世界一のゴッホ収集家の女性とゴッホの魂の接点に触れる展示 #69

日本でも何度も開催されているゴッホの展覧会。ゴッホの才能が世界に広まるきっかけを作ったのは、ひとりの女性の存在が大きいようです。東京都美術館で開催中の「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」は、ゴッホの世界最大の個人収集家ヘレーネ・クレラ=ミュラーをフィーチャー。


今回は彼女のコレクションから72点(うちゴッホ作品は52点)が来日しました。ヘレーネは、1908年からおよそ20年で90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集したそうです。ゴッホ以外にも11000点以上の美術作品を購入し、後年、オランダにクレラー=
ミュラー美術館を設立。その財力はどこから……というと、そもそもヘレーネ自身が社長令嬢な上、夫のアントン・クレラーも鉄鉱業と海運業で成功したそうです。その後、夫の会社が傾いても、後世の人のために美術館を建てるべく尽力しました。

展示会場に入ってすぐのところには、彼女が買い付けた作品と金額が展示。例えば1902年には32点、約2億8800万円分、1920年には38点で約7470万円分、1928年には132点で約9250万円分購入、と豪快な爆買いぶりです。ギャラリーで「ここからここまで」といった感じで買っていたのでしょうか。購入した作品タイトルのリストを見ると「ジャガイモの皮をむく女」「糸巻をする男」「糸巻をする女」「篩をふるう人」「しわ伸ばし機と3人の人物」「ひと休みする掘る人」「バターを作る女」など、マニアックでシュールなタイトルが並んでいて想像をかき立てられます。

会場にはアンリ・ファンタン=ラトゥールの「静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ)や、ピエール=オーギュスト・ルノワールの「カフェにて」、オディロン・ルドン「キュクロプス」、ジョルジュ・ブラック「菱形の中の静物」といった名作も並んでいます。


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ピート・モンドリアン「グリッドのあるコンポジション5: 菱形、色彩のコンポジション」 こんな渋い色のモンドリアンがあったとは……。菱形もおしゃれです。
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「砂地の木の根」。黒い木の根に生命力が宿っています。デッサン力も卓越しています。

そしていよいよゴッホの部屋です。今回は多数の素描(デッサン)も展示。「砂地の木の根」の黒々としてダイナミックな幹の存在感に圧倒されます。「木の根は、気も狂わんばかりになんとか大地にしがみつこうとしているが、嵐で半分に避けてしまっている」と、ゴッホは弟テオにあてた手紙に綴っていました。日本の浮世絵からの影響を受けながら、自然を擬人化しようと試みていたゴッホ。デッサン一つとっても才能がほとばしっています。

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フィンセント・ファン・ゴッホ「悲しむ老人(『永遠の門にて』)」。療養院で健康の悪化を感じながら制作されました。

ゴッホにとって木の根や節々と同じくらい興味の対象だったと思われるのが、年を経て年輪を感じさせる老人の表情。「コーヒーを飲む老人」「読書する老人」など養老院の老人をモデルにした作品も。このおじいさんたちの絵はわりと平和ですが、後年に描かれた「悲しむ老人(『永遠の門にて』)」の油彩画は、椅子に座り、顔を手で覆うおじいさんの放つダウナー感がすごいです。

ヘレーネはアントンにこの絵を結婚25周年のサプライズとしてプレゼントされて、気を失いそうになるほど驚喜したとか。「世界一美しくて、大きくて、高価な真珠のネックレスをもらったとしても、私はこれほど幸せではなかったでしょう」とまで手紙に書いて夫に感謝。「悲しみに暮れる人々」という主題を好んで描いていたゴッホですが、作品を購入した人の運気も下がらないか気になります。

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「女の顔」、農民の顔を繰り返し描いていたゴッホ。荒々しさが感じられる表情です。ゴッホは面相学にも興味を持っていました。
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「レモンの籠と瓶」は繊細な黄色のグラデーションが目に心地よいです。

暗い作品ばかりではなく明るい色調の絵も展示されています。点描の背景が花瓶の花を浮き上がらせる「青い花瓶の花」、新印象派の作風に近い点描作品「レストランの内部」など。もともとのデッサン力と画力があるのでどんなタッチでも表現できます。そしてゴッホといえば「ひまわり」のシリーズでもわかるように黄色好き。「レモンの籠と瓶」は黄色いテーブルクロス上の籠にのったレモンが描かれていて、同じ黄色系でも沈むことがなくレモンが主張しています。

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「種まく人」は紫と黄色の補色の対比が美しいです。農民への憧れが感じられます。

「種まく人」は、農民の生活を照らす大きな黄色い太陽が印象的。「夕暮れの松の木」という作品は、くすんだ黄色い空が郷愁を誘います。黄色の魔術師のようですが、ファン・ゴッホ家のコレクションから出品された「黄色い家(通り)」は、ゴッホの悲しみの余韻が漂います。黄色い家を遠巻きに描いていて、画力のあるゴッホにしてはパースが若干歪んでいるよう。この黄色い家に移り住んだゴッホは12脚の椅子を買いそろえ、芸術家の交流サロンとなることを期待していました。友人のポール・ゴーガンだけが来てくれたものの、芸術性や価値観の違いで決裂しゴーガンは去ってしまいます……。そのあとゴッホは自分の左耳を切り落とす、という事件を起こし、精神病院に入院することに……。「黄色い家」の作品のタッチの乱れに不穏な兆しが表れているようです。黄色は明るく元気にしてくれますが「嫉妬」を表す色でもあります。

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ファン・ゴッホ家のコレクションから、「黄色い家(通り)」。館内の特設ショップにはこの黄色い家を模したクッションが……。
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「夜のプロヴァンスの田舎道」は、ゴッホがプロヴァンスで描いた最後の作品。ゴーガンあての手紙にこの絵について自画自賛っぽく説明していたそうです。
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「夕暮れの松の木」の木も生きているような存在感です。傘を持った女性が風に抗うように歩いていて、人生の大変さを表しているようです。

この展覧会で目玉の作品といえば「夜のプロヴァンスの田舎道」に描かれた、夜空にそびえる糸杉の絵です。16年ぶりに来日した名画です。1890年、ゴーガン(結局仲直りしたのでしょうか)が提唱した「記憶から描く」という手法で描かれていて、道も建物も空もうねっていて、現実ではなく夢の中の光景のようです。道を歩く2人の男性は、もしかしたらゴッホ自身と友人ゴーガンを思いながら描いたのかもしれないと勝手に想像。
ゴッホの孤独感が胸に迫ります。

ゴッホの着目した悲しむ人々や老いた人々などの絵には、人間への深い興味と愛情が感じられ、風景画にも人間と自然を同類に扱っているゴッホのフラットな視点が表れているようでした。彼は、俗世で生きていくには、優しくて繊細すぎたのでしょう……。ちなみに、ゴッホの作品から放たれるカオスのようなエネルギーで、展示会場から家まで2回電車に乗り間違えました。ゴッホ展で作品に感情移入することで、自分の人生にも予測不能のことが起きたら、ゴッホのエネルギーに触れられた、ということなのかもしれません。

「ゴッホ展――きあう魂 ヘレーネとフィンセント

期間:~12月12日(日)
時間:9:30~17:30 ※毎週金曜日20:00まで開室(いずれも入室は閉室の30分前まで)
休:月曜 ※ただし11月8日(月)、11月22日(月)、11月29日(月)は開室

※開催日時などにつきましては、新型コロナウイルス感染症の状況により変更の可能性もあるので、公式HPなどでチェックしてください。

会場:東京都美術館 企画展示室
東京都台東区上野公園8-36
https://gogh-2021.jp/

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。

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