぞれが見た石川真生とは

大勢の人を自分のパワーで巻き込む

「私の父が米軍基地で働いていたこともあって、基地や周辺の人々を記録し続けてきた真生さんの写真にはずっと関心を持っていました。リアルな空気と人間の存在感を感じる、すごく強い写真。特に港湾労働者を撮影した『港町エレジー』が好きで、どうやってあそこまで人に近づけたんだろうかと驚かされます。時代も見ているものも違うかもしれませんが、同じ土地に生まれた私も沖縄に根差した写真を撮っていきたいなと、そばで見ていて感じますね。初めて会ったのは2002年、那覇市で『フォトネシア/光の記憶 時の果実』という写真展が開かれたときです。会場で私の作品を見てもらえる機会があって、"あんた、まだまだだね"と言われて(笑)。ご本人はそのときのことを全然覚えていないんですが、その後私が東松照明さんの事務所で働いていた’10年頃に"一緒に仕事をしない?"と声をかけられて、たまに撮影の手伝いをするようになりました。破天荒で、でもまっすぐな人で、自分をすごくオープンにしているので、私も自然に引き込まれるというか。それが真生さんの魅力なのかもしれません。私の展覧会を見に来てくださって、写真について厳しい言葉をかけられる一方、いい言葉もたくさんかけてくれる。すごく応援してくれていますし、自分にとっては何でも話せる先輩であり、お互いに人生相談をしているようなところもありますから、不思議な関係です。

《大琉球写真絵巻》の撮影現場にも立ち会ってきて、たくさんのハプニングがありました。辺野古の海で何十人もの人を土砂降りの中で撮ったり、小道具として作ったオスプレイの模型を軽トラックに載せて運んだり……。実は私も、米軍に土地を奪われる沖縄人の役で創作写真に登場したことがあります。大勢の人を巻き込んで一緒に写真を作っていくんですが、本当に膨大なエネルギーが生まれるんです。

最後に真生さんの撮影に同行したのは去年7月。与那国島と石垣島に1週間滞在しました。真生さんは与那国、石垣、宮古の3島のことをすごく気にかけていて、自衛隊の基地建設が進められている中、住民の方たちから島の状況を聞き出し、もっと多くの人に伝えたいという想いが伝わってきました。体調が悪くても撮る意欲はすごい。"早くまた与那国、石垣、宮古に行かないと"と言っていますよ」

伊波リンダさんプロフィール画像
写真家伊波リンダさん

1979年、沖縄県うるま市生まれ。父はハワイ出身の沖縄県系2世、母は移民先のテニアン島生まれ。沖縄に軸足を置いた活動を続け、『六本木クロッシング2022展』などに参加。

現場に行くことの大切さを学ぶ

「まだ私が記者になる前、『沖縄タイムス』でアルバイトをしていたときに、真生さんが写真と文章で沖縄に基地が集中している理由を掘り下げた書籍『女性カメラマンがとらえた沖縄と自衛隊』を手に取りました。1995年に出版された本ですが、ちょうど政府が南西諸島の防衛力強化を打ち出した時期に読んだので、何年たっても状況は変わっていないなと痛感。改めて自衛隊と沖縄について考えるきっかけになりましたし、それ以来、真生さんの展覧会にも足を運ぶようになりました。出版された当時、『沖縄タイムス』では自衛隊の宣撫工作に加担しないとして取材そのものを避けていた。30年も前に女性で、ひとりで、名前を出して取材していた真生さんはすごいなと思いますし、写真はもちろんのこと、文章も大好きです。彼女から学んだことを挙げるなら、やっぱり現場に行くことの大切さですね。真生さんは自分の考えも書くんですが、常に取材相手の考えや立場についてしっかり話を聞いています。記事に書くならば、背景にある歴史を探らないと。

大学を卒業してからの私は、ライフプランなど考えずにやりたいことをやってきました。とはいえ、沖縄の新聞記者としての仕事は、戦争体験者や戦後ここで苦労されてきた人たちの想いに触れる機会が多く、すごく重いことです。だからたとえば結婚や出産を考える年齢になったとき、この仕事をずっと続けていて大丈夫なのかな、子育てなんかできるのかな、って不安が頭の片隅にありました。でも『港町エレジー』には、真生さんが30歳で離婚して娘を抱え、写真だけで生活する自信がなくて居酒屋を経営したという体験が綴られていて、それでも彼女は写真を撮り続け、沖縄の現状を県内外に50年間発信してきた。まだお会いしたことはありませんが、どんな想いがあって、大きなテーマを掲げてこれだけ長く続けられたのか、ぜひお話を伺ってみたいですね。きっとこの土地を大切にしているからなんでしょうけど。沖縄の女性は男性より強いとよくいわれます。肝が据わっていて飾らない真生さんはまさにそれを体現していて、私も彼女くらい強くなりたい。同じ土地で暮らし、沖縄をテーマに仕事をしている女性の先輩としてカッコいいと思うし、真生さんは私のロールモデルです」

又吉朝香さんプロフィール画像
『沖縄タイムス』社会部記者又吉朝香さん

1994年、沖縄県宜野湾市生まれ。琉球大学法文学部を卒業後、地元紙『沖縄タイムス』の記者に。現在は戦後80年を機に、沖縄戦の記憶の継承などのテーマに取り組む。

『KYOTOGRAPHIE』で、出会う

今年で第13回を迎える『KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025』。石川さんは、誌面で紹介した最初期の作品《赤花》と、離島で撮影してきた近作と新作をあわせて発表予定。展示会場は創業280年の帯匠「誉田屋源兵衛」の中にある竹院の間。セノグラフィーをおおうちおさむさんが手がける。

会期中は京都市内15カ所の会場で、世界10カ国より14組のアーティストによるプログラムを開催する。春の盛りの京都で、写真を通じ「HUMANITY」へのまなざしを深める30日間。京都新聞ビルの地下印刷所跡で発表されるJRさんのインスタレーション、京都文化博物館 別館で展示を行うインドを拠点とするプシュパマラ・Nさんなど、見どころはたっぷり。

写真家・石川真生「沖縄を撮る・人間を撮るの画像_8
©Naoyuki Ogino
写真家・石川真生「沖縄を撮る・人間を撮るの画像_9
©Hiroshi Yamauchi

アーティストJRさんは、市民参加型の写真壁画作品《JR京都クロニクル2024》を京都駅ビル北側通路壁面で、写真インスタレーションを京都新聞ビル地下1階(印刷工場跡地)&1階で発表。ふたつの対比を味わいたい

写真家・石川真生「沖縄を撮る・人間を撮るの画像_10

石川真生作品の展示会場、誉田屋源兵衛。歴史ある京町家の空間で、70年代に撮影されたモノクロフィルム作品と、カラーデジタル撮影の最新作とが競演する

information
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭
会期:2025年4月12日〜5月11日
https://www.kyotographie.jp

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