日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりの大規模回顧展 #73

誰もが知っている世界的芸術家、ミロ。ピカソと並ぶスペインの巨匠で、プリミティブでピュアさを感じさせる絵柄の印象があります。普遍的な人気を保っている画家が、実は日本好き、と聞いたらさらに好感度が爆上がりに。「ミロ展-日本を夢みて」は、約130点もの作品を通してミロと日本のつながりに迫ります。

学芸員の方のギャラリートークを聞くと、ミロと日本のつながりは、これまでも言われてきたけれどちゃんと検証されていなかったとか。禅に興味を持っていたり、アトリエには埴輪の本など日本関係の本がたくさん保管されていたそうです。しかもはるばる来日もされて、展覧会も開催しています。ミロにとって、日本のものは日常の雑貨などでも質感に富んでいて魅力的だったとか。タワシを画材に使ったこともあります。詩人で美術評論家の瀧口修造とのつながりもありました。距離的には遠いけれど、日本とスペインの間に文化的、エネルギー的交流があったと思うと感慨深いです。海外に行けない今、異文化交流を体感したいです。

日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_1
浮世絵をコラージュした「アンリク・クリストフル・リカルの肖像」。親友リカルのファッションも気になります。

ミロと日本、相思相愛の展示は、浮世絵のコラージュから始まります。「アンリク・クリストフル・リカルの肖像」は、美術学校の友人を描いた作品。その背景に浮世絵が貼られていました。1900年代初頭にはヨーロッパでジャポニズムブームがあり、バルセロナにも浮世絵など日本美術が入ってきていたようです。

日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_2
右は無題のタペストリー作品。左のステンシル作品がタペストリーになっています。配色のセンスが良いです。

若き時代のミロは、お金がなくて一日乾燥イチジク一個で空腹をしのぐ日もあったとか。パリにアトリエを借りて創作活動に励みます。1925年「パイプを吸う男」という作品がきっかけで画商と契約を結び、頭角を現します。シュルレアリストと交流を深めながら、独特の一筆書きのようなタッチを確立。

1932年に東京で開催された「巴里新興美術展」にミロの作品「焼けた森の中の人物たちによる構成」なども展示されました。グレーの背景にピンク色の顔が不敵に笑っています。当時のインタビューでミロは「絵画に関するものを徹底的に壊すつもり」と語っていたようで、かなりの野心家です。朴訥としたかわいいタッチとのギャップが……。当時、この作品を見た瀧口修造は興奮のあまり暗くなるまでさまよったそうです。そして瀧口修造は1940年に世界初のミロについての単行本を出版し、両者の間に交流が生まれました。絵や詩でコラボした本も出しています。

日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_3
『ミロの星とともに』は、ミロと瀧口修造の共作詩画集。もはや2人にはソウルメイト感が漂います。
日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_4
「マキモノ」と題された横長の作品は、よく見るとかわいいモチーフだらけです。

デッサンとコラージュを組み合わせたり、絵と文を一体化させたり、実験的な創作を展開していたミロ。書き込まれた流線型の文字がおしゃれな「おお! あの人やっちゃったのね」は、実は「おなら」のことを指しているそうです。よく見ると線の一部がお尻っぽいです。普通の生理現象ですが、もしかしたらミロはおならを一大事に捉えるほど、女性を理想化していたのかもしれません。女性を描いた作品もいくつかありましたが、生々しさやリアルさは感じられず、シュールな表現でした。

日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_5
「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」は、大聖堂で音楽を聞きながら描かれた作品。じっと見ているとたしかに音楽を感じます。

順調に認められ、創作していたと思われるミロですが、「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」という作品は、戦火を逃れてマジョルカ島のパルマで隠遁生活を送っていた頃に描かれています。ゴシック聖堂で歌やオルガンの音色を聞くことが、ミロにとって癒しのひとときでした。黒い背景の中、孤独な生き物が何体かこちらを見つめているような作品で、コロナ禍の今、精神的に共感する人も多そうです。

日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_6
アルティガスと作った巨大な「大壺」は、1966年の「ミロ展」で披露されました。

亡命生活中に旧友の陶芸家、ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガスと共に陶器の作品を作りはじめたミロ。「陶器は絵画以上に人を驚愕させます」と語っていました。実際に驚くほど大きい壺が展示されていて、背伸びしても中が見えないミステリアスな壺でした。ミロの残留思念が中にとどまっていそうです。

日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_7
「祝毎日」は1966年、竣工したばかりの毎日新聞東京本社を訪問したミロが描いた作品。

1966年についに日本を訪れたミロ。それ以来、墨汁のはねのようなタッチの太い線を描くように。ちなみに初来日は73歳でした。展覧会を開いた毎日新聞のために「祝毎日」というミロタッチで描かれた漢字の作品を残しています。瀧口修造とも初対面し、おじさん2人が静かに抱き合ったそうです。1969年にも二回目の来日。日本万国博覧会のガスパビリオン内に、アルティガス親子と制作した陶板壁画「無垢の笑い」が展示されました。ちなみに交渉に当たったのは電通の人だそうで、さすが当時から暗躍しています。「無垢の笑い」は黒い筆書きの描線と、原色を組み合わせたミロらしい作品。竹箒やタワシなどを使って描かれたタッチはワイルドです。

日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_8
日本と両想いの芸術家、ミロの20年ぶりのの画像_9
ミロが日本滞在中に収集したものたち。こけし産地の職人の元まで訪ねたそうです。描画に使ったタワシも。

さらに、来日したミロはパビリオン内のスロープの白壁に着目し、自らそこに絵を描くことを提案。電通の人も驚いたことでしょう。ここでまた箒やタワシが登場したそうで、描きながら壁もきれいになりそうです。70代とは思えないほどアグレッシブです。年を重ねてもタッチが無邪気というギャップも人気の理由でしょうか。

黒くて太い線で描かれたミロの作品は、どこか護符のようにも見えます。ミロの作品は魔よけでもあり、癒しでもあり、今もなお人々の潜在意識に働きかけています。

「ミロ展ー日本を夢みて

期間:〜2022年4月17日(日)
時間:10:00~18:00 (入館は閉館30分前まで)毎週金・土曜日は21:00
休:3月22日(火)

※開催日時などにつきましては、新型コロナウイルス感染症の状況により変更の可能性もあるので、公式HPなどでチェックしてください。

会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
東京都渋谷区道玄坂2丁目24−1
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_miro/

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。

記事一覧を見る

FEATURE
HELLO...!