2019.07.12

パリは燃えているか #深夜のこっそり話 #1123

「パリを燃え上がらせたい」。そう語ったのは、80年代を生きた伝説のダンサー、ウィリー・ニンジャ。1990年に公開され、狂乱のNYアンダーグラウンドシーンを捉えたドキュメンタリー映画『パリ、夜は眠らない (原題: Paris is burning)』でそう語った彼は、1989年にリリースされたマルコム・マクラーレンのヒットナンバー『Deep in Vogue』の振付師としてセンセーショナルなグローバルデビューを果たします。

ヴォーギングに馴染みのない人のために、簡単に解説を。ヴォーギングとは、80年代のNYで興隆したダンスの一種。名前はもちろん、かの雑誌から来ています。モード誌のカバーを飾る、煌びやかに着飾ったスーパーモデルと、その独特のポージング。それらに似せた独創的な振り付けで一世風靡し、主にNYの黒人、ラテン系のセクシャルマイノリティー達を中心に支持されました。

ヴォーギングのダンサーはヴォーガーと呼ばれ、多くの場合ハウスと呼ばれるチームに所属しています。ハウスとは文字通り家、という意味ですが、中には「ハウス・オブ・ミズラヒ」や「ハウス・オブ・ミュグレー」、「ハウス・オブ・サンローラン」、「ハウス・オブ・バレンシアガ」など、オートクチュールとの繋がりを感じさせるネーミングも多く見受けられます。

ヴォーガーたちの腕の見せ所が、ボールと呼ばれるコンペティション。ボールの由来は、社交ダンスから来ています。ボールルームでは、毎回様々な人物像やシチュエーションに沿った「カテゴリー」に基づいて、それぞれのハウスがパフォーマンスを行い、審査員が最も優れたヴォーガーを選出。この時の評価基準は、ダンスの技能だけでなく、ヘアメイクやファッションといったビジュアルの美しさ、独創性、そして社会的メッセージを込めた皮肉表現。これらのことからも、いかにボールカルチャーがファッションと密接な関係にあるかが伺えます。

さて、冒頭のドキュメンタリー映画で、ウィリー・ニンジャが野望を抱えたパリでのボールルームですが、実はパリでヴォーギングが本格的に流行り始めたのは最近のことのようです。その背景にあるのは、言わずもがなクィアコミュニティの存在。日本でも人気の『ルポールのドラァグレース』や、今年の5月からようやく日本のFOXチャンネルでも放映が開始した『Pose (ポーズ)』といったエンターテイメント業界の後押しも忘れてはなりません。2013年あたりから少しずつ流行り始めたパリのボールカルチャーは、今や14ものハウスが鎬を削るまでに成長しました。

簡単に、と言っておきながら長い前置きになってしまいました。今回、オートクチュール  ファッションウィーク期間中に仲良くなったモデルの友達に連れられ、ボールルームに参加してきました。NYのボールルームには行ったことはあったのですが、パリで観るのは初。胸を高鳴らせながら、会場のゲテ・リリックに向かいました。

今回のボールのテーマは「ブラック&イエロー」。発起人は、著名ダンサーであり「ハウス・オブ・レブロン」のヴィニー・レブロン。会場には、パリのヴォーギングカルチャーの火付け役であるキディ・スマイルの姿も。ランウェイと呼ばれるステージを見ていると、パフォーマーの中には黒人、ラテン系のみならずアジア人のヴォーガーや、ヘテロセクシャルの女性ダンサー、そしてなんと13歳の女の子も登場。ヴォーギングカルチャーが、いかに人種、国籍、性別、そして世代も超えて定着してきたかということが見て取れ、感慨に浸りました。

『パリ、夜は眠らない』で登場するもう一人の伝説的なドラァグクイーン、ドリアン・コリーは、作中の終盤に手慣れた手つきでアイラインを引きながらこう語りました。「世界を変える必要はない。楽しんだほうが利口よ。苦労を重ねて、楽しむの。射った矢が空高く解き放たれた。喜びましょ」。NYのアンダーグラウンドシーンで生まれた小さな灯は、30年近くの月日を経て、今パリで力強く、煌びやかに燃えたぎっています。