ウディ・アレンの韓国人妻スン=イー、元養父である夫、そして養母との関係について初めて口を開く!

映画監督ウディ・アレン(82)の妻スン=イー・プレヴィン(47)が、『ニューヨーク・マガジン』のウェブ版『Vulture』に登場。元養父であったウディとの結婚がセンセーショナルに報じられてから、早21年。長年口を閉ざしてきたウディとの禁断の関係から、ウディの元パートナーで養母のミア・ファロー(73)から受けてきた虐待までを、赤裸々に告白した。

映画監督ウディ・アレン(82)の妻スン=イー・プレヴィン(47)が、『ニューヨーク・マガジン』のウェブ版『Vulture』に登場。元養父であったウディとの結婚がセンセーショナルに報じられてから、早21年。長年口を閉ざしてきた元養父であるウディとの禁断の関係から、ウディの元パートナーで養母のミア・ファロー(73)から受けてきた虐待までを、赤裸々に告白した。

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『Vulture』に掲載された記事の冒頭で、「母親への憎しみを語りたいと思ったことは一度もない。むしろミアとの思い出を振り返るなんて、金輪際ごめんだったわ」と断りを述べたスン=イー。 

しかし「現在ウディの身に起こっていることはひどく残念だし、あまりに不公平。(養母)ミアは#MeToo運動を逆手にとって、(もうひとりの養女)ディラン(33)を被害者に仕立て上げた。間違った情報が広まることは、もう堪えられない」という強い意思を表明し、今回の告白に至った経緯を語った。

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1991年、養母ミアと手をつないで出かけるスン=イー。Photo : Getty Images

スン=イーは、ミアがウディの前に結婚していたアンドレ・プレヴィン(89)とともに迎えた3人の養子のうちのひとり。韓国の路上で保護され、アメリカの孤児院で育てられていたところ、ふたりに引き取られた経緯を持つ。

その後1980年代に、ミアとウディの交際がスタート。ふたりは10年以上の交際期間の間に実子をひとり、ふたりの養子を迎えるも、一緒に住むことはなく事実婚を貫いていた。しかしそんななか、当時21歳だったスン=イーとウディの交際が発覚。それをきっかけにウディはミアと破局し、1997年にスン=イーと結婚した。

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1996年、ロンドンにて。ふたりはこの翌年に結婚する。Photo : Getty Images

当時ミアは娘たちに対する幼児虐待の罪でウディを訴えるも、ウディは容疑を一切否認。裁判は結論を迎えぬまま、訴えが取り下げられていた。しかし2014年に、養女のひとりであるディランが『ニューヨークタイムズ』紙に対し、ウディから性的虐待を受けていた事実を寄稿。

ウディは変わらず無言を貫くも、#MeToo運動が加熱するにつれてウディへの批判も加速。クロエ・セヴィニー(43)やコリン・ファース(58)を含む多くのセレブたちが「ウディとは、もう2度と仕事をしない」というメッセージを発信し、バッシングの対象となった。

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2016年、『TIME』誌が主催するガラパーティに参加したミア(右)&養女ディラン(左)。Photo : Getty Images
しかし今回のインタビューで、ウディに貼られた“ぺドフィリア(幼児性愛者)”というレッテルへの疑問を投げかけたスン=イー。「ウディは私たちと会うことに、とても無関心だった。それは我々も同じ感覚だったわ。なんで母はこんなにいじわるで嫌な奴と一緒にいるのかしら、って不思議で仕方なかったもの」

そしてスン=イーは、ミアとの関係に言及。「ミアは私に対して、始めから母親らしい振る舞いをしたことが一度もなかった」と述べ、ミアから受けたという暴力や、精神的ストレスを赤裸々に明かした。

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1988年、子ども達を連れて出かけるウディ&ミア。Photo : Getty Images

「ミアは知性と外見をとても重要視していたわ。とくにブロンドヘアと、青い目をね」と言うスン=イー。さらに自身の学習障害にも触れ、ミアが「それを恥じるよう強要した」とも。「ミアから腕に文字を書かれるのが恥ずかしくて、1年中、長袖を着ていた。足を掴んで逆さ吊りにされることもしょっちゅうよ。頭に血がのぼることで、賢くなると思っていたみたい」

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1981年。右からスーン=イー、ミア・ファロー、フレッチャー・ファロー。Photo : Getty Images

そして1992年1月、ミアはウディの自宅でスン=イーのヌード写真を発見。「その直後に彼女からかかってきた電話は、忘れられないわ」と、当時を回想したスン=イー。「ミアから“スン=イー”と呼ばれた一言で、わたしの人生が終わったことを察知した」

「もちろん、ぶたれたわ。そして彼女はありとあらゆる人に電話をして、瞬く間に噂を広めた。ウディが到着すると、叫びながら怒りをぶちまけた。当時一緒に住んでいたディランは6歳、ローナンは4歳だったわ。ふたりは母親が発狂して、夜中に叫ぶのを何時間も聞いていたと思う」

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2010年のカンヌ国際映画祭にて。Photo : Getty Images

ミアとの関係を踏まえ、「だからといって、私が正しいことをしたとは言えない」と断ったスン=イー。「私たちはひどい裏切り行為を行い、ミアに多大なショックを与えてしまった。絶対にしてはいけないことをしてしまった」と認めつつ、「ミアが私に対して優しかったことは一度もなく、常に平等さに欠けていた。だから誰かから優しくされ、手を差し伸べられたら、それに飛びつくのは当然のことだと思うの」と語り、ウディとの関係の背景にミアとの確執があったことを匂わせた。

そんなショッキングなインタビューが掲載されるなり、ディランとローナン(30)はSNSでコメントを発信。ディランは7歳のときにウディから性的虐待を受けたことを再度伝えつつ、「素晴らしい家庭で育った」と養母を弁護。またウディの友人である記者が本インタビューを担当したことについて、「一方的な意見のみで被害者(=自身やミア)を批判するのは間違っている」と『Vulture』を痛烈批判。

さらに弟のローナンも「ミア・ファローなくして、今の僕は存在しません。彼女は家族のために多くを犠牲にした、献身的な母親だった」と養母を賞賛。同時に「このような記事が掲載されたことに怒りを覚えます」と、ディランと同じく不快感を露わにした。

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2017年10月、『A Rainy Day in New York(原題)』の撮影現場にて。右から:ウディ、ジュード・ロウ、エル・ファニング。Photo : Getty Images

1960年代から毎年のように新作を発表してきたウディだが、ディランの告発を機に次作の告知がストップ。ジュード・ロウ(45)やエル・ファニング(20)、ティモシー・シャラメ(22)、セレーナ・ゴメス(26)が出演している『A Rainy Day in New York(原題)』は2017年に撮影が完了しているも、製作元の米アマゾン・スタジオは先日「公開日を無期限で延期する」と発表した。

そんなウディの困難を危惧してか、ついに沈黙を破ったスン=イー。さらにヒートアップする“ウディ論争”は、今後どのような結末を迎えるのか。

text : Ayano Nakanishi

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結婚21年目を迎えた今も変わらぬ仲の良さで、おしどり夫婦として知られるウディ&スン=イー。
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1991年、養母ミアと手をつないで出かけるスン=イー。
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1996年、スン=イーと仲良くロンドンの街を闊歩するウディ。ふたりはこの翌年に結婚する。
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2016年、『TIME』誌が主催するガラパーティに参加したミア&養女ディラン。
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1988年、子ども達を連れて出かけるウディ&ミア。
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1981年。右からスーン=イー、ミア・ファロー、フレッチャー・ファロー。
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2010年のカンヌ国際映画祭にて。
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2017年10月、『A Rainy Day in New York(原題)』の撮影現場にて。右から:ウディ、ジュード・ロウ、エル・ファニング。
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