私はこう観た! 映画『サブスタンス』。叶 美香さん、リヴカ・リベラさん、伊藤亜紗さんがレビュー【ネタバレあり】

叶 美香さん、リヴカ・リベラさん、伊藤亜紗さん、まったく異なる職業の3人が、映画『サブスタンス』をそれぞれの見地からレビューする。

叶 美香さん、リヴカ・リベラさん、伊藤亜紗さん、まったく異なる職業の3人が、映画『サブスタンス』をそれぞれの見地からレビューする。

叶 美香さん

叶 美香さん

美しさはその人の生き方。皆さんそれぞれに違うのです

姉の恭子さんとともにファビュラスな美を体現し、長い間人々を魅了する叶姉妹。20年ほど前から映画のコラムを連載しているほど、多くの作品を観ているという美香さんは『サブスタンス』をどのように受け取ったのだろうか。「エンターテインメントとして、とてもうまくできていると思います。斬新で、進化を味わえる作品ではないかなと。さすがだと思ったのは、デミ・ムーアの正面からの全裸姿。そこには微塵のいやらしさもない」

ただ主人公を含め共感した部分を聞くと「まったくありません」と即答。

「わたくしたちは自分たちの世界観で生きております。たくさんの映画を観ていて、共感はしなくともなるほどなと、俯瞰で見て楽しみや学びを感じることはあります。“人と比べないこと”はわたくしたちが発信する大切なキーワード! 約15年ほど前の姉の著書、『叶恭子の知のジュエリー12ヵ月』にも、まさしくそのことについて丁寧に書かれております」

そして「美しくあること」は努力というより、日常の習慣からであると言う。「24時間叶姉妹時間で過ごしております。わたくしにとっては毎日の丁寧な生き方、自分への慈しみ、自分との対話、そうして自分を知ることが美につながっているのだと思います。1日5食、その一食一食はそのときの状況によって食べるものや分量などもちろん毎回同じではありません。長年自然と計算し尽くされたものが自分たちの体に入り血となり骨となり思想となってお肌のハリや艶になっていくのでしょう。そうすることで顔の表情や全身の所作までが違ってくるのだと姉に言われ、私も実践しております」。美は自分のためであると同時に、人それぞれ違うものだ、とも語る。「美しさとは外見だけではなくて、内面からにじみ出てくる人となりや経験、その人の生き方だと思います」

叶 美香プロフィール画像
叶 美香

セレブリティライフスタイルプロデューサー。老若男女問わず高い支持を得ている。2021年にスタートしたポッドキャスト「叶姉妹のファビュラスワールド」ではMCを務め、常に上位をキープ。2023年〜たかの友梨ビューティクリニックのアンバサダーに就任。

リヴカ・リベラさん

リヴカ・リベラさん

果てしない利益追求の構造に重ねて

加速した資本主義に対する批判的なレンズを通して映画をレビューするポッドキャストが人気を集めるリヴカ・リベラさん。その独特な視点から『サブスタンス』を語った。「冒頭ウォーク・オブ・フェイムを作る労働者が登場し、後半には白髪の株主が出てくるように、実によく資本主義の階級構造が描かれています」。なかでもリヴカさんの注意を引いたのが、主人公エリザベスの部屋を掃除する女性。

「彼女もエリザベスも、掃除やエクササイズで、体と時間を商品として差し出す労働者。しかしふたりは同じ空間にいるのに、目すら合わせない。その分断された状況は、カール・マルクスが言うところの“疎外”を感じさせます」。

疎外とは資本主義下で労働者が自分の人間らしさ、自分の生産物、他者とのつながりから切り離されてしまうこと。「自分への疎外も描かれます。エリザベスの体から自身の若い体スーが出てくる場面ではカメラはすぐさまスーの目線に切り替わり、古い肉体(エリザベス)が床に転がっているのを他者として眺める。自分への疎外が加速するあまり、最終的にスーは分身(エリザベス)の体を容赦なく打ちのめします」

印象的だったのは、プロデューサーがエリザベスにクビを宣告するシーンだと語る。「資本主義は、市場の需要をむさぼり食って、無限に新たな利益追求の場を生み出す性質を持っています。だから商品は“リミットが切れる”必要がある。彼は、エビの亡きがらを片手に、彼女の商品としてのリミットを語る。エビは、自分の体を商品として差し出すエリザベスたちのような女性労働者たちの象徴。彼は食い尽くしながら、新たなエビを探しているのです。

マルクスの『資本論』に次のような文脈があります。——資本とは死んだ労働(機械、道具、お金)であり、それは吸血鬼のように生きた労働を吸い続けることでしか生きられない——つまり資本家が果てしない利益追求で栄えるためには、商品に期限を設け、労働力を搾取し続ける必要があるんです」。それをより象徴するのが、スーが本来1週間である自分の体の持ち時間を不当に延長するために、エリザベスの体から次から次へとエキスを搾り取り、小瓶に入れていく場面だ。

「スーが最後の一滴まで搾り尽くす姿は、労働力や地球の資源をとことん搾取する現代社会に重なります。持続可能でないとわかっているのに、止められない。劇中エリザベスは、自分の選択でいつでも再生医療を終わらせることができると説かれる。つまり“自己責任”なのです。けれどこの構造的な利益追求の圧力に、誰が抗えるでしょう。私には彼女を責めることはできません」

サブスタンス イラスト

 では彼女はどうしたらよかったのか。「孤独なエリザベスに『問題はあなたではなく構造にあるんだよ』と語りかける人がいたら。あの掃除をする女性に相談していたら違った結果が生まれていたかもしれない。今、私は俳優仲間による読書会で、“アーティストは労働者である”という認識を促す活動を行なっています。でないと『好きだから無給でもいい』と、搾取されていることに気づかない。エンタメ業界のストライキの盛り上がりと相まって、その認識は浸透してきています」

Rivka Rivera(リヴカ・リベラ)プロフィール画像
Rivka Rivera(リヴカ・リベラ)

NY出身の俳優、劇作家、映像作家。出演作に『The Same Storm』(’21)など。Signal Awardsを受賞したポッドキャスト「Movies vs. Capitalism」の共同ホストとして、100作以上の映画批評を行う。

伊藤亜紗さん

伊藤亜紗さん

美しくなければ、居場所がなくなる

さまざまな身体を持つ人へのインタビューをもとに研究する伊藤亜紗さん。著作では障がい者の感覚など具体的なケースを描きながら、興味深い考察を行う。そんな伊藤さんは『サブスタンス』のテーマ“美醜”をこう解釈する。

「この映画では、若くて美しい人は『ここがあなたの居場所で、みんながあなたのことを好きになる』と言ってもらえる。逆に年をとって醜いとされると、居場所がなくなるんです。

それで思い出したのが、60年代から70年代のアメリカで、黒人たちが社会運動において『ブラック・イズ・ビューティフル』と宣言していたこと。差別的背景からそれまで社会で黒人は“醜い”とされ、自分たちも醜いと思わされていました。でもそうではなく、カーリーな髪やメリハリのある体型、黒い肌が美しい——それが“ブラック・パワー”の主張のひとつだったんです。

当時の文献を見ると、“コンフォタブル”という言葉がよく使われていて。醜いと思わされているときは、その体に安心していられない状態。この体だと攻撃されるかもしれない、不利益を被るかもしれないという緊張感が常にある、“アンコンフォタブル”な状態なんです。そう考えると“コンフォタブル”は身体感覚的な言葉であると同時に社会的な言葉だと気づきました。

当時の有名な小説にトニ・モリスンの『青い眼がほしい』がありますが、そこでは黒人の女の子が不幸のすべての原因は自分が醜いからだと思い込む。そして『サブスタンス』と似てるんですが、彼女は魔術師のところへ行き、青い眼を手に入れる。ただそれは精神の崩壊を暗示している。『醜い』という洗脳により自己肯定感が下がると、自ら醜い行動をとってしまうんです」

サブスタンス イラスト

そうしたルッキズム、エイジズム、セクシズムが、自分の中にもあるからこそ苦しいということを見せる映画だとも語る。「前半の脱皮のシーンには、まさにアンコンフォタブルな、この体から逃げたいという切実さを感じます。心理学的に分析すると、自分の中の差別的な視点ということかもしれない。映画には男性中心的な社会を批判するフェーズもありますが、その同じ矢が自身にも向かっている。女性の賞味期限みたいな話はよくないと思いつつ、その価値観が自分にもあるという苦しさ。障がいがある人の中にも、障がい者差別の意識が自分の中にあって苦しいと言う人がいます。『障がい者に見られたくない』と。この映画はそういったダブルスタンダードを極端な形で表現しているから、実感があるんです」

最後に登場するモンスターも伊藤さんにとっては痛い存在だった。「あのモンスターを、私はリアルだと思いました。あの場面に、前半のオーディションでのセリフが重なります。『体の部分があるべき場所に収まっているか』という会話なんですが、あるべき場所に収まっていない人は大勢いる。指が6本あるとか、背骨の側弯症だとか。あの描写に傷つく人はいるんじゃないかと思います。私は傷つきました。モンスターやフリークというのは、障がい者に侮蔑的に使われる言葉なんです。個人的にはあのモンスターに非常に感情移入したし、現実離れしたシーンには思えませんでした」

伊藤亜紗プロフィール画像
伊藤亜紗

東京都出身の学者。東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授。専門は美学、現代アート。著書に『記憶する体』(春秋社)、『きみの体は何者か——なぜ思い通りにならないのか?』(筑摩書房)、『どもる体』(医学書院)ほか。

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