FRÉDÉRIC MALLE「ロー ディベール」/ドミニク・チェン(研究者)

"コヘンルーダ"の薬草のような青々しさとその奥の甘さを想起させたのは、ベルガモットやアイリスの香りか。"冬の水"の名前のとおり、クリーンでミニマル、そしてみずみずしい印象。
(50㎖)¥20,350/フレデリック マル/キリアン

 日々の生活の中でふと入ってくるさまざまな香りによって、よくフラッシュバックが起こる。それは往々にして、過去に訪ねたことのある場所の映像であることが多い。たとえば、雨上がりに近所の鬱蒼とした森の香りを嗅ぐと雨季のシンガポールの街の情景が立ち上がり、冬から春にかけて微かに温かい風にさらされると、サンフランシスコ湾の風景が脳裏をよぎる。そういうときは歩みを止め、眼をつむりながら顔を空に上げて、その匂いをもっと嗅ごうとする。
 同じことは料理を食べるときにも起こる。特に香草の類を食むときに、まだ行ったことのない土地のイメージが去来する。たとえばコリアンダーや豆鼓の香りが口に広がると、子どもの頃にベトナム人の祖母や台湾人の祖父と食べた家庭料理の味とともに、未だ訪れたことのない土地の光景が幻視される気がする。
 目黒の「Kabi」ではじめて食事をしたとき、供された品々の素晴らしい香り高さに興奮してしまい、帰り道に妻子とも「まるで旅行に出かけたみたいだったね」と話した。特に、そのときにいただいたコヘンルーダという柑橘系の葉に漬けたジンの味にすっかり心酔してしまった。調べると、ユーラシアと北アフリカが原産の希少種らしい。その香りからは、なんともいえない懐かしさと同時に、未だ見たことのない土地への憧憬の念が湧き出てきた。
 もう一度その体験をしたいと思い、一カ月後に友人の朝吹真理子さんを誘った。彼女にそのジンの香りを嗅いでもらったら、「L’Eau d’Hiver」という香水を思い出した、と教えてくれた。そのときは夏だったが、確かに冬の澄んだ、冷たい空気をも思わせてくれる。後日、その香水を取り寄せてみたら、ほのかな柑橘の酸っぱさとともに、複雑な甘さも漂う、不思議なイメージが現れた。以来、未知のアイデアを考えようとするときに、「L’Eau d’Hiver」を少しふって、その香りから立ち現れる風景を意識にまとうようにしている。

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