20世紀を代表する巨匠アンリ・マティスの癒し系アート #88

「色彩の魔術師」と言われ、純粋な色彩による絵画様式「フォーヴィスム(野獣派)」を生み出したマティスの作品は、センスがほとばしっています。今回、待望の「マティス展」が東京都美術館で開催。世界最大規模のマティスコレクションを有する「ポンピドゥー・センター」の所蔵品を中心に、約150点が展示されています。

84歳まで長生きしたマティスは「人生に目立った事件はない」と言ったそうですが、その反面「私の絵はほとんどどれも冒険だ」という言葉も残しています。この展示は「大回顧展」として、初期から晩年までの作品を網羅。

20世紀を代表する巨匠アンリ・マティスのの画像_1
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「豪奢、静寂、逸楽」は新印象派の画家の招きで南仏に滞在したあとに描かれた作品。混じりけのない色がきれいです。

1895年に制作された、20代の頃の作品「読書する女性」は、写実的で色調も渋いです。そのあと何年も自分の画風を模索していましたが、徐々に明るい色彩が増えてきて、1900年頃にはじめてコルシカ島に滞在してからは、南仏の色彩と光を絵画に取り入れるように。


「豪奢、静寂、逸楽」は、南仏サン=トロペに行ってから新印象派の画法に挑戦した、マティスに珍しい点描作品。鮮やかな原色とラフなタッチに、マティスの個性が感じられます。

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「赤いキュロットのオダリスク」は、多数描かれた「オダリスク」絵画の1作目。布などモティーフ選びのセンスも感じられます。

彫刻作品も手がけていたマティス。「横たわる裸婦」などを制作しながら、デフォルメしたり簡略化させたりするタッチを見出していったようです。

20年の試行錯誤が見えるのが「背中」シリーズ。IからIVまである女性の後ろ姿のレリーフの連作で、最初の作品は1909年、4枚目は1930年に制作され、最初はわりとリアルだったのがだんだんシンプルに、抽象的になっていっています。単純な線ほど力強く見えます。


1921年からは「オダリスク」と呼ばれる、魅惑的な女性のシリーズに着手。モデルも、隣人のロレットに続き、バレリーナで俳優のアンリエットなどがしどけないポーズで登場。

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「座るバラ色の裸婦」は、画面上で何度も描きなおしたり塗りつぶしたりした痕跡が残っていて、背景に深みを与えています。
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「夢」のモデルはリディア・デレクトルスカヤ。アトリエ助手をつとめたあと、モデルとしてもマティスに貢献しました。

「夢」という作品に、裸でうたたねしているようなポーズで描かれているのは、秘書としてもマティスを支えた40歳年下のリディア・デレクトルスカヤです。

「モデルがどのようなポーズを取るかを決めるのは画家ではなく、自分はただ奴隷のように従うだけなのだ」と、マティスは言っていたそうです。評価が高まり、地位を確立しても、女性に対しては下手に出る、M的なスタンスだったのでしょうか。ポーズも無理なく、見ていてリラックス感が伝わってきます。妻以外の女性遍歴もいろいろあったみたいですが、モデルの女性を大切にする姿勢は、現代においても好意的に受け止められそうです。女性に対しては「野獣派」ではありませんでした。妻とは一悶着があり別居して、最後まで連れ添ったのはリディアだったようですが……。

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「アルジェリアの女性」に描かれているのは着物を思わせる衣装を身に着けた女性。女性の表情や色合いに生命力が感じられます。
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「ジャネット IV」は、当時住んでいたパリ近郊の街の隣人がモデルになっています。ヘアスタイルに少しサザエさん感が。
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「金魚鉢のある室内」はパリのアトリエから見えるセーヌ川や、金魚鉢が描かれています。すべてのモチーフが平等に扱われているような不思議な絵です。

人物画も華やかですが、マティスの静物画もおしゃれです。「黄色と青の室内」はテーブルに花瓶やレモンが置かれた、イエローとブルーのコントラストが美しい作品。奥行きを感じさせず、モチーフがデザインされたように並んでいます。

「赤の大きな室内」は、赤い空間に花瓶や絵画、敷物が絶妙な配置で並んでいて、色彩の魔術師のセンスを感じます。人物画も室内を描いた絵も、椅子が描かれている率が高いですが、マティスは「私が夢見る芸術は、精神安定剤のような、肉体の疲れを癒す良い肘掛け椅子のような存在です」とも言っています。

椅子が描かれていることで、観る人はサブリミナル的にリラックスできて心地よい感覚を得ることができるのでしょう。自己表現を追及する画家が多い中、癒しというテーマを意識していたマティス。作品がずっと愛される理由はここにあるのかもしれません。

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「自画像」は1900年に描かれたので、31歳の頃のマティス。それにしては貫祿があって老けているような……。ヒゲに風格があります。
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置いても生命力を感じさせる切り絵のシリーズ。右上は「剣を飲む人」、右下は「カウボーイ」、左は「ナイフ投げ」と、想定外のタイトルでした。

マティスといえば、POPな切り絵の作品を連想する人も多いと思われます。今回の回顧展で、切り絵は晩年の作品であることがわかりました。1940年代、病から復活したマティスは、しばらくベッドや車椅子の生活でしたが、切り絵作品を精力的に制作。作業を手伝ったのはリディアでした。

原色が使われた「ジャズ」のシリーズなどは、モチーフが踊りだしそうな楽しい作品。病み上がりでも尽きせぬ創作欲を感じます。「オセアニア、空」「オセアニア、海」はベージュ系で色を抑えた分、形が浮き上がってきます。これはグッズになったらかなりおしゃれかも……と思ったのですが、ショップコーナーではバッグやスカーフ、マグカップ、クッションなど大々的に展開していました。マティスのセンスは古びないことを実感。

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右の切り絵は「狼」、左は「ハート」。マティスにしかできない色の重ね具合です。
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「ヴァンス礼拝堂、ファサード円形装飾 <聖母子> デッサン」は、聖母子がモチーフになっています。後方に見えるのは、上祭服のデザイン案。

晩年には4年もかけて「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」の装飾やステンドグラスなどを手がけました。癒しというテーマでは集大成です。この仕事でマティスはきっと死後天国に行けたことでしょう。


マティスはデッサンを描くときなど、何かに身を任せてペンが動いていくままにし、自分ではコントロールしなかったそうです。「私の進む道はまったく予測がつかない。私は導かれているのであって、導いているのではない」という言葉がありますが、自分の直感を信じて、芸術の神に自らを委ねていたマティス。うまく描こうという自意識もほとんど感じさせません。人生も芸術も自然な流れに身を任せて、それが結果的に功を奏したのでしょうか。マティスの絵画をじっくり鑑賞すると、無意識とつながれるような気がします。
 

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「オセアニア、海」はよく見ると海の生き物たちの姿が。切り絵もかわいくてベージュの色合いも素敵です。
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「オセアニア」シリーズのグッズは色合いも素敵です。どのインテリアになじむ色合い。

「マティス展」

期間:~2023年8月20日(日)
時間:09:30~17:30 金曜20:00まで(入室は閉室30分前まで)
休:月曜日、7月18日(火) ※ただし 7月17日(月・祝)、 8月14日(月)は開室

会場:東京都美術館 企画展示室
東京都台東区上野公園8-36
https://matisse2023.exhibit.jp/

 

※開催日時などにつきましては、状況により変更の可能性もあるので、公式HPなどでチェックしてください。

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。

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