誰もが知っている世界的芸術家、ミロ。ピカソと並ぶスペインの巨匠で、プリミティブでピュアさを感じさせる絵柄の印象があります。普遍的な人気を保っている画家が、実は日本好き、と聞いたらさらに好感度が爆上がりに。「ミロ展-日本を夢みて」は、約130点もの作品を通してミロと日本のつながりに迫ります。
学芸員の方のギャラリートークを聞くと、ミロと日本のつながりは、これまでも言われてきたけれどちゃんと検証されていなかったとか。禅に興味を持っていたり、アトリエには埴輪の本など日本関係の本がたくさん保管されていたそうです。しかもはるばる来日もされて、展覧会も開催しています。ミロにとって、日本のものは日常の雑貨などでも質感に富んでいて魅力的だったとか。タワシを画材に使ったこともあります。詩人で美術評論家の瀧口修造とのつながりもありました。距離的には遠いけれど、日本とスペインの間に文化的、エネルギー的交流があったと思うと感慨深いです。海外に行けない今、異文化交流を体感したいです。
ミロと日本、相思相愛の展示は、浮世絵のコラージュから始まります。「アンリク・クリストフル・リカルの肖像」は、美術学校の友人を描いた作品。その背景に浮世絵が貼られていました。1900年代初頭にはヨーロッパでジャポニズムブームがあり、バルセロナにも浮世絵など日本美術が入ってきていたようです。
若き時代のミロは、お金がなくて一日乾燥イチジク一個で空腹をしのぐ日もあったとか。パリにアトリエを借りて創作活動に励みます。1925年「パイプを吸う男」という作品がきっかけで画商と契約を結び、頭角を現します。シュルレアリストと交流を深めながら、独特の一筆書きのようなタッチを確立。
1932年に東京で開催された「巴里新興美術展」にミロの作品「焼けた森の中の人物たちによる構成」なども展示されました。グレーの背景にピンク色の顔が不敵に笑っています。当時のインタビューでミロは「絵画に関するものを徹底的に壊すつもり」と語っていたようで、かなりの野心家です。朴訥としたかわいいタッチとのギャップが……。当時、この作品を見た瀧口修造は興奮のあまり暗くなるまでさまよったそうです。そして瀧口修造は1940年に世界初のミロについての単行本を出版し、両者の間に交流が生まれました。絵や詩でコラボした本も出しています。
デッサンとコラージュを組み合わせたり、絵と文を一体化させたり、実験的な創作を展開していたミロ。書き込まれた流線型の文字がおしゃれな「おお! あの人やっちゃったのね」は、実は「おなら」のことを指しているそうです。よく見ると線の一部がお尻っぽいです。普通の生理現象ですが、もしかしたらミロはおならを一大事に捉えるほど、女性を理想化していたのかもしれません。女性を描いた作品もいくつかありましたが、生々しさやリアルさは感じられず、シュールな表現でした。
順調に認められ、創作していたと思われるミロですが、「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」という作品は、戦火を逃れてマジョルカ島のパルマで隠遁生活を送っていた頃に描かれています。ゴシック聖堂で歌やオルガンの音色を聞くことが、ミロにとって癒しのひとときでした。黒い背景の中、孤独な生き物が何体かこちらを見つめているような作品で、コロナ禍の今、精神的に共感する人も多そうです。
亡命生活中に旧友の陶芸家、ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガスと共に陶器の作品を作りはじめたミロ。「陶器は絵画以上に人を驚愕させます」と語っていました。実際に驚くほど大きい壺が展示されていて、背伸びしても中が見えないミステリアスな壺でした。ミロの残留思念が中にとどまっていそうです。
1966年についに日本を訪れたミロ。それ以来、墨汁のはねのようなタッチの太い線を描くように。ちなみに初来日は73歳でした。展覧会を開いた毎日新聞のために「祝毎日」というミロタッチで描かれた漢字の作品を残しています。瀧口修造とも初対面し、おじさん2人が静かに抱き合ったそうです。1969年にも二回目の来日。日本万国博覧会のガスパビリオン内に、アルティガス親子と制作した陶板壁画「無垢の笑い」が展示されました。ちなみに交渉に当たったのは電通の人だそうで、さすが当時から暗躍しています。「無垢の笑い」は黒い筆書きの描線と、原色を組み合わせたミロらしい作品。竹箒やタワシなどを使って描かれたタッチはワイルドです。
さらに、来日したミロはパビリオン内のスロープの白壁に着目し、自らそこに絵を描くことを提案。電通の人も驚いたことでしょう。ここでまた箒やタワシが登場したそうで、描きながら壁もきれいになりそうです。70代とは思えないほどアグレッシブです。年を重ねてもタッチが無邪気というギャップも人気の理由でしょうか。
黒くて太い線で描かれたミロの作品は、どこか護符のようにも見えます。ミロの作品は魔よけでもあり、癒しでもあり、今もなお人々の潜在意識に働きかけています。