2023.12.17

KANDYTOWNという一つの物語【オカモトレイジの現象 vol.8】

KANDYTOWNという一つの物語【オカの画像_1
BANKROLL

2012年「我」でライブパフォーマンスするBANKROLL

KANDYTOWNが終演してしまった。個人的には思ったよりも長く続いた印象もあるが、時間がたつにつれてさみしさが増していく。彼らの露出が増えるとそれに付随して私の名前もたびたび見かけることがあったと思う。BSフジのドキュメンタリーにしてもメンバーより多く喋っていたし、「上杉柊平の3rdPlace」ではマッサージまで受けている("【KANDYTOWN】最期の一日。"参照)。ラップをしたりDJをしたりするわけでもないのに、一体こいつなんなんだ!?と思われても仕方ないと思ったので、今回は改めて私とKANDYTOWNの関係性を明確にしていきたい。とにかく複雑に入り組んでいるので、かなりザックリと紹介していく。

まず保育園。"同級生の弟"として2歳下のDony Jointと出会う(多分俺が3歳、Donyが1歳とか?)。そしてそのまま同じ小学校に上がり、彼は野球少年に。そして小4のとき、埼玉からの転校生としてBSCが俺のクラスにやってきた。BSCも野球少年だったため"喜多見ミッキーマウス"というかなりアウトなネーミングセンスの草野球チームに入団し、Donyとチームメイトになる。そして中学に上がるタイミングでわれわれは一旦バラバラに。

私は私立中学に上がり、そこでYUSHI, IO, MASATO, KIKUMARU、後輩としてKEIJU, Holly Q, MUD, Weelowらと出会った。もちろんOKAMOTO’Sのメンバーたちもこのタイミングで会っている。BSCは地元の中学でRyohu, Neetz, Minnesotahと出会う。そんな賑やかな中学生活を送る中、ある日IOとYUSHIが小田急線に乗り渋谷のBOOT STREET(今はなき日本語ラップ・DJ MIX CD 専門店)へ向かう途中、同じ車両に同年代のB-BOYを見つける。当時まだ『フリースタイルダンジョン』も『高校生RAP選手権』もない時代だったので、中学生くらいのB-BOYは珍しかったらしい。「あいつら絶対BOOT行くから、そこでまた会えたら声かけてみようぜ」とその場ではスルーしたらしいが、案の定BOOT STREETで再会し、話してみたらなんと同じ地元だったという。そんな同年代B-BOYがBSCとRyohuだった。

これをきっかけに私の私立サイドと地元サイドの友達が合流し、KANDYTOWNの原型となっていく。仲よしグループの年長組がBANKROLL、弟分グループとしてYABASTAが誕生する。YABASTAはKEIJUの地元の友達を中心に結成され、ここにGOTTZ,DIAN,MIKIが加わってくるのだ。こうしてみんなラッパーやDJ、トラックメイカーとしてのキャリアをスタートさせていくのだが、彼らが一つのグループになるために一つとても大事な要素があった。それがKIKUMARUが主催してた「我」というパーティだ。読み方は"ワレ"ではなく、"ガ"(笑)。

毎月必ずみんなが集まるこのパーティはかなりコンスタントに開催されていた。「いつもこのメンバーでライブしたり曲作ったりしてるから一つの集合体になってもいいんじゃないか?」と、みんなでKANDYTOWNと名乗るようになったのだ。今回はコラムというよりただの情報になってしまったが、ここに書き記すことができて満足している。武道館公演が終わった直後、とてつもなく面白い映画を観終わったときと同じような気分だった。劇中の登場人物が死んでしまったわけではないのにさみしさが残った。もうこれ以上彼らのグループとしてのストーリーを見ることができないという感覚。俺にとって「KANDYTOWN」とはめっちゃくちゃ面白い大好きな映画だ。もし続編やるなら絶対初日に観に行く!

オカモトレイジプロフィール画像
オカモトレイジ

1991年生まれ、東京都出身。ロックバンドOKAMOTO’Sのドラマー。3月10日まで「出張!オカモトークAcoustic/Talk Tour 2023-2024」を全国各地で開催中。

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