【デフリンピック】を支える人々から大会を知る。「手話言語の奥深さ、楽しさを感じてほしい」

耳のきこえないアスリートのためのオリンピックが今秋、日本で初開催される。スポーツ手話言語通訳と大会運営、裏方としてデフリンピックをサポートする関係者が期待するものとは?

耳のきこえないアスリートのためのオリンピックが今秋、日本で初開催される。スポーツ手話言語通訳と大会運営、裏方としてデフリンピックをサポートする関係者が期待するものとは?

手話通訳士 佐藤晴香さん

福祉の手段ではなく手話言語の奥深さ、楽しさを感じてほしい

手話通訳士 佐藤晴香さん

手話通訳士の佐藤晴香さんは、現在日本デフ水泳協会のサポートスタッフとして、強化合宿や大会などに関わっている。

「手話に初めて触れたのは大学1年生のとき。小学生時代は競泳、中学・高校では水球に打ち込んでいたので、何か新しいことをしたいと思い、手話サークルに入りました。そこで仲よくなったろう者の友人との出会いが、手話への関心が高まったきっかけです。ろう者に伝わる手話を習得したくて、大学の講義や民間の講座、ろう者が集まるイベントなど、さまざまな催しに参加して学びました。交流を通して、手話は固有の文化を持つ言語なのだと強く思うように。

日本手話は、日本語と文法が異なります。それに空間を使って同時に複数の出来事を表現できる手話のユニークさに触れ、世界の捉え方が根本から違うと実感しました。何げなく目にした光景ですが、大学2年生時の、ろう学生が主体の合宿で、大浴場の情景を細部まで映像のように記憶し、全身で語るろう者の姿に衝撃を受けたんです。聞こえないことは"できないこと"ではなく、世界の見え方が違うことだと気づいた瞬間でした」

手話通訳士 佐藤晴香さん

デフ水泳以外にも、さまざまな現場で手話通訳者として活動する

佐藤さんいわく、手話通訳は手話を習得するだけでは務まらないという。

「異なる文化や捉え方の違いを踏まえた上で、正確かつ瞬時に翻訳するスキルが求められます。あとは、臨機応変にどれだけ対応できるか。現場によって求められることが違うので、手話通訳者である限り自己研鑽を続ける必要があります」

デフ水泳の現場には、日本デフ水泳協会のアスリート理事である金持義和選手から声をかけてもらい、2022年から関わるようになった。

「強化合宿や大会帯同では、コーチの練習中の指示からメディア対応、スタッフ同士の会議まで幅広く通訳します。自分の競技経験が専門用語の通訳、選手への声かけや寄り添いに役立つことも。私自身も小学生のときにスランプを経験しているので、調子がよくない選手たちの気持ちも痛いほどわかりますね」

手話通訳士 佐藤晴香さん

デフ水泳のトレーニング現場。きこえる人のトレーナーや指導者が自身で実演して見せながら、声で説明する際にデフアスリートに向けて手話通訳を行う

そんな佐藤さんが活動の中で心がけているのは、おせっかいをしない、選手やスタッフの役割を奪わないこと。

「どんなに現場が忙しくても、手話通訳者が質問に直接答えてしまうと、選手の自主性やスタッフの仕事を奪ってしまう。だから、答えを知っていても担当者につないで、あくまで通訳に徹します。ただ、サポートスタッフとして、意思疎通が円滑にできるよう、自己判断で対応しなければならない場面もある。そのバランスは常に試行錯誤しています。

先日の大会で、普段は主に音声でコミュニケーションを取っている、聞こえにくい小学生の選手が取材を受ける際に「手話通訳をつけてほしい」と自ら希望したんです。その場面での自分のニーズを認識し、意思表示できるようになった姿を間近で見て、うれしくなりました。そんなふうにやりがいを感じる場面もありますが、スポーツの現場で通訳が終わったあとは、通訳の仕方がベストだったのか、対応が間違っていなかったか……と一人で、時にほかの通訳者やスタッフと振り返りをします。一方通行の通訳ではなく、正解がないからこそ、 日々模索できることもモチベーションに。 また、 日本中から職業も年齢も異なる選手やスタッフたちが集まり、同じ目標を持って協力し合い、切磋琢磨できる環境にも魅力を感じています」
最後に、東京2025デフリンピック開催に向けた思いを伺った。

「デフリンピックがろう文化を知るきっかけとなり、大会に向けての関心や盛り上がりが、その後も続くといいなと思っています。また、スポーツ分野での手話通訳者は不足しているので、関心を持つ人が増えるとうれしいですし、手話通訳者を職業として広く認識してほしいです」

手話通訳士 佐藤晴香さん

手話は空間を表現媒体として活用し、手指や上半身、顔の動きなどで構成される視覚言語。 単語に加え、程度や大きさ、方向などの位置関係を同時に示すことができ、多様で豊かな表現が可能

佐藤晴香さんプロフィール画像
手話通訳士佐藤晴香さん

さとう はるか●東京大学先端研究センター・熊谷晋一郎研究室に学術専門職員として所属。デフ水泳のサポートスタッフなど多方面で活動する。

全日本ろうあ連盟 事務局次長、デフリンピック運営委員会事務局長 倉野直紀さん

ろう者ときこえる人の間にある壁を越えて大会を築く。初の試みが新たな共生の道へ

全日本ろうあ連盟デフリンピック運営委員会事務局長の倉野直紀さん

過去最大規模となる東京2025デフリンピック。その運営の中心に立つ、全日本ろうあ連盟デフリンピック運営委員会事務局長の倉野直紀さん。
 「本大会では、"大会そのものを共生社会のモデルに"という思いから、これまでのデフリンピックとは異なり、きこえる人とともに運営する新しい方法を取り入れました。過去のデフリンピックは、ろう者だけで運営してきた歴史がありました。それはきこえない人だけでも大会を運営できる、ということを示す大きな意味を持っていましたが、一方で社会との間に壁をつくってしまう側面も。今回はその壁を壊したいと考え、運営委員会は半数以上のろう者に加え、きこえる職員が加わり、手話通訳を介して日々調整を進めています」

東京2025デフリンピックには、世界各国から約6000人の選手・スタッフが集う。2017年のサムスン大会は約5000人、2021年のカシアスドスル大会はコロナ禍にもかかわらず70カ国以上が参加したが、それを上回る史上最多人数の参加が見込まれている。まさに100周年にふさわしい歴史的な大会である。

 「2017年のサムスンデフリンピックを視察したとき、親子連れで会場が埋まり、毎日満員の観客が選手たちに声援を送っていたのが印象的でした。そのとき、教育を通じて社会を変えられる、と確信。そこで日本でも同じように、さまざまなデフアスリートの力を借り、小中学校を訪れて、手話言語やデフスポーツの普及に注力しました。

そのかいあってか、今大会でのボランティアスタッフの参加は予想をはるかに上回り、当初3000人を予定していた募集枠に1万8000件を超える応募がありました。募集要項で手話言語ができることを条件とせず、幅広く参加を呼びかけたことで、多様な背景を持つ方々が集まる結果に。多くのボランティアスタッフの皆さんの協力があり、大会が着実に成功に向かって進んでいると思っています」

海外からの視察団がデフボウリングの会場となる東大和グランドボウルを見学

海外からの視察団がデフボウリングの会場となる東大和グランドボウルを見学し、相互理解を深めた

そんな中、大会準備の過程で運営委員会を悩ませたのは、国際手話通訳者の確保だった。世界中からデフアスリートや聴覚障がいのあるスタッフが集まることが予想される中、円滑なコミュニケーションのために、欠かせない存在だ。
「育成に力を入れるべく2年前から研修を重ねたことで、現在は全国で約100人規模に届くほどに。さらに日本独自の音声認識技術を活用し、会場や観光施設に文字起こしできるアプリを設置する計画も進んでいます。手話言語や口語、音を可視化する技術を組み合わせ、誰もがアクセスしやすい環境に。

現在は、世界中から訪れる選手や関係者、観客を、日本のおもてなし文化で迎える準備が進行中です。たとえば、『デフリンピックスクエア』という多くの人々が楽しめる拠点をつくり、最新技術を活用したユニバーサルコミュニケーションや芸術文化などを体験できるプログラムを開催予定。手話言語やろう者の文化を通して、各国の選手と市民が交流する場になると考えています」

「みえるアナウンス」

「みえるアナウンス」は、専用アプリ不要で、駅構内アナウンスを多言語化・文字化できるサービス。デフリンピックの開催を見据えて、東京メトロ171駅(他社管理委託駅を除く)で導入される

2022年9月、オーストリアのウィーンで行われた国際ろう者スポーツ委員会総会。100周年となる大会の開催地は、満場一致で承認された。それほど東京という場所へ向けられた海外からの期待は大きく、運営チームの挑戦は佳境を迎えている。

「今回のデフリンピックを通して、きこえない人たちが身近にいることを意識してもらいたい。それが未来を変える小さなきっかけになります。全国各地で開かれる開催前のイベントで、日本代表に向けた応援メッセージをいただきました。それを読んだとき、皆さんの期待値を改めて感じることができ、デフリンピックを日本で開催できてよかったなと。大会が終わっても記憶に残り、社会に小さな変化があるようなデフリンピックを目指します。日本から新しい共生社会の姿を示したいです」

「デフリンピックスクエア」

大会運営本部やメディアセンター、練習会場など多様な機能を集約する拠点「デフリンピックスクエア」。国立オリンピック記念青少年総合センターに設置

倉野直紀さんプロフィール画像
全日本ろうあ連盟 事務局次長、デフリンピック運営委員会事務局長倉野直紀さん

くらの なおき●15年前に全日本ろうあ連盟理事に就任。スポーツ委員会事務局長を経て、2017年から3大会連続で日本選手団総務を務めた経験も。

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