オカモトレイジ
1991年生まれ、東京都出身。中学校の同級生で結成されたロックバンドOKAMOTO’Sのドラマー。本格演技初挑戦となった映画『もっと超越した所へ。』が公開中。
超ポジティブ健康マインドの俺が久しぶりにガチで凹んでる。2022年9月、渋谷のクラブContact TokyoとSOUND MUSEUM VISIONが同時期に閉店してしまった。マジで夢にまで出てきたくらい。それほど残念な出来事だ。ドラマーとしては数えるくらいしか出演してないけど、DJ/イベントオーガナイザーとしては10年以上お世話になっていて、とてもたくさんのことを学ばせてもらった場所だ。
コロナ禍の影響での経営難というわけではなく、都市開発のために道玄坂のあの建物自体が取り壊しになるらしい。まだまだ最高の店はたくさん残っているけど、でもやっぱりあの場所にあのキャパ感で、なおかつ、全ジャンルアリになる雰囲気というのはなかなかほかのクラブでは作り出せないものだと思う。
OKAMOTO’SはVISIONに一度だけ、2020年の俺の生誕祭で出演させてもらったきりだけど、それでもここでのDJ体験はバンドにもめちゃめちゃ大きな影響を及ぼした。昨今「ギターソロを聴かずに飛ばす問題」など若者の生楽器離れが話題になっている(マジでどうでもいい話題だ)が、そんなこと関係なく4人組バンドとしてどうやったらフレッシュな要素の盛り込まれたサウンドを世に提示できるか、俺たちは常に考えている。
あれは確か2017年上半期、VISIONのDEEP FLOORでDJをした日、俺はヒップホップを主軸としたクラブミュージックを中心に選曲していた。なんのイベントだったか覚えていないけど(今思い返せば客層的にtrackmakerかも?)どんどんいい感じに人も増えて盛り上がっていき、フロアのボルテージも最高潮寸前。だが、その反面、絶対に滑ることはできない! だからこそ次に何をかけたらいいかわからない!という状況が続き、パニックになりかけつつもその場の思いつきでABBA「Dancing Queen」をかけてしまったのだ……。すると、低音バリバリのクラブミュージックから一変、がっつり生楽器曲に変わったにもかかわらず、とんでもなく盛り上げてしまったという、そんな出来事があった。
あのくらいのBPMであのくらいのハッピー&切ない感じが今でも大衆受けする生音かもしれない!と、その経験をすぐさまバンドメンバーに話し、この考えを基に作られたのが「NO MORE MUSIC」「Dancing Boy」。ここ最近のOKAMOTO’Sのキーになった曲たちは、実は私のDJ体験から生まれていたのであった。
Contactでの思い出もたっっっくさんあります。GEZANのライブを見てひとりのBOYとしてリボーンしたし、7inchレコードだけで2時間DJして、号泣しながらまたロックに希望を見出したりと、綴りきれない思いを綴る今日も終わりないララバイで眠る……。Contactラストの日も大雨でしたね。本当にありがとうございました(泣)。