それが自分らを挑発する笑いであることに気付いた白シャツの一人が、顔を歪めて正面から女に飛び掛かった。 One of the white shirts, who understood her smile as a gesture of defiance, scowled and made a run at her.
「シッ」 空気を割くような音が、女の歯の間から漏れた。 Whoosh. A sound like a blade slicing through the air came through her teeth. (『ババヤガの夜』p.6、『The Night of Baba Yaga』p.6より)
翻訳とは意味を訳すのではなく作品の雰囲気を再現すること
世界最高峰のミステリー文学賞として知られるイギリスのダガー賞。今年、その翻訳小説部門を王谷晶さんの『ババヤガの夜』の英訳、『The Night of Baba Yaga』が受賞した。翻訳したのは、アメリカ人翻訳家のサム・ベットさん。英語圏での人気が高く、作者の王谷さんも授賞式で「日本のローカルな要素をこまやかに英訳してくれたサムさんに感謝したい」と述べていたように、本作の海外人気は訳者の力による部分も大きい。
「夏に日本のコンビニで花火が売っていたんですが、『煙少なめ、遊びやすい花火』と書かれたポップがあって、これを英訳するのは難しいなと思いました(笑)。侘び、寂びみたいに該当する英語がないということではなく、日本語の文法が英語とはあまりに違うんですね。じゃあ、どんな意図があるのかを考えると、近所迷惑にならないという日本社会的な背景を理解した上で欧米の文化で伝えるなら、子どもが煙を吸いにくくて安全、というニュアンスかなと。だとすると『Great for kids』みたいな訳がいいのかなと思いました。同様に小説でも何が一番大事なのかというところまでたどり着かないと、本当のことは伝えられないということです。だから翻訳をするときは毎回、作家さんと何百時間も対面するような、深いところの読書をしている感じです」
Sam Bett●1986年生まれ。マサチューセッツ大学卒業。2015年、第2回JLPP翻訳コンクールで最優秀賞受賞。2019年、三島由紀夫『スタア』で日米フレンドシップ・コミッション日本文学翻訳大賞受賞。英米からの評価が高い川上未映子の『ヘヴン』や『すべて真夜中の恋人たち』はデビッド・ボイドとの共訳。