M じつは日本の大学の単位を持っていったので、スペインの大学に移って3年で卒業となりました。こっちの大学は、卒業が夏休み前なので、今、追い込みの時期なんです。
S 卒論のテーマを伺ってもいいですか。
M 「エコチェンバー」っていう言葉、知ってますか? SNSで自分と同じ趣味趣向の人ばかりをフォローした結果、何か意見を発信すると、自分と似た意見ばかりが返ってくるという現象のことです。卒論はこのエコチェンバーに関するテーマの予定なので、完成したら、皆さんとまた共有しますね。
S 面白そう! ぜひまたの機会に。今回のテーマは「本音と建前」。前回、マリウスさんがアイドルとして生きる中で、周囲の期待にこたえようとするあまり、自分が本当は何を欲しているのか見失ったというお話がありましたが、それと通じるところがありそうです。
M そうですね。ただ、大前提として「本音がよくて、建前が悪い」という単純な話ではないということです。日本人もスペイン人もみんな、本音と建前を使い分けて生きていて、建前があるから人間関係がスムースにいく場合もあると思います。 たとえば本当は苦手な同僚だけど、会社では愛想よく接する——という人、少なくないと思うけれど、職場環境のためには悪いことじゃないですよね。また、電車で座っていたらお年寄りが乗ってきた。本音では立ちたくないけれど、お年寄りのために席を譲る——これは社会のやさしさにつながります。だから建前を優先することが必ずしも悪いわけじゃない。社会では誰もが外向きの仮面をつけて生きています。
S そうですね。外向きの仮面に守られている場合もありますもんね。
M そう。要はバランスがとれていれば、それでいいんだと思うんです。問題なのは外向きの自分がメインになって、本音を忘れて、建前だけの自分になってしまうことです。そもそも日本はストレートに思っていることを明かさない社会ですよね。さらに最近は空気を読むことを求められて、「本音を言って嫌われるのが怖い」と自分の気持ちにふたをする人が増えているんじゃないかなって。もちろん相手のことを思いやったり、協調性を大切にする日本の文化が僕は大好きだし、スペインでも「日本人って本当に親切だよね」「やさしいよね」って、よくほめられる。それを誇りに思う一方で、日本人の協調性は時に過剰になってしまうように感じることもあります。 本当は相手を尊重しつつ、自分の気持ちも大事にしなくちゃいけないのに、建前的な振る舞いがすっかり自分に染みついて、条件反射のようにそう振る舞っていたり。必要以上に相手に忖度したり、周りに集中しすぎて結果的に本心を見失っていたり。
S 本当の自分が建前の自分に侵されていく感じ……ありますね。今、ズキンと刺さった人は多いと思います。
M これは自分にも言えることで、僕は本来、人に親切にしたいし、やさしくしたいという気持ちが強いんです。だけど人の気持ちを考えすぎるあまり、自分の扱いがぞんざいになっていた。日本を離れてセラピーを受けた際に、「マリウスは、人にはやさしいのに、なんで自分にはやさしくないの?」という気づきが生まれました。 男の子だからこうあるべき、アイドルだからこうあるべき、やさしいマリウスとしてはこうあるべき〜という建前をアンラーニング(古い価値観を捨て去ること)して、小さい頃の無邪気なマリウスを取り戻したいと思うようになりました。
S アンラーニングしたあとのマリウスさんもとってもやさしいから、その部分はマリウスさんの本質だったんですね。そこにたどり着くのは大変だったと思いますが、どんな手段が役に立ちましたか。
M まずは胸のうちにたまった感情を書き出してみることですね。図書館の本がぐちゃぐちゃになってるのを一冊ずつ整理するみたいな作業なので、実際に書き出すと自分の状況がよく把握できます。つらくてしんどい作業だけれど、自分自身を取り戻すためのワンステップになると思う。
S ちなみにスペインのお友達は、日本人のように気を使いすぎることはないんでしょうか。
M もっとざっくばらんかな。前に大学の友達10人くらいを家に呼んで、ごはん会をやったんです。僕が料理を作ってビュッフェスタイルで。でも、後片づけを手伝ってくれたのは韓国人の友達だけで、ほかのみんなは僕らが食器を下げているのを横目に「めっちゃ楽しかったね! バイバーイ!」と帰って行きました(笑)。もちろん彼らはゲストだから気にしなくてもいいんだけど、日本だったら社交辞令だとしても「片づけ手伝うよ」って絶対言うじゃないですか。で、「大丈夫、大丈夫」って断る。そのやり取りが懐かしかったです(笑)。