【 #オアシス 】16年ぶりの来日! 10万人を合唱させた「庶民のヒーロー」の秘訣 #oasis

「日本のみんな、ずっとついてきてくれてありがとう。俺たちって悪夢みたいなバンドだったよな。でも、ありがたいことに復活したぜ」。16年ぶりの来日公演を熱狂の渦に包んだオアシス。日本でも莫大な人気を誇るギャラガー兄弟バンドの栄光と「悪夢」、そして代えがたい魅力を振り返ってみよう。

「日本のみんな、ずっとついてきてくれてありがとう。俺たちって悪夢みたいなバンドだったよな。でも、ありがたいことに復活したぜ」。16年ぶりの来日公演を熱狂の渦に包んだオアシス。日本でも莫大な人気を誇るギャラガー兄弟バンドの栄光と「悪夢」、そして代えがたい魅力を振り返ってみよう。

正反対の兄弟

oasis オアシス ノエル リアム

LONDON -1995 the opening night of Steve Coogan's comedy show photo:Getty Images

現在ともに50代のギャラガー兄弟は、イギリス北部マンチェスターの労働階級の生まれ。虐待的な父は妻子、とくに次男ノエルに暴力を振るっていたが、五歳下の末っ子のリアムには手を出していなかったという。

父のもとから逃げると、ノエルは内向的な音楽青年に成長。怒りん坊なリアムは不良に育ち、音楽への関心が低かった。しかし、10代の終わりにさしかかった弟のほうがバンドを始めて兄を誘ったことで1991年にオアシスが誕生する。

正反対な兄弟のバンドは、内外で喧嘩や波乱が絶えなかった。他のアーティストとの対立、出禁になったホテルは数知れず。初の海外公演にしても、行きの船でノエル以外のメンバーが乱闘して逮捕されたことでおじゃんに。スタジオに酔っ払いを連れてきた弟を兄がバットで殴った騒動も有名だ。それでも、音楽的な相性は最高だった。兄がつむぐ懐かしいメロディを弟が堂々歌い上げるスタイルで、成り上がりを誓う初期代表曲は『ロックンロール・スター』という王道ぶり。

庶民のヒーロー

それでも、音楽的な相性は最高だった。兄がつむぐ懐かしいメロディを弟が堂々歌い上げるスタイルで、成り上がりを誓う初期代表曲は『ロックンロール・スター』という王道ぶり。 

当時のイギリスで自国文化回帰が起こっていたこともプラスにはたらき、オアシスは庶民のヒーローになった。「都会の美大生」的なバンドが活躍していた当時のUKロック界において「サッカーの観客」に例えられたギャラガー兄弟には、労働階級らしい無骨で男らしい親しみやすさがあったのだ。

全盛期は1990年代なかば。2ndアルバム『モーニング・グローリー』を2,000万枚以上売り上げ、わずか2公演で英国人口の4%ほどをチケット応募に殺到させた25万人規模の野外ライブも伝説になった。

「悪夢」期の解散

oasis オアシス ノエル リアム

Oasis Concert At The Hard Rock Joint In Las Vegas April 26, 2002 photo:Getty Images

ダイアナ妃が急逝し世相が陰った1997年には、バンドの勢いも停滞。ドラッグに明け暮れてつくった3rdアルバムは「期待はずれ」の出来だとして落胆を呼んだ。後年ノエルが認めたところによると、スターになる前の立場、つまり成り上がろうとしていたころのほうが性に合っていたという。

その後もバンドをつづけたが、人間関係がどんどん悪化する「悪夢」期へ突入。とくに2000年、リアムが兄とその娘の血縁関係を疑ったことがノエルの一時的な脱退につながって遺恨を残した。喧嘩によるライブ中止も珍しくなく、日本では二度の福岡公演で両ともリアムが途中退場する事態が発生。逆にバンドがあったからこそ兄弟の関係がつづいていた状況だったとも言われている。

そして2009年、いつもどおり楽屋で大喧嘩が起き、我慢の限界にきたノエルが脱退を発表して解散へ(この夜に破壊されたギターはつい最近約5,900万円で落札された)。

自立のソロ活動

oasis オアシス リアム デビー・グウィザー

MTV EMA 2019で史上初の「ロック・アイコン」賞をステージ上で受賞し、恋人のデビー・グウィザーにキスをしたリアム・ギャラガー。SEVILLE, SPAIN - NOVEMBER 03 photo:Getty Images

破滅的な別れを経た兄弟は、2010年代を通して連絡をとりあわなかったと言われている。口撃はしあっていたものの、取材やSNSを通してのことだった。

今となっては、冷却期間が良い自立の機会になったのかもしれない。世間から求められる「オアシスらしい曲」ばかり作るようになっていたノエルは、ソロ名義バンドで自由な創造を楽しめるようになった。

兄に裏切られた気持ちだったリアムにしても、いっとき酒浸りの無職となっていたが、マネージャーの新恋人に支えられたことで健康に気を使うようになり、ソロ歌手として兄に認められるほどの成功をおさめた。

「みんなのバンド」の復活

oasis オアシス ノエル リアム ウェンブリースタジアム

Oasis Live '25 Tour  JULY 04 photo:Getty Images

コロナ禍を経た2024年、突如オアシスの再結成ツアーが発表された頃には、若者のあいだでリバイバル旋風が起こっていた。「Y2K」トレンド冷めやらぬなか、庶民のイギリス文化を愛でる「ブリット・コア」がブームになったことも、元祖・庶民のヒーローたる兄弟の再評価を後押ししたと言えるだろう。

母国では「男らしさ」の象徴のイメージが強かったこともあり、新規ファンが女子中心であることでも驚きを呼んだ。もちろん、古くからのファンも健在。2025年8月に行われたロンドンの大会場ウェンブリースタジアム公演では、歴代最高となる一晩25万パイント(約14万リットル)ものビールが消費された。

oasis オアシス ノエル リアム 

Oasis Live '25 Tour September 06  photo:Getty Images

再結成で証明されたことは、オアシスが「みんなのバンド」であることだろう。イギリスに深く根づく存在だが、同時に、世界中のファンを「サッカーの観客」のように団結させて合唱させる稀有なロックスターでもある。

さまざまな対立で知られるギャラガー兄弟だが、じつのところ、サービス精神豊富なところが人気の秘訣なのかもしれない。ノエルは、デビュー当時からさまざまなリスナーを包括する「団結」志向の歌詞を心がけていた。リアムにしても、歌うことにかけては誠実そのものだ。

たとえば、代表曲『ロックンロール・スター』のサビの歌詞。一般的に「輝くスターになるために生まれてきた」宣言の比喩とされるが、より直接的に「星々を輝かせるために生きている」とも読める。後者寄りの解釈をしているリアムいわく、ここでの「星々」とはコンサートの観衆。彼自身は「ロックンロール野郎」に過ぎず、歌でファンの笑顔を輝かせるためマイクの前に立っている。

リアムの説は、このたびの来日公演で実現されたと言っていいだろう。ロックンロールによって、10万人もの観客を大合唱に導き、流星群のように輝かせたのだから。

辰己JUNKプロフィール画像
辰己JUNK

セレブリティや音楽、映画、ドラマなど、アメリカのポップカルチャー情報をメディアに多数寄稿。著書に『アメリカン・セレブリティーズ』(スモール出版)

記事一覧を見る

FEATURE