生年月日:1961年7月1日
出身:イギリス・サンドリンガム
身長:178cm
瞳の色:ブルー
髪の色:ブロンズ
ノーフォーク州サンドリンガムの貴族の家に生まれた、ダイアナ・フランシス・スペンサー(享年36)。1970年にノーフォークの寄宿学校に入学し、その後ケント州の寄宿学校に転入している。1975年にスペンサー伯爵位を継承したことで、レディ・ダイアナ・スペンサーの称号を得る。
ふたりの馴れ初め
1977〜78年当時、チャールズ皇太子と交際していたダイアナ妃の姉レディ・セーラ・マッコーコデールを通し、この頃ふたりはすでに出会いを果たす。1979年に王室のサンドリンガム邸のパーティでチャールズ皇太子と再会したダイアナ妃は、その後若干19歳にしてチャールズ皇太子と婚約し、20歳で結婚。式はセント・ポール大聖堂で結婚式を執り行った。その様子がテレビ中継されており、世界中の約7億5000万人もの人々が視聴していた。
ウェディングドレス姿
ダイアナ妃のウェディングドレスを手がけたのは、デイビット・エマニュエル&エリザベス・エマニュエル夫妻。ダイアナ妃からの直々に依頼を受けたというのは有名な話。ボリュームたっぷりのシルクドレスに、18世紀以来スペンサー家の家宝となっているティアラ、ロングヴェールに身を包んだドレススタイルは、今なお世界中の花嫁の憧れとなっている。
1996年8月に離婚が成立
結婚生活の中でウィリアム王子、ヘンリー王子というふたりの息子を授かるも、別居生活を経て1996年8月に離婚が成立。離婚後はもとより関心の高かった慈善活動により一層注力していたが、36歳の若さでこの世を去る。ファッションアイコンとして、慈善活動家として、今なお多くの人に愛され続けている。
1986年5月8日(現地時間)、大阪国際空港着の特別機で来日されたダイアナ妃とチャールズ皇太子。チャールズ皇太子の来日は1970年の大阪万博以来となり、実に16年ぶりとなった。多くのロイヤルファンが駆けつけ、笑顔で手を振るダイアナ妃に対し、喜びの表情を浮かべた。
交通事故によりこの世を去る
1997年8月31日(現地時間)、ダイアナ妃は、当時の運転手アンリ・ポールの飲酒運転により引き起こした交通事故で、36歳の若さでこの世を去った。車には、当時ダイアナ妃と恋人関係にあると噂されていたエジプト出身の大富豪ドディ・アルファイドとボディガードの姿も。深夜0時過ぎ、パリのアルマ橋下のトンネルで時速約112キロで突入し、コントロールが利かなくなった車は、トンネル内の柱に衝突。大きな事故を引き起こした。
ポールとドディはその場で死亡が確認され、ダイアナ妃は搬送先の病院で息を引き取った。この事故で唯一の生存者が、ボディガードのトレヴァー・リース=ジョーンズ。そして彼のみがシートベルトを締めていたという不可解な事実も追って明らかになる。
写真を撮り続けたパパラッチ
当時、世界で最も有名だったと言っても過言ではないダイアナ妃が、四六時中パパラッチに追われていたことは想像に容易い。しかし、パパラッチたちが事故現場に遭遇しながらも救いの手を伸ばすことをせず、写真を撮り続けていたという衝撃の事実も。事故後、7人のフランス人フォトグラファーが逮捕され、警察の事情聴取を受けている。ダイアナ妃たちが乗っていたベンツを追いかけ、事故後に撮影を開始した9人のパパラッチも過失致死罪に問われたものの、結果は無罪となる。
最後の言葉
ダイアナ妃の最後の言葉を聞いたのは、事故現場に駆けつけた消防隊員のザビエル・グルメロン。「オー マイ ゴッド。一体、何が起こったの?」だったそうだ。状況把握がままならないまま、ダイアナ妃はその後心肺停止となってしまう。突如として偉大な人がこの世を去り、世界中の人々が嘆き悲しんだ。
20歳でイギリス王室の一員となって以来、その類まれなるファッションセンスで世界中を魅了したダイアナ元妃。今なおアイコンとして愛され続けるダイアナ元妃が後世に残したものの一部は、時代を超えてキャサリン妃やメーガン妃の手へ。数ある貴重なアイテムのなかでも特段豪華と言われているのが、そのジュエリーコレクションだ。
ダイアナ元妃が生前に書いたと言われるウィッシュ・オブ・レターには、「私のジュエリーは息子たちのために保管してほしい。彼らの妻たちが所有するかもしれないから。配分は彼らに任せます」と記されていたというエピソードが。
そんな母の遺志を受け継ぎ、愛する妻へジュエリーをプレゼントしてきたウィリアム王子とヘンリー王子。ダイアナ元妃にも劣らぬファッショニスタとして注目を集めるプリンセスふたりは、大切なジュエリーをいつ、どのように身につけているのか? ジュエリーにまつわるエピソードや、現プリンセスふたりの着こなしにも注目したい。
チャールズ皇太子から贈られた婚約指輪は、12カラットのサファイアに14個のダイヤモンドがついたデザイン。ダイアナ元妃本人が、王室御用達のジュエラー、ガラードのカタログから選んだそう。価格は6万ドル(約650万円)と、王室ウェディングにしては格安!と話題に。
ダイアナ元妃が肌身離さずつけていたサファイアの婚約指輪はウィリアム王子の手に渡り、2010年、キャサリン妃にプロポーズした際に贈られた。キャサリン妃は婚約当時のインタビューで、「美しく特別な指輪を大切にします」と喜びを明かした。
1990年代後半、ダイアナ元妃のために王室御用達のジュエラーであるアスプレイが特別に作ったという、大きなアクアマリンのカクテルリング。実際にはリングとセットのブレスレットもあったが、そちらの行方は不明。
カクテルリングは、「結婚式のお色直しの衣装に合わせてほしい」とヘンリー王子がメーガン妃にプレゼント。2018年5月19日(現地時間)、メーガン妃は結婚式後のレセプションに向かう場面でこのリングを初披露。同年10月のロイヤルツアーにも着用している。
ケンブリッジ・ラバーズ・ノットと呼ばれるティアラは、1900年代初頭にメアリー王妃のために作られた。メアリー王妃から受け継いだエリザベス女王は、結婚祝いとしてダイアナ元妃に贈呈したが、チャールズ皇太子と離婚した際に返却された。
現在はキャサリン妃へと渡り、キャサリン妃は2015年から4年に亘り、外交晩餐会で披露している。なんとも美しい輝きを放っているが、じつはレプリカ。メアリー王妃は祖母オーガスタ・オブ・ヘッセ:カッセル(享年91)が所有していたティアラを基にオーダーしたそう。
1986年のロイヤルツアーでカナダを訪問した際にダイアナ元妃が着けていたのが、イエローゴールドのバタフライ・イヤリング。羽の上下で異なる石が施されており、同じデザインのバタフライがあしらわれたチョーカーも所有していた。
この愛らしいバタフライ・イヤリングを譲り受けたのがメーガン妃。妊娠祝いとして、ヘンリー王子がメーガン妃に贈ったと言われている。ロイヤルツアーで訪れたオーストラリアにて、妊娠を発表したときに身に着けていた。
3連パールに円形のダイヤモンドがついた上品なブレスレットは、ダイアナ元妃の実家スペンサー家に伝わるもの。1989年に公式訪問した香港にて、エルヴィスドレス(エルヴィス・プレスリーの衣装に似ていたことから、ダイアナ元妃が命名)に、このブレスレットを合わせた。
2017年7月のロイヤルツアーで訪れたドイツにて、3連パールのブレスレットを着用する姿をキャッチされたキャサリン妃。オールホワイトに合わせたダイアナ元妃とは対照的に、ダークグリーンのドレスをチョイス。シックなスタイリングを完成させた。
没後26年を迎えた現在も、多くの人々から愛され続けているダイアナ元妃。スタイルアイコンとして名高いが、王室での役割を「社会的弱者と向き合い、助けること」と掲げ、その生涯を慈善活動に捧げた英王室きっての活動家としても知られている。
そんなダイアナ元妃が英王室にもたらした変化のひとつが、人々と直接触れ合うために、グローブを着用しない公務スタイル。エイズやハンセン病患者と素手で握手をする写真は、これらの病気に対する偏見が根強くあった当時、世界中に大きな衝撃と感動を与えた。
また、チャールズ皇太子との間に授かったウィリアム王子とヘンリー王子への掟破りで熱心な教育方針は、現代のロイヤルファミリーの指標に。格式高いロイヤルファミリーの一員でありながら、ダイアナ元妃が望んだのは、あくまでも「普通の生活」。一般人の感覚を身につけさせるため、わずか2歳の息子たちを保育園に入園させ、テーマパークやファストフード店に連れていったというエピソードも。
ここからは、そんな彼女が英王室と世界にもたらした「10の革命」を、貴重な写真とともにプレイバック! 知れば知るほど、ダイアナ元妃のその情熱と人間的魅力に憑りつかれずにはいられない。
1.手袋を拒否! 民衆と言葉を交わし、素手で触れ合う
エリザベス女王が守り続けたように、手袋は英王室の女性の公務スタイルに欠かせないアイテムのひとつ。しかしダイアナ元妃は、これを拒否! その背景には、人々と素手で触れ合い、距離を縮めたいという想いがあったそう。
じつは、英王室のメンバーが民衆と握手をしたり、会話を交わしたりするのも、ダイアナ元妃が広めた行為のひとつ。その遺志はウィリアム王子&ヘンリー王子へと受け継がれ、現在ではよく見る光景に。
2.写真の影響力に着目し、偏見をなくすために活用
1991年4月、ブラジルの施設を訪問したダイアナ元妃。AIDS患者と素手で握手をする写真が当時、世界中でセンセーショナルに報じられた。
当時はHIV感染者・AIDS患者に「触れると感染する」と信じ誤解する人が多く、差別が社会問題に。そんな世間の誤解を正すべく、ダイアナ元妃は写真を通し世界に訴えかけた。
そして忘れてはならないのが、地雷廃止運動のために活動するダイアナ元妃の雄姿を捉えた、こちらの写真。1997年1月、ダイアナ元妃はBBCの取材チームとともに、内戦の影響で多くの地雷が残っていたアンゴラを訪問。地雷原を歩く姿を撮影させ、世界の関心を集めることに成功した。
3.海外公務に子どもたちを同行
子どもをロイヤルツアーへ連れ出すことは滅多になかったという英王室。そんな王室の慣例を変えたのもまた、ダイアナ元妃。
ダイアナ元妃とチャールズ皇太子が、生後9カ月のウィリアム王子を連れてオーストラリア&ニュージーランドを訪問すると、大ニュースに。その真意は明らかになっていないものの、育児と仕事を両立する新しい母親像を広めた、と讃える声も少なくない。
4.多くの慈善活動を支援し、情熱を注いだ
生前のダイアナ元妃が関わった慈善活動は、100件をゆうに超えると言われている。なかでも精力的に支援していたのが、王立マースデン病院(がん治療センター)の設立&運営、ホームレスチャリティセンター、ハンセン病団体、国立エイズ病院。
そんな彼女の遺志を受け継ぐのが、ふたりの息子とその妻たち。ウィリアム王子は2007年、王立マースデン病院の会長に就任し、主に小児がんの子どもたちをサポート。妻のキャサリン妃もまた精力的に活動しており、今では単身で現場を訪れるまでに。常に笑顔を絶やさず、親しみを持って人々と接する姿に、「ダイアナ元妃を彷彿する」という声も。
5.一般人の感覚を重んじた
ウィリアム王子とヘンリー王子を育てる上で、ダイアナ元妃が大切にしていたことのひとつが、「一般的な生活」を経験させること。ふたりに民衆と同じ感覚を身につけさせるためで、実際に、王子たちをディズニーランドやマクドナルドに連れて行ったことも!
こうした育児方針は、ふたりがそろって結婚相手に一般女性を選んだこと、ヘンリー王子が息子アーチーに王室の称号を使わないと判断したことなどに通じているのかも?
6.英王室の母親像を一新
保母として働いていた経験からか、出産・育児に対してかなり現代的な考えを持っていたと言われるダイアナ元妃。
そんな彼女がお産の場所に選んだのは、民間のセント・メアリー病院。それまでは宮殿内でお産することが主流だったため、ダイアナ元妃の決断を不安視する人が続出した。ちなみに民間の病院を選んだ理由には、「宮殿内の人々やメディアからの過度なプレッシャーを避けたい」という願いもあったとか。
それだけでなく、病院の外で出産会見を行うというサプライズまで! 出産直後に自ら子どもを抱いて歩く姿が世間に与えた衝撃は相当に大きかったようで、それまでのプリンセス像を見事に覆した。
ウィリアム王子が誕生した約2年後、ダイアナ元妃は同じくセント・メアリー病院で次男のヘンリー王子を出産。それから約30年の時を経て、同病院で3人の子どもたちを出産したキャサリン妃。もちろん出産会見もしっかり行い、ダイアナ元妃の想いをつなぎ続けている。
7.教育を選択することの大切さを広めた
王室の教育はナニーや家庭教師が行うものとされていたが、ここでも一般的であることを望んだダイアナ元妃。子どもたちがそれぞれ2歳になると、モンテッソーリ教育を取り入れたウェストエーカー・モンテッソーリ保育園に通わせた。
モンテッソーリ教育とは「子どもの自発性を重視する教育法」で、イタリアの教育家マリア・モンテッソーリが開発したもの。チャールズ皇太子との婚前に、モンテッソーリ教育を取り入れた幼稚園で働いていた彼女らしい選択といえる。ちなみに保育園は1時間あたり5.5ポンド(約990円)だったそうで、庶民的な価格も話題に。
その後、4歳からは私立のプレ・プレップスクール(幼稚園)に、8歳からは私立のウェザビー・スクール(小学校)へ進学した王子たち。公務と並行し、毎日欠かさず送迎をしていたダイアナ元妃に、多くの人々が感銘を受けたという。
8.王室メンバーの人間的魅力を強化
ダイアナ元妃が育児や教育を通して子どもたちに伝えたことは、ロイヤルファミリーである前に「ひとりの人間」であるということ。誰に対しても素直に接し、感情を表現する大切さを教えていたそう。
現在ふたりの息子が世間から愛されているのは、息子やその家族が、メディアや民衆に裏表のない親しみやすい対応をしているからなのかも。
ウィリアム王子が感情的になった出来事に、こんなエピソードがある。2016年4月、インド訪問中にキャサリン妃と共にタージ・マハルを訪れたとき、生前にダイアナ元妃が撮影した同じ場所で写真撮影に応じたふたり。撮影後、感極まったウィリアム王子が涙を流す様子が目撃されたとか。
9.英国ブランドを世界にアピール
スタイルアイコンとして語り継がれるダイアナ元妃だが、ただ高価なドレスやスーツを着用していた訳ではない。「英国のファッション界に貢献したい」と考えていたダイアナ元妃は、英国ブランドの服を積極的にチョイス。
とくにお気に入りだったというキャサリン・ウォーカーをはじめ、80年代の英国デザイナーたちが国際的な舞台で活躍できるようになった背景には、ダイアナ元妃の功績が少なくなかったと言われている。
ダイアナ元妃の遺志を受け継ぎ、公務で積極的に英国ブランドを取り入れているのがキャサリン妃。ファストブランドを着用する庶民派な一面もあれば、ダイアナ元妃を彷彿とさせるようなドレスルックやワンピーススタイルを披露してきた。そんなキャサリン妃は、キャサリン・ウォーカーはもちろん、エミリア・ウィックステッドやアーデムなどを好む。
10.自らの知名度とブランドを寄付の源に
クローゼットを整理していた母を見て、ウィリアム王子が「着ないならあげれば?」と提案したことがきっかけで、1997年6月にニューヨークでオークションを実現させたダイアナ元妃。このときに売却されたドレスは全部で79着にのぼるとか!
最も有名なのが「トラボルタドレス」と呼ばれるもので、ホワイトハウスで開催されたパーティでダイアナ元妃が俳優のジョン・トラボルタと踊ったときに着ていたブルーのベルベットドレス。ダイアナ元妃は、このオークションで400万ポンド(約5億円)を売り上げ、自身がチャリティに携わっていたエイズや癌の慈善団体に寄付した。
その後、「トラボルタドレス」は何度も競りにかけられたが、最近では、2019年12月にイギリスで行われたケリー・テイラー・オークションズに出品され、22万ポンド(約3,150万円)で落札されたそう!
2022年9月8日(現地時間)にエリザベス女王が崩御され、それまでダイアナ元妃の称号として親しまれていた“プリンセス・オブ・ウェールズ”を与えられることとなったキャサリン妃。そんなダイアナ元妃とキャサリン妃は、称号だけでなく、バックグラウンドにも共通点が多い。
ともに地に足のついたプリンセスとして国民に親しまれ、王族でありながら子育てにも積極的に参加。そしてダイアナ元妃への敬意が表されたキャサリン皇太子妃のファッションは、世界から大きな注目を浴びている。そんな国民に愛される“プリンセス・オブ・ウェールズ”のふたりの共通点と、瓜二つのファッションスタイルをご覧あれ。
ダイアナ元妃は伯爵のエドワード・スペンサー(享年68)を父に持つ名門貴族出身。とはいえ父が伯爵の称号を授かる14歳までは、一般的な家庭で過ごされたとか。また、キャサリン妃の両親は元航空会社勤務ののち、ファミリービジネスが大成功した大資産家の一般家庭。そんなバックグラウンドのためか、ダイアナ元妃もキャサリン妃も、地に足のついたプリンセスとして国民に親しまれている。
ダイアナ元妃がチャールズ国王と会ったのは16歳の時。当時は姉のセーラの彼氏として出会い、4年後の1981年に婚約を発表。そしてキャサリン妃とウィリアム皇太子は、2001年に入学したスコットランドのセント・アンドリュース大学で出会い、2年目に友人らと一緒に学生寮へ。そこで関係をグッと深めて、交際がスタート。2010年の婚約発表時には、ダイアナ元妃の婚約発表時に似たブルーのドレス、そして元妃から受け継いだサファイアの婚約指輪を披露し、世界から大絶賛を浴びた。
1981年にセント・ポール大聖堂で挙式したダイアナ元妃は、約7億5,000万人の視聴者が見守るなか、約8メートルという当時世界最長の長さを誇るトレーンの美しいウェディングドレス姿を披露。そして2011年にウェストミンスター寺院で挙式したウィリアム皇太子とキャサリン妃のウェディングは、YouTubeでも生中継され、アレキサンダー・マックイーンの繊細なレース&シルクのウェディングドレスに世界中がうっとり。
【ダイアナ元妃】
ドレス:デイビッド&エリザベス・エマニュエル
【キャサリン皇太子妃】
ドレス:アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)
カジュアルなジーンズから、バイカーショーツといったスポーティなルックまでインフォーマルスタイルを披露し、あらゆる世代から絶大な支持を得ていたダイアナ元妃。そのスタイルはキャサリン妃にも受け継がれ、同じくカジュアルなジーンズやジャージ、ヨットの競技用ウェアなどの本格的なスポーティルックも披露。さらには抜群の運動神経を活かし、スポーツイベントに自ら率先して参加する姿も好感度が高い理由のひとつ。
ロイヤルらしい気品溢れるスタイルはもちろん、時には親しみやすいコーディネートを披露し、世界中からファッションアイコンとして愛されているダイアナ元妃&キャサリン妃。写真ではスカイブルーのコーディネートが見事にマッチ! ダイアナ元妃はパールのネックレスやフィッシュネット付きの帽子で品格が漂う。一方、2022年にイースター礼拝でセント・ジョージ教会を訪れたキャサリン妃は、ジャケットのようなディテールが美しいドレスとヘアバンドを合わせ、エレガントなスタイルに大人の遊び心を漂わせている。
【キャサリン妃】
ドレス:エミリア ウィックステッド(Emilia Wickstead)
ヘアバンド:ジェーン テイラー(Jane Taylor)
ダイアナ妃のDNAを受け継ぐスペンサー姉妹たち。3人のセレブリティ姉妹が世界中で注目されるまでの軌跡を追う。
キティ・スペンサー、妹のアメリア・スペンサーと双子のイライザ・スペンサーの“スペンサー姉妹”が世界中で話題となっている。3人が初めて注目されたのは、2011年に行われたウィリアム王子&キャサリン妃のロイヤルウェディング。3人がそろってその気品溢れる姿が注目され、「美しき三姉妹」と呼ばれるように。
1990年、1992年にイギリスで誕生! 父は第9代スペンサー伯爵
父は故ダイアナ元妃の弟であり、第9代スペンサー伯爵のチャールズ・スペンサー、母は元モデルのヴィクトリア・エイトキン。2人は1989年に結婚し、翌年には長女キティが誕生。双子のアメリアとイライザは1992年、そして長男のルイが1994年にそれぞれイギリスで生まれる。
一家で南アフリカに移住
1995年、チャールズの姉であるダイアナ元妃とチャールズ皇太子の離婚が報じられると、スペンサー一家は過剰なメディア攻撃から逃れるため、家族そろって南アフリカのケープタウンに移住することに。
両親が離婚。父はイギリスに転居、母と子どもたちは南アフリカにステイ
1997年、ダイアナ元妃が亡くなるという悲劇と同時に、チャールズとヴィクトリアが離婚を発表。原因は、一部ではチャールズの不倫と言われたり、ヴィクトリアのアルコール依存と言われたりしたことも。そしてチャールズはイギリスに帰国し、ヴィクトリアは南アフリカで子どもたちを育てることを決意。
父と母それぞれの再婚で、多くの兄弟に囲まれる
チャールズはイギリスに帰国した後、2度の再婚を果たし、エドモンド・チャールズ、ララ、シャーロット・ダイアナとスペンサー姉妹にとっては3人の異母弟妹が誕生。また、ヴィクトリアも再婚したことで、異父弟のサミュエル・エイトキンも誕生し、姉妹にとっては4人の弟妹がいる。中でも姉妹は、一緒に育ってきたサミュエルを溺愛。SNSでもサミュエルの成長を紹介するなど、姉弟愛を披露している。
ボランティア&チャリティ精神も忘れず
上品な美しさだけでなく、チャリティ精神もダイアナ元妃から受け継いだ。キティはかつてダイアナ元妃も携わっていた団体「センターポイント」で、ホームレスの人々をサポートしたり、イギリスの軍人家族へのチャリティなどに参加したりしている。また、貧困な子どもたちの教育を助ける団体の活動一環として、貧困率の高い地区にある学校を訪れ、子どもたちと触れ合うなど積極的にボランティアを行っている。
ダイアナ元妃のメモリアルセレモニーに出席
父親がダイアナ元妃の弟であり、ウィリアム王子とヘンリー王子のいとこにあたる姉妹たち。2007年にはウィリアム王子が主催したダイアナ元妃の追悼式に家族で出席し、ウィリアム王子らと挨拶を交わす姿をキャッチ。
ヘンリー王子&メーガン妃の挙式で、キティが美しすぎると世界中で話題に
2018年、ヘンリー王子とメーガン妃の結婚式の時に出席し、脚光を浴びたスペンサー姉弟。特にキティはドルチェ&ガッバーナ(DOLCE & GABBANA)のグリーンのドレスで華麗に登場。この美しさが叔母であるダイアナ元妃を彷彿させ、世界中で大注目を浴びた。
2021年7月に、豪華な結婚式を挙げたキティ
2019年に婚約を発表した、32歳年上のマイケル・ルイスとついに結婚。マイケルは複数のファッションブランドを展開する企業家。ビリオネアゆえ結婚式&パーティは3日間にわたり、イタリアのフラスカーティにある別荘ヴィラ・アルドブランディーニで行われ総額約4億円だとか。ヴィクトリアンスタイルのウェディングドレスをはじめ、5着ものドレスを着用したキティ。すべてのドレスとジュエリーはアンバサダーを務めるドルチェ&ガッバーナのものだったそう。
映画『Spencer(原題)』でダイアナ元妃を演じることが発表されたクリステン・スチュワート。ダイアナ元妃に扮したクリステンの初写真を前に、クリステンの完璧な役作りに世界中から驚きの声があがっている。
公開されたのは、ベールのついた黒いハット、黒いタートルネックのトップスに赤いコートを身につけ、ダイアナ元妃を演じているクリステンの写真。ちなみにこのファッションは、1993年にダイアナ元妃が王室所有の別邸サンドリンガム・ハウスを訪れた時とほぼ同じ!
あまりの激似ぶりにネット上では、「本人かと思った」「クリステンだとわからなかった」「二度見した!」などの驚きの声が続々とあがり、大騒ぎに!!
1997年に交通事故で世を去ってから20年以上経つも、王室ファンの間で今も高い人気を誇るダイアナ元妃。これまでにも数々の伝記映画、ドラマが制作され、ナオミ・ワッツら、主にイギリス人俳優が演じてきた。
そのため2020年6月、アメリカ人であるクリステンがダイアナ元妃役に抜擢されたことが発表されると、「似てない」「イギリス人女優が演じるべき」といった反対の声も。しかし初公開された写真は、反対派の意見をも期待へと変えるそっくりぶりといえそう!
映画『Spencer(原題)』は、1991年12月、ダイアナ元妃がチャールズ皇太子との結婚生活に終止符を打つ前の最後のクリスマスを、サンドリンガム・ハウスで過ごした姿を描いた作品。
「人生の重要な転換期におけるダイアナ元妃の感情を想像し、深く入り込んでいく作品。映画のタイトルであるスペンサーは、彼女の結婚前の名字であり、彼女が自分自身へ戻ろうとしていることを意味しているわ」と、クリステンはこの作品で演じるダイアナ元妃について説明。初公開された写真でダイアナ元妃に扮した姿が、どこか悲しげで物思いにふける表情をしているのも、そうした状況を表しているといえそう。
※公開当時の記事によって、称号の表記方法が異なっております。