マドンナは、アメリカ合衆国出身の歌手、女優、実業家。シングル、アルバムのセールスは約3億枚以上と言われ、ギネス世界記録に認定された。活動は音楽や女優だけに止まらず、レコード会社の設立、映画や舞台への出演、近年では児童書の執筆や映画制作なども行う。プライベートでは二度の離婚歴を持ち、実子と養子を含めて6人の母親である。
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生きる伝説・マドンナの人生
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「深刻な感染症」により緊急搬送
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マドンナのプロフィール
マドンナのデビュー前~ソロデビューまで
1976年、当時の恋人ダン・ギルロイとともに、ブレックファスト・クラブというポップ・バンドを結成するも、アーティストとしての才能が開花したマドンナは、1978年の20歳のときに35ドルを手に単身ニューヨークへ渡る。タクシーの運転手に「この街で一番大きな場所へ連れて行って」と伝え、タイムズスクエアへ到着したマドンナ。そこで「私はこの世界で神よりも有名になる」と心に誓ったというエピソードは有名。無名時代は金銭を稼ぐためにヌードモデルを引き受けたことも。(のちに米『プレイボーイ』誌と米『ペントハウス』誌が大々的に掲載する)
1982年、ニューヨークのダウンタウンにて無名のときに作られたデモテープ『Everybody』(これがデビュー曲となる)をきっかけに、ワーナー・ミュージック・グループ傘下のサイアー・レコードと契約した。そして同年10月にシングル『Everybody』でソロデビューを果たす。同曲は、ビルボード・ダンス・チャートで3位を獲得した。
マドンナのキャリア
歌手としてのキャリア
1982年にデビューを果たし、83年から84年にかけては、黒人ミュージシャンのレジー・ルーカス制作によるファーストアルバム『Madonna』からシングルカットされた『Holiday』、『Borderline』、『Lucky Star』が連続ヒットとなった。続くセカンドアルバム『Like a Virgin』は、全米・全英ともに第1位を獲得し、売り上げ枚数は2,100万枚を突破。シングルカットされた『Like a Virgin』は全米のシングル・チャートで初の第1位に輝き、マドンナの代表曲のひとつとなった。サードアルバムの『True Blue』は、28カ国で1位を記録するベストセラーとなり、ギネス世界記録に認定された。
1986年9月には、第3回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで特別功労賞である、MTV ビデオ・ヴァンガード賞を授与された。1987年1月、第14回アメリカン・ミュージック・アワードでは、フェイバリット ポップ/ロック フィメール ビデオ アーティストを受賞。2月には、米『ローリング・ストーン』誌の第11回読者投票により、最優秀女性アーティストと最もセクシーな女性アーティストに選ばれる。また、6月には初のワールドツアー「Who's That Girl」の日本公演のために来日を果たし、計4公演で12万2,000人を動員した。
1990年11月には、初のベストアルバム『THE IMMACULATE COLLECTION』を発売し、全世界でソロアーティストのベストアルバムとしては史上最高売上となる、3,000万枚を記録した。1991年3月、第63回アカデミー賞授賞式では、『Sooner Or Later』が歌曲賞を受賞した。
1997年、出演映画『エビータ』のサウンドトラックからのシングル『You Must Love Me』が第54回ゴールデングローブ賞にて主題歌賞、第69回アカデミー賞にて歌曲賞を受賞した。
1998年3月、7枚目のオリジナルアルバム『Ray of Light』をリリースした。同アルバムは「90年代最も優れたポップアルバムのひとつ」と称賛され、全世界で2,000万枚を売り上げる大ヒットに。9月には、第15回MTV ビデオ・ミュージック・アワードで最優秀ビデオ賞を始め、この年最多の合計6部門を受賞した。1999年2月、第41回グラミー賞で『Ray of Light』が「最優秀ポップ・アルバム賞」を含む、4部門を受賞した。5月には映画『オースティン・パワーズ:デラックス』の主題歌として『Beautiful Stranger』を発表。翌年の第42回グラミー賞で「最優秀主題歌賞」を受賞した。2000年9月、8枚目のアルバム『Music』を世界同時に発売した。
2005年11月、10枚目のオリジナルアルバム『Confessions on a Dance Floor』をリリース。このアルバムは40カ国で第1位、シングルカットの『Hung Up』は41カ国で1位を記録し、それぞれギネス世界記録で「ポップ・ミュージック史上No.1の最多獲得国数を誇るアーティスト」に認定された。2006年9月14日、同年5月からスタートした通算7度目となる「The Confessions Tour」のために来日し、4公演で15万6,000人を動員した。
2008年3月、ロックの殿堂入りを果たす。4月には11枚目のオリジナルアルバム『Hard Candy』をリリースし、日本を含む37カ国で初登場第1位を獲得。8月23日からは、通算8度目となる「Sticky & Sweet Tour」を敢行。ソロアーティスト史上最高となる約440億のツアー収益を記録したと言われている。
2009年3月2日には、第23回日本ゴールドディスク大賞で15年ぶりに「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
2012年2月5日、第46回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演。視聴者数は同番組歴代最多の1億1,780万人超えと言われている。3月26日、約4年ぶりとなる12枚目のオリジナルアルバム『MDNA』を発売。自身通算8作目の全米1位を記録し、アルバムとしては5作連続の1位獲得となった。2016年12月には、ビルボード・ウーマン・イン・ミュージック・アワードでウーマン・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
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アルバム作品一覧
リリース年/タイトル
1983/Madonna
1984/Like a Virgin
1986/True Blue
1989/Like A Prayer
1992/Erotica
1994/Bedtime Stories
1998/Ray of Light
2000/Music
2003/American Life
2005/Confessions on a Dance Floor
2008/Hard Candy
2012/MDNA
2015/Rebel Heart
2019/Madame X
サウンドトラックアルバム一覧
リリース年/タイトル
1987/Who's That Girl
1990/I'm Breathless
1996/Evita
コンピレーション・アルバム一覧
リリース年/タイトル
1987/You Can Dance
1990/THE IMMACULATE COLLECTION
1995/Something to Remember
2001/GHV2
2003/Remixed & Revisited
2009/Celebration
2022/Finally Enough Love: 50 Number Ones
ライブ・アルバム一覧
リリース年/タイトル
2006/I'm Going to Tell You a Secret
2007/The Confessions Tour
2010/Sticky & Sweet Tour
2013/MDNA World Tour
2017/Rebel Heart Tour
シングル一覧
1982/Everybody
1983/Burning Up
1983/Holiday
1984/Bordorline
1984/Lucky Star
1984/Like A Virgin
1985/Material Girl
1985/Angel
1985/Dress You Up
1986/Live To Tell
1986/Papa Don't Preach
1986/True Blue
1986/Open Your Heart
1987/La Isla Bonita
1989/Like A Prayer
1989/Express Yourself
1989/Cherish
1989/Oh Father
1989/Dear Jessie
1990/Keep it together
1990/Vogue
1990/Hanky Panky
1990/Justify My Love
1992/This Used To Be My Playground
1992/Erotica
1992/Deeper And Deeper
1993/Bad Girl
1993/Fever
1993/Rain
1993/Bye Bye Baby
1994/I'll Remember
1994/Secret
1994/Take A Bow
1995/Bedtime Story
1995/Human Nature
1995/One More Chance
1995/You'll See
1998/Frozen
1998/Ray of Light
1998/Drowned World/Substitute For Love
1998/The Power Of Goodbye
1999/Nothing Really Matters
1999/Beautiful Stranger
2000/American Pie
2000/Music
2000/Don't Tell Me
2001/What It Feels Like For A Girl
2002/Die Another Day
2003/American Life
2003/Hollywood
2003/Nothing Fails
2003/Love Profusion
2005/Hung Up
2006/Sorry
2006/Get Together
2006/Jump
2008/4 Minutes(feat. Justin Timberlake and Timbaland)
2008/GIve It 2 Me
2008/Miles Away
2009/Celebration
2009/Revolver(feat. Lil Wayne)
2012/Give Me All Your Luvin'
2012/Girl Gone Wild
2012/Turn Up The Radio
2012/Masterpiece
2014/Living For Love
2015/Ghosttown
2015/Bitch I'm Madonna(feat. Nicki Minaj)
2019/Medellín(with Maluma)
2019/Crave(with Swae Lee)
2019/I Rise
2020/I Don't Search I Find
2022/Back That Up to the Beat
女優、映画監督としてのキャリア
1979年に公開された映画『堕天使』で銀幕デビューし、1985年3月には『マドンナのスーザンを探して』が公開された。1986年9月には、当時結婚していたショーン・ペンと共演した『上海サプライズ』が公開。
1997年には主演映画『エビータ』で第54回ゴールデングローブ賞の「主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)」を受賞した。
2008年、初の映画監督作品となった『ワンダーラスト』と、エグゼクティブ・プロデューサー兼脚本を担当したドキュメンタリー映画『I Am Because We Are』が公開された。
出演作一覧
公開年/作品名/役名
1985/ビジョン・クエスト/青春の賭け/ナイトクラブの歌手
1985/マドンナのスーザンを探して/スーザン
1986/上海サプライズ/グローリア・タットロック
1990/ディック・トレイシー/ブレスレス・マホーニー
1993/BODY/ボディ/レベッカ・カールソン
1993/スネーク・アイズ/サラ・ジェニングス
1996/エビータ/エビータ・ペロン
2000/2番目に幸せなこと/アビー・レイノルズ
2002/スウェプト・アウェイ/アンバー
2006/アーサーとミニモイの不思議な国/セレニア(声の出演)
2016/アーサー・フォーゲル ~ショービズ界の帝王~/マドンナ
2023/ジャンポール・ゴルチエ:フリーク&シック/マドンナ
マドンナの資産
2010年に米経済誌『フォーブス』が発表した「エンターテインメント業界で最も稼いだ人物」のランキングによると、5,800万ドル(約62億4,900万円)を稼ぎ、15位となっている。また、1990年の「Blond Ambition Tour」から2016年の「Rebel Heart Tour」までのツアー収益の総額は、ソロアーティスト歴代最高額となる13億1,000万ドル(約1,412億円)と言われている。
マドンナの慈善活動
2009年4月、イタリア中部で起きた地震の被災者に50万ドル(約5,000万円)を寄付。マドンナの父はイタリア系で地震が直撃したアブルッツォ地方の出身であり、インタビューで「わたしの祖先の街に喜んで援助の手を差し伸べるわ」と語った。
2009年11月、総資産額75億ドル(約8,081億円)と言われているエイク・バチスタから700万ドル(約7億5,400万円)を寄付してもらうことになり、ブラジルに新しい子ども用のチャリティ団体を設立した。
2010年1月には、英ニュースサイト『ザ・デイリー・ビースト』が「2009年度に最も寄付金を集めたアーティスト」ランキングを発表し、マドンナはレイジング・マラウイ基金のために、550万1,835ドル(約5億円)を集めて2位にランクインした。
マドンナの恋愛遍歴
ショーン・ペン(1985~1989年)
当時、すでに俳優として頭角を現していたショーン・ペン。マドンナが『Material Girl』のMVを撮影していた現場に、ショーンが友人と出向いたことがきっかけで交際をスタートした。1985年8月16日、27歳の誕生日にショーンと結婚。結婚式には、アンディ・ウォーホル、クリストファー・ウォーケン、シェール、ダイアン・キートンなど豪華な顔ぶれが出席したという。結婚生活に4年で幕を下ろしたふたりだが、お互いにベストパートナーだったというコメントを残している。
カルロス・レオン(1994~1997年)
ショーン・ペンと離婚後、マドンナはパーソナル・トレーナーだったカルロス・レオンと交際を始めた。1996年10月14日、マドンナはカルロスとの間に授かった長女ローデスを出産した。ローデスは現在モデルとして活動している。
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ガイ・リッチー(2000~2008年)
イギリス人映画監督のガイ・リッチーとの間には、2000年8月11日に第二子となる長男ロッコ・リッチーを出産。ふたりは、同年12月22日にスコットランドのドーノック大聖堂にて結婚したが、8年後の2008年に離婚した。
アラマリク・ウィリアムズ(2018~2022)
Photo:Getty Images
2015年からマドンナのバックダンサーを務めるアラマリク・ウィリアムズと2018年に交際をスタート。アラマリクはマドンナよりも35歳年下の26歳と親子ほども離れているものの、娘のローデス・レオンも認める家族公認の仲だった。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で自己隔離中でも、ふたりはイチャイチャぶりをSNSで披露。ふたりはツアーやロックダウン中、何カ月も一緒にいたが、その間に気持ちの変化がありアラマリクがマドンナの家から去り破局。
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マドンナのエピソード
写真集、著書にまつわるエピソード
1992年、スティーブン・マイゼルによって撮影された自身初の写真集『SEX』が発売。過激な性的描写が物議を醸したものの、アメリカでは毎週50万部という驚異的なセールスを記録した。
また2003年9月には、初の児童書となる『イングリッシュローズィズ』が30カ国語に翻訳され、世界100カ国以上で発売された。米『ニューヨーク・タイムズ』紙の「ベストセラーリスト(児童書部門)」で1位を獲得する大ヒットとなった。
ステージでブリトニー・スピアーズとディープキス
2003年8月、第20回MTV ビデオ・ミュージック・アワードでブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラと共演し、ふたりとディープキスをするという過激なパフォーマンスが話題を呼んだ。
2022年6月にはLGBTQのイベント「ニューヨーク・プライド・ウィークエンド」でバイセクシャルのラッパーのトキーシャと熱いキスを交わした。
4人の孤児と養子縁組を成立させた
2006年10月、当時の夫のガイ・リッチーとともにアフリカ大陸南東部のマラウイを訪れ、現地の孤児院で出会った当時1歳の男児デヴィッド・バンダを養子に迎えると発表。2008年5月に正式に養子縁組が成立した。続く2009年6月12日、マラウイの最高裁判決により当時4歳の女児チファンド・マーシー・ジェームズとの養子縁組が成立。さらに、2017年2月に双子の養子エステルとステラを迎え入れている。