"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
今回はちょっと議会政治の話をしたいと思う。7月に英国で政権交代が起きたからだ。いちおう左派(今は党全体としては中道だが)の労働党が14年ぶりに保守党から政権を奪還した。
英国は日本と違ってきっぱりとした二大政党制だが、労働党が政権を奪い返すのは、1997年にトニー・ブレアという、当時は政界のロックスター扱いだった首相が誕生したとき以来だ。そのせいか、今回はあのときのことを思い出す場面が多い。そして、やはり左派政権の誕生となると、話題になるのは女性議員や女性閣僚の数だ。
1997年の総選挙では、労働党の女性下院議員が数多く誕生したことが話題になった。101名の女性議員たちは、ブレア政権のリベラルさを象徴するような存在と喧伝され、メディアは彼女たちを「ブレアのベイブ(babe)たち」と呼んだ。ベイブとはベイビーの短縮形であり、「かわいこちゃん」ぐらいの意味だ。
当時、堂々とこの言葉が使われていたことを考えると、ポリコレ以前の時代だったんだよなと思わずにはいられない。が、27年前でもこの表現に違和感を覚えた人は多かった。だって、当時のブレア首相は44歳であり、彼より年上の女性議員たちが多かったのだ。そんな「ベイブたち」に囲まれて笑っている首相の写真を見ると、「かわいこちゃん」という呼称の奇妙さが浮き彫りになる。ユーモアを込めた表現にしても、「これは引く、失礼だろう」みたいな感じだった。
一方、今年は、女性議員が増えたことで大騒ぎしていた頃からはさすがに時代は変わっているので、女性閣僚の多さが話題になった。閣僚25人のうち11人が女性であり、女性の入閣は過去最多になったからだ。彼女たちはもう「ベイブ」とは呼ばれないが、しかし、報道を見ていると、なんだかそんなに時代は進んでいるわけでもないのではという気にもなってきた。
中でも注目を集めていた(英国だけでなく、日本でも新聞に取り上げられていたようだ)のは、副首相のアンジェラ・レイナーだ。政権発足直後に着用した服のブランドが、全国紙に取り上げられた副首相は彼女が初めてだろう。ブレア政権時代の労働党関係者の配偶者がデザイナーを務めているブランドの服を3日連続で着ていたそうだが、これが記事になるのもちょっと違和感を覚えるのだ。男性の副首相が同じブランドのスーツを3日連続で着ていたとして、それが記事のネタになり、写真つきで報じられることはあるだろうか? 党の関係者が経営する会社の服を着て、宣伝していることを批判したいなら、服の値段や、同じ服をモデルが着用している写真まで掲載する必要があるだろうか(そっちのほうがよほど服の宣伝に加担することになりそうだ)。なんかちょっと、政治家をロイヤル・ファミリーのメンバーと勘違いしているのではないかと思ってしまう。キャサリン妃があのブランドのいくらのドレスを着て映画のプレミアに現れましたとか、公務で着たスーツが意外にお手頃価格だったとか、そういう記事に麻痺してしまっていて、女性政治家も同じ扱いをされるようになっていないだろうか。
男性閣僚が記事になるのは、着ている服ではなくて、その発言や仕事ぶりが話題になるときだ。アンジェラ・レイナーは公営住宅地出身で、10代でシングルマザーになり、高等教育も受けていない。それも話題になり大きく報道されているが、政治家として本当に彼女が注目してほしいのは、苦労した生い立ちやファッションといったゴシップ誌に載っているようなことじゃなく、これまで政治家として何をしてきた人なのか、これから副首相としてどういう仕事をしていきたいのかという部分だろう。仮にも、次の英国首相も視野に入ってきた人なのだから。
英国初の女性財務大臣になったレイチェル・リーブスは、さすがにファッション・アイコン的な扱いは受けていない。財務大臣といえば首相の次に重要なポジションでもあるし、コスト・オブ・リヴィング・クライシス(生活費危機)で苦しんできた英国経済を立て直す使命を負っているという意味では、首相以上に国の未来を左右する存在だ。こっちは着ている服がどうのとか、ライフストーリー云々とか言ってる場合ではない。しっかりと具体的な彼女の経済政策や景気対策について報道されているはず、と思いきや、こちらはトイレが話題になっていた。
財務大臣が執務を行うことになっている官邸の財務大臣専用トイレに、男性用便器があり、女性のレイチェル・リーブスには必要ないので、取り外しが検討されているということが大きな話題になっていたのだ。財務大臣といえば、一国の経済の行方を変える重要な立場である。便器の取り外しを希望するかどうかというようなことより、彼女が財政をどう運営していくつもりなのか、どんな政策で貧困問題を解決するつもりなのかということが報道されるべきなのに、便器で大騒ぎもないだろう。この話題は、就任して1カ月たっても官邸の専用トイレにまだ男性用便器があると財務大臣本人が明かしたときにも再燃した。問題の便器には、(聞く人によって異なるが)800年から1000年の歴史があるそうで、そう簡単に外せないということなのだろうか。
副首相のファッション記事や、財務大臣の官邸トイレ騒動を見ると、英国のメディアでさえ、まだまだ女性が政府で重要な役割に就くことに慣れていないのだと感じずにはいられない。確かに、女性議員たちが「かわいこちゃん」呼ばわりされる時代は遠い過去になった。しかし、「女性ならでは」の話題をメディアが探そうとし、政治家としての思想や手腕よりもそちらを取り上げようとする姿勢は、スポーツ選手や企業家の女性たちにすぐ家庭の話(「お子さんは何と言ってらっしゃいますか?」など)を質問する姿勢と同じだろう。
そもそも、洋服やトイレや家族といった身近な話題だけが「女性ならでは」と思っているメディアの認識こそが偏見であり、女性を閉じ込めるものだ。英国の女性閣僚たちには、このもう一つのガラスの天井(と便器)を打ち壊してほしい。政治も経済も法律も「女性の話題」なのだ。
ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。英国生活を描いた新エッセイ『転がる珠玉のように』(中央公論新社)が発売。