IMAGE GALLERY 1/16 爆心のほぼ直下にあたる原爆ドームと平和記念公園を一望する。戦前の姿を同じ角度から写した古いパノラマ写真が、広島平和記念資料館の展示室入り口に掲示されている 2/16 箕牧智之さん(右)。ノーベル賞授賞式の際、ノルウェー国王らに贈ったという銅板の折り鶴を庭田杏珠さん(左)に見せてくれた。制作は広島みらい創生高校の生徒たち 3/16 室内には数多くの書類が。長きにわたって手もとに集まってきた被爆証言者の手記や名簿、掲載記事などがある 4/16 北広島町の自宅は父・省吾さんの実家。箕牧さんは、ここを拠点に世界に向けて核廃絶と平和を訴え続ける。取材の直前にはろう学校の生徒たちへの講演、翌日には東京へ。夏はイタリアへも渡航予定だ 5/16 6/16 ご自宅での梶矢文昭さん。現在は亡き妻が丹精を尽くした庭の世話をしながら一人暮らしをしている 7/16 爆心地近くの寺で、梶矢さんの父が見つけてきたというガラスの一升瓶。高熱と上からの圧力で平たくゆがんでしまっている 8/16 戦争体験を子どもたちに伝えるために描いてきたクレヨン画。何十枚にもおよび、大切に保管されている 9/16 取材の翌日、上原沙也加さんは朝8時15分の平和記念公園を訪れ、地球平和監視時計を撮影した。時計の下のカウンターは広島への原爆投下からの日数と、最後の核実験からの日数を表している 10/16 袋町小学校平和資料館にて。ここは被爆当時、広島市内で鉄筋コンクリート校舎を持っていた数少ない国民学校のうちの一校。崩壊を免れた校舎の壁には、行方不明の家族に宛てた伝言が残され、その様が再現されている 11/16 上原さんは広島湾に浮かぶ似島にも足を延ばした。原爆投下直後には多くの負傷者が運ばれ、のちに戦災孤児の収容教育所も開設された。広島市街と同様、平穏な風景の中に遺構がある 12/16 13/16 14/16 15/16 16/16 元の記事に戻る元の記事に戻る