6人が向き合った、「戦争」ーー戦後75年の今、あの時代を知らない私たちが考えるべきこと vol.4

いつのまにか私たちは、戦争を「目を背けたい恐ろしい過去」「自分たちとは関係のないこと」「やむを得ないこと」という安易な認識で捉えてしまってはいないだろうか? 戦争体験者だからこそ、あるいは戦後生まれであっても、その本質に真摯に対峙して作品を創り出している作家、アーティストの姿勢とその作品から、かけがえのない平和を守るために思考し、行動する力をもらおう。

※この記事はSPUR本誌2015年9月号にて掲載された同名特集を転載しています。

 

PROFILE
いしうち みやこ
●1947年群馬県生まれ。横須賀育ち。’79年、『APARTMENT』で木村伊兵衛写真賞受賞。2014年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。2015年秋にロサンゼルスのJ・ポール・ゲティ美術館にて『Postwar Shadows』と題した個展を開催。

 

被爆者という既存のイメージを超えて、切実な日常を映し出したいと思った

写真家 石内 都さん

 白い水玉模様のブラウス、小花柄のワンピース、刺しゅうで彩られた布のバッグ……。石内さんの2冊の写真集には1945年のあの日、原爆で命を失った人たちの遺品が納められている。破れたり、焦げたり、朽ちたりしているがどれも持ち主の愛情が伝わってくるようだ。
 「8年ほど前、最初に『広島を撮りませんか?』と編集者に言われたときは、正直、躊躇しました。生半可な気持ちではとても撮れないと思ったし、それに広島はもう撮り尽くされていて、私が撮るべきものは残されてないんじゃないかと思ったんです。悩みに悩んで、まずは一度、広島へ行ってみようと思いました」
 そして、初めて原爆ドームを目にして考えが一変した。「ちっちゃくて、頭がちょっとピンクでけなげな感じで『わー、可愛い!』って。写真やテレビでしか見たことなかったから大きくていかついもんだと思ってたら全然違ってた。そのとき、『これは撮れるな』と思いました」
 その新鮮な驚きは、広島平和記念資料館に残されていた遺品と対峙したときも同様だった。
 「傷んではいるけれど、ちゃんと色や模様があってデザインもおしゃれなんです。最初に撮影したのもジョーゼットのシースルーのワンピースで、被爆してくすんでいるけれど、元は紫色で細かい水玉模様が入っている。ひと目見て『うわっ、カッコいい!』って思いました。そして『ああ、そうか。みんな普通におしゃれしてたんだよね』って。『被爆者』というと暗くつらい印象で、おしゃれと無縁のように思うけれど、本当は違います。戦前は赤い飾りボタンをつけて、女性たちはおしゃれを精いっぱい楽しんでいた。広島もパリもニューヨークも全部一緒だったの。だから私は被爆者という既存のイメージを超えて、今この時代に目の前にある遺品たちと対話をしようと思ったんです」
 モノクロームの作品の印象も強い石内さんだが、ここに写し出すのは色のある世界。被爆者たちの生きた証しだ。
 「当時は洋服も防空頭巾もみんな着物をリメイクして作ってた。もちろん全部手縫いで、穴が開いたらきちっと繕って。遺品と向き合っていると、毎日を丁寧に生きていた人々の暮らしが見えてきます」

 

いつか彼女が帰ってきてもいいようにいちばんきれいに撮ってあげたい

 遺品を撮る中で自分自身の発見もあった。それは「戦後生まれの自分と広島が、実はつながっていた」ということだ。
 「私は6歳から19歳までを横須賀で過ごしたんですが、当時はベトナム戦争もあって、アメリカ軍基地のある横須賀は米兵でいっぱいでした。戦場に向かう街ですから死の影が濃くて非常にすさんでいて。精液のにおいみたいなものがいつも流れてきてた。思春期の私はそんな横須賀が大嫌いでした。でも、写真を撮り始めた頃、何を撮っていいかわからなくて、結局足もとを見ないとダメだということで横須賀を撮った。それが写真家としての出発点になりました。だから最初は頼まれ仕事で始めた広島の仕事がライフワークになっているのは意味があったんですね。私が基地の街から出発しているから。導かれるように広島にたどり着いたのは必然だったの」
 現在も年に数回、広島に通い、遺品と対話しながら撮影を続けている。
 「そこにワンピースがあるということは、かつてそれを着ていた女の子がいたということですよね。そうするとその子の影みたいなものにスッと出会っているわけ。ときには遺品が私を待っていてくれたと感じることもあります。だからいつ彼女が帰ってきてもいいようにいちばんカッコよく、きれいに撮ってあげるの」
 ファッション誌のような美しい写真に異論もあった。「原爆の悲惨さが伝わらない」と。でも「私が撮っているのは記録じゃない。もっと切実な日常」と言う。
 「今現在、遺品が残されているということは、75年前、日常を生きていたのに一瞬にして命を奪われてしまった人たちがいるということです。可愛いワンピースやブラウスを見て、私は自分が着ててもおかしくないと思った。つまりその子は私だったかもしれないということ。そのリアリティがすごかった。だから私が映し出したいのは被爆者何万人という数字ではなく、たったひとりの女の子の死とつながるような写真。そしてそれを提出するだけ。それを見て、みなさんが何かを感じとってくれたらと思います」

 

(右)『ひろしま』(左)『Fromひろしま』
石内 都(右 集英社/1,800円)(左 求龍堂/8,000円)
2008年発表の『ひろしま』に続き、新たに撮影したものを含めた『Fromひろしま』を2014年発表。現在に可憐に甦る被爆者の遺品たち。遺品が誰の持ち物で、いつどこで被爆したかなど、詳細なデータが広島平和記念資料館には残されているが、写真集にはあえて情報は入れられていない。

SOURCE:SPUR 2015年9月号「6人が向き合った、『戦争』」
photographs:Kikuko Usuyama interview & text:Hiromi Sato