"楽しい"を入り口に学びや気づきを促す真面目なゲーム「シリアスゲーム」。ビジネスや教育、医療、地域課題などさまざまな分野で活用され、注目が高まっている。その現在地と可能性について深掘りする

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2025.08.22

ゲームは学びのメディアになれるか? シリアスゲームの現在地

"楽しい"を入り口に学びや気づきを促す真面目なゲーム「シリアスゲーム」。ビジネスや教育、医療、地域課題などさまざまな分野で活用され、注目が高まっている。その現在地と可能性について深掘りする

Chapter1 シリアスゲームって何?

Q シリアスゲームって、どんなゲームですか?

A 私は社会課題の解決を目的に作られたコンピュータゲームのことを「シリアスゲーム」と呼んでいます。たとえば2000年代に流行した『脳を鍛える大人のDSトレーニング』もその一例。学びやスキルの習得を"楽しく"促すことが目的です。「シリアスゲーム」という言葉そのものが登場したのは1970年頃。当時から「教育にゲームが使える」という発想はあり、フランスでは200年前から経営者がビジネスゲームで経営を学んでいたという歴史もあります。近年では、学習や健康管理アプリなどにゲーム要素を応用する「ゲーミフィケーション」も広がっています。

Q ゲームならではの力にはどんなものがありますか?

A ゲームの強みを ①知的好奇心を刺激すること ②人を夢中にさせること ③誰もが平等に楽しめることだと考えています。以前、障がいのある方向けにリハビリ用ゲームを開発したことがあります。点数が伸びたり、勝ったりすると、純粋にうれしくてもっと頑張ろうと思える。そうやって生き生きと課題を解決しようとする瞬間をたくさん見てきました。勉強もリハビリも、社会問題のような重いテーマも、ゲームなら夢中になって向き合える。どんな内容でもゲームとして面白ければ、学びとっていけるところが強みだと思います。

Q 「学び」と「ゲーム」っていい関係を築けるんでしょうか?

A 日本はエンターテインメントゲームの開発が盛んですから、一見「学び」と「ゲーム」は相性が悪そうに見えるかもしれません。実際にゲームに対して「依存症になるのではないか」という偏見を持つ方もたくさんいます。「依存症」とは、やわらかく言えば"やめられないこと"。でも、勉強が楽しくてやめられなければ"勉強依存症"? 読書に夢中な人を"読書依存症"とは言いませんよね。どちらも成果が得られると思われているからです。ゲームも、力がつく・学べるという認識が広がれば、社会の見方は変わります。

私はかつて企業の中で「防衛能力を高める」シリアスゲームを作っていました。災害をはじめとする非常事態が起きたときに、どの部隊をどこに配置して、どのように人を誘導すればいいのか、どんな準備が必要なのかを学ぶためのシミュレーション・ゲームです。自分でコマを動かしていくことで、緊急事態への対応力を育んでいきます。教室で受動的に話を聞くことでも情報をインプットすることはできますが、ゲームは自主性や能動性が求められるので、より深い理解力が得られるメディアだと思います。

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教えてくれる人 古市昌一さん
日本大学生産工学部特任教授。専門はモデリング&シミュレーションとシリアスゲーム。『シリアスゲーム (メディアテクノロジーシリーズ 5)』(コロナ社)にも執筆。

Chapter2 シリアスゲームの新潮流とは?

「ただの遊び」だったゲームが社会課題とつながるメディアになりつつある昨今。多様な目的を持った人が「自分ごと」として学べる場が広がっている。異なるフィールドでゲームと関わる3人に、シリアスゲームがどのように世界や日常を変えていけるのか、その視点について聞いてみた。

ゲームをめぐる潮流が変わってきた?

米光一成(以下米光) 僕は40年ほどゲーム業界にいるのですが、最近風向きが変わってきたと思います。「何かできませんか」と声をかけていただくことが増えました。世代で括れるほど単純ではないと思いつつ、ファミコン世代が企業や行政で発言権を持つようになったことは大きい気がしますね(笑)。

古市昌一(以下古市) 昭和の時代は「ゲーム=遊ぶだけのもの」という偏見がありましたからね。

近藤銀河(以下近藤) プレイヤーも幅広くなっています。80年代まではゲームコミュニティはボーイズ・クラブ的な側面も強く、女性が「見えにくい存在」でしたが、今は違う。

米光 僕がコンパイル(※)に入社したときは、社員数約20人に対して、女性従業員は1人しかいませんでした。

近藤 80年代後半〜90年代にかけて、女性も楽しめるゲームが増えました。『アンジェリーク』1)のような女性向けの作品のヒットが大きい。

『アンジェリーク』

1 『アンジェリーク』 イラスト/由羅カイリ©コーエーテクモゲームス All rights reserved.

――『ぷよぷよ』(2)も可愛らしい世界観で女の子たちも夢中でした。

米光 『ぷよぷよ』はもともと別のゲームの雑魚キャラだったものをメインに持ってきて、可愛くて楽しい世界観を目指したんです。

近藤 遊ぶ人の層が広がると、必然的にプレイヤーそれぞれのバックボーンを前提にした意見や評論が出るようになる。「ゲームを真面目に扱う」空間が増えている気がします。

米光 わかります。ゲーム市場は非常に大きいにもかかわらず「クールジャパン」の文脈で語られる対象はアニメとマンガが中心。最近やっとゲーム事業にも支援がつくようになりました。昔は「レベルアップ」という言葉はゲームオタクにしか伝わらないものでしたが、すっかり市民権を得ましたね。

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2 『ぷよぷよ』©SEGA

古市 そうですね。日本では2005年に発売された任天堂の『脳を鍛える大人のDSトレーニング』(3)をきっかけに、ゲームの教育的側面への関心が高まりました。また、アカデミックの分野でも同時期から「シリアスゲーム」研究が注目されるように。ビジネスの中心世代の交代と社会の受け止め方の変化が重なり、ゲームが「遊び」の側面だけではなく、「真面目に語られるもの」「社会課題解決のメディア」として再評価されていると思います。

『脳を鍛える大人のDSトレーニング』

3 『脳を鍛える大人のDSトレーニング』 ©2005 Nintendo

〝体験〟を手渡す。ゲームが促す主体的感覚

――シリアスゲームの発展につながる、新しい流れを感じることはありますか?
近藤 ゲーム開発のハードルがどんどん下がっているので、多様なインディー作品が生まれています。私自身も著書『フェミニスト、ゲームやってる』のプロモーションで簡単なゲームを作りましたが、悩みや日常をそのままゲームとして表現できる時代になったと感じます。ゲームを作ってみることで自分でも気づかなかった感情が見えてきたり、インディー作品をプレイして個人的な体験や心情を手渡されたような感覚になることも増えました。たとえば『one night, hot springs』4)。トランスジェンダーの女性が友達から温泉に誘われるノベルゲームです。トランスだからこその悩みを持つ主人公の立場で選択肢を突きつけられるので、〝自分ごと〟として体験しました。こうした〝個人の物語〟が、そのままプレイヤーの体験として伝わることは、ゲームならではだと思います。

『one night, hot springs』

4 『one night, hot springs』 © npckc. All company names, product names and service names shown are trademarks, registered trademarks or property of their respective owners.

米光 僕も『はぁって言うゲーム』(5)を個人的な悩みから作りました。

『はぁって言うゲーム』

5 『はぁって言うゲーム』 ©幻冬舎

古市 どんな悩みですか?

米光 僕、下がり眉毛で。仕事仲間から「どう思いますか?」と聞かれたときに「いいんじゃない?」と答えているのに「ダメだと言われたのかと思った」と真逆に捉えられることが多くて。どうしたらちゃんと伝わるだろう……と悩んでいるときに「違う意味に聞こえることを逆手に取ってみよう」と思いついて、声と表情だけで同じフレーズを表現し分けるゲームを作りました。あと、秋にリリース予定の『As Long As You’re Here』6)という認知症体験ゲームにも期待しています。知らない間にマグカップがあるべき場所から消えていたり、身に覚えのない話が進んでいたり……結構戸惑います。認知症の方の日常がリアルに伝わる設計になっていて、考えさせられました。

『As Long As You’re Here』

6『As Long As You’re Here』 ©Autoscopia Interactive

古市 座学では受動的に情報を詰め込むだけですが、ゲームでは「自分が決めた行動」の結果を体感しながら、主体的に学びを深められますよね。シリアスゲームはまさにそういったゲームの魅力を勉強や治療、防災訓練の場に役立てるもの。

私が開発した『Line Ho!ckey』7)は、ゲームを通して子どもたちに協調性を体験で学んでもらうために作りました。大きなタッチパネルのテーブルを使って2人1組で遊ぶホッケーゲームなのですが、息を合わせないとパックを打ち返すことができません。熱中するうちに、相手と息を合わせる方法を考えるようになる。「友達と仲よくしましょう」と言うことは簡単ですが、それを自分の中でコミュニケーションに落とし込んでいくのが苦手な子どももいます。ゲームの楽しさや没入感は、何かを学ぶ際に有用性が高いと思っています。

『Line Ho!ckey』

7 『Line Ho!ckey』©古市昌一研究室

米光 今の話で思い出したんですが、10年ほど前までボードゲームは相手側のライフを奪うような攻撃的な内容が多かったんですね。でも、今は「プレイヤーが協力して何かをクリアする」協調型ゲームが人気。直接相手を攻撃することが減っていて、コミュニケーションのためのツールとしての側面も増しているように思います。

楽しいからこそ、振り返りを大切に

近藤 ただ、ゲームは「楽しすぎる」ので、気をつけないといけないとも思っています。どんなに素晴らしいゲームでも作っているのは神様ではなく人間。クリエイターの意図や価値観が反映されるので、没入しきらないことも必要だと感じます。

米光 「楽しすぎる」ゆえに、クリエイターに悪気がなくとも注意は必要。コロナ禍で流行った『パンデミック』8)は、拡大する感染症の根絶を目指すゲームです。世界中でヒットしたとても面白いゲームなのですが、個人としてはちょっと気になる点があって。ゲーム上で効率よくワクチンを作るためには、一部地域を「切り捨て」たほうがいいんです。交通網が発達していない場所で時間を使ってしまうと感染拡大を抑えきれない。「本当にこれでいいのかな?」という後味の悪さがあって批判的な視点でプレイすることも大切だなと思います。

『パンデミック』

8 『パンデミック』 ©2013 Z-Man Games.Pandemic, Z-MAN Games, and the Z-MAN Games logo are ®of Z-MAN Games.

古市 プレイを通じて「自分ならどう決断をするか」「これで本当にいいのか」と立ち止まる、気づきを促す仕掛けや、モデレーションを機能させるのはゲームの重要な役割ですね。メタ認知、つまり自分自身の考えや行動を一歩引いて見直す力も育める。

近藤 「ここはいただけないな」「違うやり方にしたらもっと面白くなるんじゃないか」と思ったら、自分たちで独自ルールを作るという姿勢もあっていいと思います。

失敗してもOK! それがゲームのいいところ

近藤 私はゲームをしていて「失敗する」のが好きなんです(笑)。「死んでゲームオーバー」となるわけですが、これってゲームだからできること。

古市 「失敗から学ぶ」は、学習理論でも定番。気軽に失敗できるので失敗への耐性もつきます。

米光 それはありますね。実は、ほとんどのゲームは最後までクリアした人って少ない。多くの人が途中でやめている。達成しなくても過程が楽しい。達成だけが人生じゃないと気づかせてくれる(笑)。

近藤 ゲームってプレイヤーは遊ぶ側でもあり、作る側でもあるんです。だから主体的な経験になるし、内容が頭や心に残る。

古市 楽しみながら学べますよね。30年シリアスゲームの研究を続けてきましたが、ゲームというスキームを使うと子どもはもちろん、大人も生き生きするんですよ。もちろん、どんなに目的が崇高でもゲーム自体が楽しくないと盛り上がらないのですが。

米光 学びは楽しくないと頭に入ってきませんよね。学校教材でもゲーム性のあるものは取り入れられてきましたが「ミニゲームをクリアしたら英単語が出てくる」みたいな「あれ、全然楽しくない……」と思ううものも多かった。ゲームクリエイターとして教育の場でも何かやりたいですね。

近藤 ゲームを作る人ももっと増えるといいなと思います。自分の中にあるモヤモヤした言葉にできない感情を形にする行為って「救い」になると思うんです。エッセイを書くことが流行っていますけど、同じような気持ちでゲームを作ってもいいと思う。いろいろな人の個人誌を体験してみたい。

古市 悩みや課題は人それぞれ。いろんな人がゲームを作ったりプレイしたりすることで、誰かの心情を深く理解したり、悩みや課題を解決したりできるようになっていけば、社会がいい方向に動いていく一助になるように思います。

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話してくれた人
右・古市昌一さん
中・米光一成さん
ゲーム作家。代表作『ぷよぷよ』『BAROQUE』『はぁって言うゲーム』『想像と言葉』。著作に『仕事を100倍楽しくするプロジェクト攻略本』(ベストセラーズ)など。
左・近藤銀河さん
アーティスト、美術史家。西洋美術を研究するかたわら、ゲームエンジンやCGを用いた作品を発表。著作に『フェミニスト、ゲームやってる』(晶文社)など。

Chapter3 シリアスゲームを実際に体験してみた

1作目 『マイ・チャイルド・レーベンスボルン』

第二次世界大戦後のノルウェーを舞台にナチスによる「レーベンスボルン(生命の泉)計画」で生まれた子どもを養子として迎えるシミュレーションゲーム。親の立場で、いじめや貧困などの困難と向き合う。子どもの小さな表情や反応、限られたお金や時間のやりくりなどこまやかな体験を通して、親になることと繰り返してはいけない史実を学べる作品。

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1 未就学児を引き取るところから物語はスタート

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2 食事、睡眠、愛着などの指標があるが、時間に追われ、すべてを満たすことは困難

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3 必要なものも与えられない逼迫した経済状況が続く

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4 真相は史実とともに解き明かされていく

近藤:
子育ての大変さの片鱗がわかるゲーム。食材を買って、ごはんを作って、食事をして、お風呂に入れて、としていたら、すぐに就寝時間に。望むことを全部やってあげられずやきもきしました。「レーベンスボルン計画」後の難しさについても痛感。出自でいじめられる子どもに対して、どんな言葉をかけてあげるべきか……。安易に「よくなる」なんて言えない。悩んでいても時間が進んでいくところもリアルです。

西條:
シビアな経済状況でやりくりする大変さを体験できますね。子どもと遊んであげたいけれど、お金を稼がないと生活もままならない。選択肢も絶妙。「最適解」が存在せず、プレイヤーに葛藤を感じさせるものが多いと感じました。前向きな言葉がその場しのぎだったり、現実的な言葉で子を傷つけててしまったり。子どもへの悪い結果もプレイヤーに引き受けさせる設計には、大人としての責任を感じさせられました。

 

2作目 『ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』

鼎談の参加者・米光一成さん考案の「ジャーナリングRPG」。ゾンビがあふれる終末世界を舞台に参加者が自分の日記(ジャーナル)を書きながら物語を進めるゲーム。プレイヤーは、限られた資源や仲間の安否、恐怖や葛藤に悩みつつ、自分の手で物語を紡いでいく。ロールプレイによる協力・対立が生まれ、物語は想像以上に多彩な展開へ。

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1 設定書と書き込みシートとカードがセット

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2 カードを引くと状況が決まる

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3 「西條さんがいなくなる」という状況に物語をつけていく。取り乱す近藤さんとポジティブな西條さん

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4 納得できるエンドを目指し展開を考える

近藤:
カードを引くことで設定が決まり、その隙間を自分で綴っていくゲームは、まったく新しい体験でした。「お互いに疑心暗鬼になる」というお題が出たときは「どうしよう!?」と思いましたね。私はネガティブなのでどんどん悲観的になってしまうのですが、西條さんのポジティブな提案で、自分では想像もできないようなラストになったことが新鮮でした。まるで作家になったような気持ちになれるゲーム設計に感動しました。

西條:
思わず展開を考えたくなる指示や設定が多いので、複数人でプレイするとそれぞれ考えや好みの違いが表れて特に楽しいと思います。誰とプレイするかでも内容が変わりそうですね。一人でプレイしても、自分ならどう動くか、何を望むかを考え続けることになり、自然と「文章を書ける」ようにできていると感じました。プレイヤーの創造性をうまく引き出してくれるゲームだと思います。

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プレイした人
(左)近藤銀河さん
(右)西條玲奈さん
東京電機大学教養教育センター人文・社会系(工学部所属)助教。専門は分析フェミニズム、ロボット倫理学。

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