五大明王と刀と襖絵のやんごとなき美の競演 #大覚寺展

京都・嵯峨に鎮座する真言宗大覚寺派の大本山の寺院、大覚寺。平安時代初期に嵯峨天皇の離宮として造営され、貴族が集う場所でしたが、その後、寺として創建されました。代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めたやんごとない門跡寺院です。そのお寺の宝物の数々を紹介する『旧嵯峨御所 大覚寺 ー百花繚乱 御所ゆかりの絵画ー』が開催。御所とは、かつてこのお寺が「嵯峨御所」と呼ばれたことにちなんでいます。

京都・嵯峨に鎮座する真言宗大覚寺派の大本山の寺院、大覚寺。平安時代初期に嵯峨天皇の離宮として造営され、貴族が集う場所でしたが、その後、寺として創建されました。代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めたやんごとない門跡寺院です。そのお寺の宝物の数々を紹介する『旧嵯峨御所 大覚寺 ー百花繚乱 御所ゆかりの絵画ー』が開催。御所とは、かつてこのお寺が「嵯峨御所」と呼ばれたことにちなんでいます。

大覚寺

第1章 大覚寺の信仰の要は、「五大明王」と「般若心経」

大覚寺
平安時代、明円作の五大明王像。大覚寺のご本尊さまが東京まで来てくださってありがたいです。

大覚寺の信仰の要は、「五大明王」と「般若心経」の二つ。今回の展示には、平安時代に作られた「五大明王」と、室町・江戸時代の「五大明王」の二組が来てくださっていて、第1章の展示室は明王密度が高いです。大きなサイズの室町・江戸時代の像も圧巻ですが、平安時代後期の像は優美な中にもパワーがみなぎっていて、作者の明円の力量を感じさせます。

牛に乗っている明王の勇ましい表情と、牛の平和な雰囲気のギャップが印象的な「大威徳明王」、腕が8本あってフォーメーションが見事な「軍荼利明王」、目力が半端ない「不動明王」、頭部が前後左右、後ろ向きにもついているのがシュールな「降三世明王」、6本の腕で武器を操る「金剛夜叉明王」といった最強の布陣。

大覚寺
室町時代に作られた不動明王様。赤い炎で煩悩や邪気を燃やしてくださるのでしょう。

この明王様戦隊だけでもご利益がすごそうで、いつか改めて大覚寺に拝みに行きたいところですが、もう一つの信仰の対象、「般若心経」もかなりの霊力のようです。

818年に疫病が大流行した際、嵯峨天皇は自ら般若心経を書き写して天下の安寧を祈られました。しかも一文字書くごとに、三度仏を礼拝されながら……。一文字入魂で書かれた自筆の「宸翰勅封般若心経」は厳重に守られていて、大覚寺から持ち出されることはありません。60年に一度だけ勅封が解かれるそうです。この般若心経の封印が解かれた時に、疫病が収まったり具合の悪い人が起き上がったりしたそうです。

今回の展示にはもちろん「宸翰勅封般若心経」本体は来ていないのですが、儀式を行った記録などが展示されていました。音声ガイドでは、お寺で僧侶が唱える般若心経を再生できるプログラムもあり、声に宿る浄化力で身体が軽くなった感がありました。他にも、空海の筆と伝えられる「藍紙金光明最勝王経」など、言霊パワーがうずまく書が並んでいます。

第2章 鎌倉時代、後宇多天皇が出家し大覚寺に入ってからがテーマ

大覚寺
「後宇多天皇宸翰 護摩口決」には師から伝えられた護摩木の組み方などが記されています。

第2章は、鎌倉時代、後宇多天皇が出家して大覚寺入りしてからがテーマです。後宇多天皇は大覚寺の中興の祖、と言われていて、出家して真剣に真言密教の修行に励み、阿闍梨になられました。空海推しといっていいほど空海に憧れ、リスペクトしていた後宇多天皇。後宇多天皇直筆の弘法大師空海の伝記「後宇多天皇宸翰 弘法大師伝」も展示されていました。太くしっかりした書体に思いが込められています。

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「後宇多天皇宸翰 灌頂印」は、密教の授法の儀式である灌頂の際に、師によって伝授された印明(手で結ぶ印)や、唱える真言などの秘法が記された書。真言はサンスクリット語なのでもとはインドから伝来したのでしょう。護摩の焚き方や護摩木の組み方を記した書は、急いで描いたような雑なタッチで、大事な儀式の手順を吸収したいという、はやる気持ちが伝わります。この秘密の儀式はもしかして今の天皇家の関係者にも伝えられているのかもしれない、と夢が広がりました。後宇多天皇が積んだ功徳の効力は今も続いているのでしょうか。

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「弘法大師像」は鎌倉時代に描かれたもの。密教法具を持っているお姿です。
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「藍紙金光明最勝王経 巻第六断簡」は、奈良時代の空海の直筆と伝えられています。知性と人徳が文字からほとばしっています。

第3章 室町時代の末期、近衛家が門跡となった時代

大覚寺
左は大覚寺に伝わる「薄緑〈膝丸〉」で、右は北野天満宮に伝わる「鬼切丸〈髭切〉」という兄弟刀です。刀二本が東京に揃うことははじめて。

第3章は、南北朝の戦乱を超えて室町時代の末期、近衛家が門跡となった時代についてのコーナーです。近衛家の人脈パワーで、また天皇家の子息が門跡に復活。こちらの見どころは、清和源氏に代々継承された、霊威みなぎる兄弟刀。大覚寺の重要文化財「太刀 銘忠(名物 薄緑(膝丸)」と北野天満宮の重要文化財「太刀 銘 安綱(名物  鬼切丸(髭切〉)」です。別々の場所に存在する兄弟の刀が一つのケースで再会。しかしその由来は恐ろしく、「膝丸」は罪人で試し切りした時に両膝まで斬り落としたと伝えられています。「髭切」は罪人の首を試し斬りしたら、一振りで髭まで斬れたそうです。源平合戦で源氏に勝利をもたらしたと言われる伝説の宝刀。人や鬼を斬ったにしては、血を吸ってきた刀特有の妖しさは感じられず、刀そのものに浄化の力が宿っているようでした。願いや祈りを受け入れる霊器として、代々奉られてきた刀です。

第4章 大覚寺の正寝殿と宸殿の襖絵

大覚寺
華やかな障壁画の展示室は、入った瞬間、極楽浄土に来たような感覚が。前期・後期あわせて123面もの障壁画が展示されます。

第4章は、大覚寺の正寝殿と宸殿の襖絵を展示。長さ約22メートルに及ぶ狩野山楽による襖絵「牡丹図」18面など、襖空間に没入できる展示室は圧巻でした。「柳に燕図」「紅白梅図」「松鷹図」などの雅な襖が並んでいて、これだけのものを大覚寺から運んだということは、大覚寺は襖不足ですきま風が入ってきていないか心配になります。

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障壁画「松鷹図」(重要文化財 狩野山楽筆)は、寿ぎのエネルギーにあふれていて、おめでたいです。
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狩野山楽による障壁画「牡丹図」も今回の展示の見どころ。構図のセンスがすばらしいです。
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狩野山楽による「紅白梅図」に描かれた美しい紅梅は徳川家の繁栄を表していると言われています。
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「野兎図」は幼くして大覚寺に入った卯年生まれの門跡を慰めるために描かれたそうで、心が癒されます。

そして、正寝殿の腰障子に描かれた「野兎図」(渡辺始興作)は、かなりかわいくて癒されました。19匹もの野兎が、跳ねたりあたりを警戒したり毛繕いしたり、絶妙にリアルなタッチで描かれています。幼い門跡を慰めるための絵とも伝えられています。出家していなくても、見た人は誰でも心が癒されます。


五大明王や般若心経のパワーで煩悩がしずまり、刀で浄化されたあとは、百花繚乱の美しい襖絵に囲まれて、かわいい兎まで出てきて、極楽浄土に導かれそうな展示でした。畏れ多くも天皇家の功徳にあやからせていただけたようです。

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「若松蒔絵十種香箱」は江戸時代の品。香りを聞き当てる遊び「組香」の道具を収める箱です。
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歴代門跡の執務室であった「御冠(おかんむり)の間」が再現されたコーナー。業務がはかどりそうな空間です。

開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」
期間:~3月16日(日)
時間:9:30~17:00 (入館は30分前まで)
休:月曜 2月25日(火)※2月10日(月)、2月24日(月)は開館
会場:東京国立博物館 平成館
東京都台東区上野公園13−9
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/daikakuji2025/

辛酸なめ子プロフィール画像
辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』(祥伝社文庫)『タピオカミルクティーで死にかけた土曜日の午後 40代女子叫んでもいいですか 』(PHP研究所)『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)『妙齢美容修業』(講談社文庫)『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)。Twitterは@godblessnamekoです。

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