アーティスト、エルズワース・ケリーの死から2年。構想に30年以上をかけた記念碑的インスタレーションがテキサスに完成した
1986年、ダグラス・S・クレイマーは、カリフォルニア州サンタバーバラの近くに所有するブドウ畑の中に、独立した建物を設計するようアーティストのエルズワース・ケリーに依頼した。クレイマーは、「ダイナスティ」や「ラブ・ボート」などの人気テレビドラマを手がけたプロデューサーだ。彼はこのアーティストの作品の熱心なコレクターで、自分の敷地内に大がかりなオリジナルのアートワークを制作してもらいたいと考えたのだ。
2015年12月に92年の生涯を閉じたケリーは、絵画や彫刻から余分な要素をそぎ落とし、フォルムと色という基本要素だけを残した作品で知られている。このとき彼がデザインした建物は、外観はアーチ状の天井を交差させたシンプルなダブル・ヴォールト構造で、ロマネスク建築やシトー派修道会の建築を思わせるものだった。まるで化粧漆喰塗りを施したイグルー(イヌイットの人々が圧雪ブロックでつくる簡易住居)のようにも見える。しかしその屋内に、ケリーはいくつもの驚きを用意していた。エントランスの上には格子状の着色ガラスの窓が配され、建物の別面には回転する四角形のリング、反対側には日輪の模様にデザインされた窓が、それぞれ光を屈折して透過させる。室内の壁には白と黒のコントラストが印象的な14枚の大理石パネルが並んでいる。
《オースティン》の正面エントランス。テキサス産の樫材のドアと格子状に並んだステンドグラスの窓が見える
これはキリストの受難の物語を14の場面で描く『十字架の道行』を、ケリー独自の抽象表現で形にしたものだ。一室しかない部屋の奥、キリスト教の教会であれば十字架が配置されている場所には、ケリーがつくったトーテムポール風の細い柱状の彫刻が置かれ、歩哨(ほしょう)のように屋内を見渡している。クレイマーが依頼したこのプロジェクトは、結局、実現せずに終わった。ケリーはこのチャペルが実際に建てられる日が来るとは思っていなかったものの、二つの模型を自分のスタジオに置いておいた。
しかし、物語には意外な結末があった。ケリーの建造物は、30年前に彼が思い描いたほとんどそのままの姿で、テキサス大学オースティン校のキャンパスにあるブラントン美術館の敷地に建てられたのだ。ケリーは人生最後の3年間に、ブラントン美術館館長のシモーヌ・ジャミール・ウィチャの助けを借りて、広さ約250平方メートル、天井の高さ約8メートルの《オースティン》という作品の計画を立てた(ウィチャがこのプロジェクトを知ったのは、ケリーの作品のコレクターであるミッキー・クラインとジーン・クラインのおかげだった。夫妻はテキサス大学の同窓生で、美術館の理事でもあった)。
ウィチャは、建設と基金の創設に必要な2,300万ドル(約25億円)もの寄付金を集めるのに力を尽くした。また、建物の完成見取り図や建築資材のサンプルをニューヨーク州北部にあるケリーの自宅に送り、彼がそれをひとつひとつ、見映えを確認しながら決めていった。板ガラスから床用の花崗岩、外壁に用いる石灰岩にいたるまで、あらゆる資材サンプルが彼のもとに送られた(テキサスの気候に耐えられるよう、外壁は当初の予定のスタッコから変更された)。そして建設は、ケリーの死の2カ月前に始まった。
ケリーの14枚の白と黒の大理石パネルに差し込む光
2月に一般公開された《オースティン》は、ケリーの全作品の頂点をなしている。彼が手がけてきた主題の集大成であるだけでなく、最高傑作であり、純粋な色とフォルムを追求し、その限界に挑んだ70年におよぶ彼の芸術活動の中で最も壮大な冒険である。これは芸術家がめったに実現することができないような、野心的な夢だ。同様のものとしては、たとえばクリスト&ジャンヌ=クロードが20年間かけて挑んできた作品が挙げられる。
アメリカのカンザス州、オクラホマ州、アーカンソー州を横切って流れるアーカンザス川の上に、長さ10キロメートルの布のパネルを渡すというこのプロジェクトは、昨年ついに断念された。マイケル・ハイザーの《シティ》と題された巨大な作品は、ネバダ砂漠に長さ約2.5キロメートルの彫刻を建造するというものだ。ハイザーは1972年からこれに取り組んでいるが、作品はいまだ一般に公開されておらず、あるいは公開されないまま終わるかもしれない。
エルズワース・ケリーの遺作であり、このアーティストが手がけた唯一の建築物である《オースティン》が、テキサス大学のブラントン美術館で2月にオープンした。ケリーは何十年も前にこの作品の着想を得ていたが、計画が始動したのは2015年に彼がこの世を去るわずか数年前のことだった
一方、《オースティン》のようなプロジェクトには前例がある。たとえば、テキサス州マーファの砂漠に建てられた「チナティ・ファウンデーション」の広大な建物群。ドナルド・ジャッドが自作の大型インスタレーションや同年代のアーティスト作品を展示するための美術館で、ジャッドは1979年から1994年に亡くなるまで、この建物の改築と美術作品の設置を続けた。また、バーネット・ニューマンの代表作《十字架の道行》は、1958年から1966年のあいだに制作された14部構成の連作絵画であり、アンリ・マティスが設計したコートダジュールのロザリオ礼拝堂は1951年に完成し、中には彼の作品が展示されている。ル・コルビュジエは1954年に、フランス東部にノートルダム・デュ・オーというカトリック礼拝堂をつくりあげた。しかし、主要なアーティストによるこれほど大規模な現代美術の作品としては、ケリーの《オースティン》ほど、アーティストの当初の野心を完璧に形にしたものはないかもしれない。(その他の作品もチェックする)
SOURCE:「A Temple For Light」By T JAPAN New York Times Style Magazine
T JAPANはファッション、美容、アート、食、旅、インタビューなど、米国版『The New York Times Style Magazine』から厳選した質の高い翻訳記事と、独自の日本版記事で構成。知的好奇心に富み、成熟したライフスタイルを求める読者のみなさまの、「こんな雑誌が欲しかった」という声におこたえする、読みごたえある上質な誌面とウェブコンテンツをお届けします。