ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY
"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。

マノスフィア(男らしさを称揚し、反フェミニズムを唱えるネット上の潮流)について、当連載で先月書いた。が、これに対し、今度は「ウーマノスフィア」が話題になっている。最初にその言葉を耳にしたとき、これはマノスフィアに対抗する女性たちの動きかなと思った。何しろ、マノスフィアは直訳すれば「男の世界」みたいな意味なのだから、ウーマノスフィア、すなわち「女の世界」は、「もう男なんていらない!」と叫ぶ女性たちだけの空間かと考えたのである。しかし、私の想像はまったく外れていた。それはむしろ、マノスフィアと手を携えて進む感じの、女性たちによる反フェミニズム的潮流なのだと知り驚いた。
代表的インフルエンサーの一人が、ブレット・クーパーという23歳のコメンテーター。彼女はディズニーの実写映画『白雪姫』に反旗を翻した『白雪姫と邪悪な女王』に主演を予定していたことでも話題になった。ディズニーの『白雪姫』は、主演にラテン系俳優を起用し、フェミニズムの視点を強く打ち出していることから、保守派やオリジナルアニメのファンの一部が反発していた。これを受け、保守派メディアのデイリー・ワイヤーが独自の実写版映画を製作すると発表していたのだ。
その後、企画は立ち消えたという話もあるが、『Newsweek』日本版によると当時、ブレットは、「私みたいに伝統を大事にする人間にとって、フェミニズムをアピールするために原作がめちゃくちゃに破壊されるのは悲しい」と発言し、デイリー・ワイヤー版は「原作の価値観に沿っている」と主張する。
彼女はまた、登録者数150万人を超えるYouTubeチャンネルも持っている。ある回では、ジェフ・ベゾスの宇宙開発企業「ブルーオリジン」のロケットに搭乗して宇宙旅行をしたケイティ・ペリーたち6人の女性のことをこき下ろしていた。この宇宙旅行を歴史的な女性たちの業績のように称えることには、フェミニズムの側からも冷ややかな声が上がっていた。ブレットはそうした言説を紹介しながら、セレブたちのお遊びがガールパワーのわけがないと軽妙に皮肉を飛ばし続ける。だが、そのうち彼女の思想がよくわかる発言が出てくるのだ。
「だって、この女性たちは、この宇宙船を作った男性に完全に依存していた」「率直に言って、私たちはみんなそう。文明を築いたのは男性たちだから。私たちが住む家も、私がレコーディングしているスタジオも、裕福なセレブたちが乗り回している宇宙船も、彼らが築いてくれた」と言うブレットは、自分とフェミニストの違いは、「それを認め、祝福し、感謝することを選んだ」ことだと話す。
『ガーディアン』紙が伝える分析データによれば、彼女は2025年第1四半期に90万人以上の新規登録者を獲得していて、政治系YouTubeチャンネルでは2番目に急成長したチャンネルだった。
ウーマノスフィアには、ブレットのYouTubeチャンネル以外にも、ライフスタイル雑誌『Evie』や保守派ウェルネス系インフルエンサー、アレックス・クラークの「MAHA(Make America Healthy Again)」運動などがあり、さらに範囲を広げれば、SNSに家事関連のコンテンツを投稿する「tradwives(伝統的な妻たち)」のトレンドがある。
この分野を牽引する女性インフルエンサーの多くは若くてスタイリッシュで、彼女たちが配信するコンテンツにはマノスフィアのようなダークな雰囲気はない。ファッションや美容、食、ゴシップといった内容がほとんどで、あまり政治のにおいを感じられないのだ。こうした軽やかなコンテンツの中で、女性の最高の成功は、キャリアよりも「美しくあり、結婚し、母親になること」というメッセージを、おもに若い女性たちに向けて発信している。
ウーマノスフィアで称賛される女性のタイプは、痩せていて、性的指向がストレートで、妊娠しやすく、伝統的な女性らしさを持ち、(おもに白人男性にとって)魅力的な女性たちだ。この型から外れた女性たちは、嘲笑と軽蔑の対象となる。『Evie』誌などは一見どこにでもある女性誌のようだが、「痩せているときのセックスが最高」とか、ボディポジティブ(体にまつわる差別をなくそうとする運動)を信じると「自制心も魅力もなくなり、病的な状態になる」といった内容の記事を載せている雑誌だ。
リッチで強い男性の妻になるため、外見的魅力を磨き、常にセクシーで美しくあれという彼女たちの主張は、「男が強い時代に戻れ」のマノスフィアのインフルエンサーたちの世界観と見事に合致する。けれども、ここで問題なのは、YouTubeやポッドキャストで大儲けしているインフルエンサーのようにリッチな男性はほんのひと握りだということだ。大多数の男性たちは、自分の収入だけで家族を養い続けることなどできない。そんな時代は遠い過去の話だ。いまは経済不安のために結婚を躊躇する若者も多い。これが現代社会の現実である。
保守派の常套句に「自分たちのほうがリアル」というのがあるが、この世界観はあまりに現実離れしすぎている。「ウーマノスフィア」は若い女性たちには家父長制の地獄しか提示していないし、これを信じる女性が増えれば、多数派の男性だって苦しむことになる。
「強くあれ。そうすればどんな時代でも成功できる。俺にできたんだからお前にもできる。できないなら怠けているだけ」みたいなことを言うマッチョなインフルエンサーたちが、ティーンの少年たちを奮い立たせながら、同時に深く病ませていると、息子が通っていた高校の心理カウンセラーが言っていたのを思い出す。
これをウーマノスフィアにスライドさせれば、「美しくあれ。少数の裕福な男性を捕まえなければ女性は生き延びられない。できないならあなたが怠けているだけ」になるのだろうか。大多数の人間は病んで滅びても構わないから、ほんの少数のスーパー・リッチとスーパー・ビューティがどんどん子どもをつくって繁殖していく世界をつくる、というのが目的なら話は別だが、そんな世界にはシスターフッドもブラザーフッドもない。あるのはエンパシーが枯渇した(というか、たぶんそこではエンパシーは禁止されているだろう)弱肉強食のディストピアだ。

ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。6月26日、本連載をまとめた『SISTER"FOOT"EMPATHY』(集英社)が発売!
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