【デフリンピック】を知っていますか? 出場アスリートが懸ける想い

耳のきこえないアスリートのためのオリンピックが今秋、日本で初開催される。デフスポーツ界をけん引し、今大会での活躍も期待される二人のアスリートが語る

耳のきこえないアスリートのためのオリンピックが今秋、日本で初開催される。デフスポーツ界をけん引し、今大会での活躍も期待される二人のアスリートが語る

デフ卓球 亀澤理穂選手

粘り強さを武器に、20年の集大成として挑む

デフ卓球 亀澤理穂選手

過去、デフリンピックに4大会連続で出場し、銀3個、銅5個のメダルを獲得した亀澤理穂選手。東京2025デフリンピックでは「これまでに培ったすべてを懸けて、金メダルを狙いたい」と決意を語る。

「両親の影響で小学生のときに卓球を始め、近所の体育館でラケットを握るように。その後、中学2年で強豪校へ転校し、本格的にデフ卓球の世界に進みました」

デフ卓球はルール上、補聴器を外して戦う。音のない世界に、最初は戸惑いがあった。

「競技を始めた当初は、ボールの音が聞こえないのでタイミングをつかめず、孤独を感じることも。でも練習を続けていくうちに、視覚だけでボールの回転や相手の表情を読む集中力が身につきました」

台北2009デフリンピックに初出場し、見事、団体と個人の両方でメダルを獲得した。

「表彰台で日の丸が掲げられた瞬間は鳥肌が立ちましたね。自分自身も感動しましたし、周りもすごく喜んでくれたことが忘れられません。個人戦はすべてを自分で背負う緊張感がある一方、団体戦では仲間と一丸となる喜びがあります。ベンチでは笑顔を絶やさず、仲間を視覚で鼓舞するのも、団体戦ならではの醍醐味。両方を経験できるのが、卓球の面白いところです」

デフ卓球 亀澤理穂選手 木村亜美選手

2023年の第4回世界ろう者卓球選手権大会では、木村亜美選手とダブルスで見事優勝を飾った

長年、世界の舞台に立ち続ける亀澤選手だが、一度は出産のために競技を離れた。今は母親としての日々が、戦う糧になっている。

「娘とは一緒にいられる時間が多くないからこそ、限られた時間を全力で楽しんでいます。遊園地や公園に出かけたり、寝る前に『今日も頑張ったね』と互いに声を掛け合うことも。親子というより姉妹みたいな関係性で励まし合っています。家庭と競技の両立は簡単ではないですが、『ママ、頑張ってね!』といつも背中を押してくれる娘や応援していただいている方の期待にこたえたいです」

そんな亀澤選手の持ち味は、ラリー戦の粘り強さだ。その姿勢は競技人生を貫く姿にも通じている。

「どんなボールでも諦めずに拾い続けます! 相手が根負けするまで粘るのが私のスタイルです。過去には、金メダルを目前に逃した経験もありましたが、諦めなかったから、ここまで挑戦を続けてこられました」

これまでの20年以上にわたる代表経験を振り返りながらも、彼女は未来をまっすぐに見据えている。

「自国開催のデフリンピックをこのタイミングで迎えられるのはすごく特別なこと。もちろん優勝が目標ですが、それと同時に、この大会を通して、社会が変わるきっかけになってくれるとうれしいです。身近に聞こえない人が存在することを理解し、まずは『おはよう』『ありがとう』といった一言から手話を知ってもらうことも、共生社会への小さな一歩につながると思います」

【デフリンピック】を知っていますか? 出の画像_3

(右)毎日交換している娘さんからのメッセージが元気の源 

(左)テンションを上げる鮮やかなネイル

亀澤理穂選手プロフィール画像
デフ卓球亀澤理穂選手

かめざわ りほ●1990年、東京都生まれ。国内外の主要大会で活躍し、デフ卓球界の発展に貢献。世界一に輝いた経験を持つ。住友電設所属。

デフサッカー 林 滉大選手

障がいの垣根を越えて自身のプレーで証明する

デフサッカー 林 滉大選手

©JDFA

俊足を武器にゴールへ迫る、林滉大選手。日本代表の攻守を支えるスピードスターは、今大会で飛躍の瞬間を狙う。
 「サッカーに興味を持ったのは2002年のW杯。テレビに映ったベッカム選手がかっこよくて、髪型まで真似しました(笑)。それから、5歳で地元のチームに入り、本格的にボールを追いかけるようになりました」

中学時代は聴覚障がいに関係なく、サッカーの実力を評価してもらえた。一方で、高校では耳が聞こえないことへの理解が乏しく、公式戦には一度も出られなかった。

「本当に悔しい3年間でした。でもサッカーが好きだったから、投げ出さずに続けられた。今振り返ると高校時代のその経験が、海外に挑戦するときの忍耐力や強いメンタルにつながっていると思います」

デフサッカー 林 滉大選手

その後、本格的にデフサッカーに踏み出したのは高校卒業の間際、日本代表候補合宿に誘ってもらったことがきっかけだった。

「自分と同じ聴覚に障がいのある仲間が集まっていて、すごく新鮮でした。そこでデフサッカーに興味が湧き、もう一度上を目指してプレーしたいと思い始めたんです」

林選手自身がターニングポイントになったと語るのが、サムスン2017デフリンピック。思うような結果を残せず世界との差を痛感し、その後、単身ドイツへ渡り、武者修行へ。当時、デフサッカー選手が海外チームに加わるのは前例のないことだった。

「海外選手に〝当たり負け〟しないように体力づくりやトレーニングを見直しました。プロ野球チームの助っ人外国人のように常に結果を求められる立場で、プレッシャーは大きいですが一試合ごとに学びがあります。きこえる人のサッカーは声で要求してボールをもらえますが、デフサッカーではそうはいきません。だから個々人の打開する力もより重要に。

一方で仲間同士で目を合わせたり、気配を察知してパスを渡し、ゴールが決まった瞬間の達成感は格別です。僕たちの試合を見て『耳が聞こえなくても、こんなかっこいいプレーができるんだ』と思ってもらえるとうれしいです。そして、同じような境遇の子どもたちに、自分にも輝ける場があるということを示したいですね。最近は、育成の場も増えてきました。僕らが結果を残して、次の世代がより恵まれた環境で競技ができるよう、つなげていきます」

2023年W杯の銀、2024年アジア太平洋ろう者競技大会の金、2025年欧州デフチャンピオンズリーグの金メダル

右から、2023年W杯の銀、2024年アジア太平洋ろう者競技大会の金、2025年欧州デフチャンピオンズリーグの金メダル

林 滉大選手プロフィール画像
デフサッカー林 滉大選手

はやし こうだい●1996年、埼玉県生まれ。スピードを武器に攻守で存在感を発揮するMF/FW。現在はメルカリとアスリート契約を結ぶ。

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