【パラアスリートが見つめる未来 vol.11】パラ水泳/石原愛依さん

障がいがあっても、私は変わらない。ベストを尽くして闘い続けたい

SPUR2月号 石原愛依

競泳女子の石原愛依選手は、日本人アスリートがまだ誰も果たしていない“オリンピックとパラリンピックの両大会出場”という前人未踏の記録を目指し、日々自分自身と闘っている。病を発症したのはオリンピック出場を目標に大学でトレーニングに励んでいた、3年前の19歳のとき。突然視力に異変を感じ始めた。

「病院で精密検査をしても原因はわからず、先生から将来的に失明する可能性があり、もう視力が戻ることはないと言われたときは、すごく落ち込みました。いつ病気が進行するかわからないという怖さももちろんありましたが、何よりこれから家族や周りの人たちに迷惑をかけてしまうようになることが、一番の気がかりでした」

すぐには病気を受け入れられず、同時に当たり前のことが当たり前ではなくなっていった。4歳から続けてきた水泳をやめようとまで追い込まれたとき、父親からかけられた言葉が今でも忘れられないと話す。

「水泳をやめると両親に伝えたときに、父から『もうちょっとだけ(私の)泳いでいる姿が見たい』と言われて、ハッとさせられました。小さい頃から今まで結果を追い求めて、自分のためだけに泳いでいました。でもこれからは応援してくれる人のために頑張ってみようという気持ちに変化したんです。それから少しずつ障がいと向き合うことができ、もう一度本気で競技に打ち込めるようになりました。ただ、視界が狭くなったことでまっすぐ泳げず、壁にぶつかってアザをつくったり、ターンに失敗してタイムロスをしたりすることも多々ありました」

病気を発症する以前から多くの記録を残し、今まで培ってきた泳ぎの技術をもってしても、初めは自分が思うように泳げなかった。

「長年の感覚を頼りにコースロープと平行に泳ぐ技術を体に染み込ませました。あとは、練習では目をつぶって泳いでみたり、ターンは泳ぎながらストローク数を数えて、壁までどれくらいの距離かを考えながら泳いだりしています。いろんな感覚を研ぎ澄ませて泳いでいるので、かなり神経を使いますね。私は普段から丁寧な泳ぎを心がけているので、無駄な動きがなく、泳ぎ方がきれいと褒めてもらえるとうれしいです」

SPUR2月号 石原愛依

パリ大会への出場を逃した彼女は、次の2028年のロサンゼルス大会を見据え、歩みを進めている。

「病気になってベスト記録が出なくなったと思われたくないですし、タイムを競う競技なので、私はどちらの大会に出場してもやることは変わりません。だからこそ、両方の大会で勝負し続けたいと思っています。健常者とパラアスリートの両大会に出場していると、試合が立て続けになることもありますが、両方の世界を見られるのは、私の特権だなって。あとは、病気になっても挑戦し続けられるということを、私の泳ぎを通じて見てもらいたいですね」

石原愛依プロフィール画像
石原愛依

いしはら めい●2002年1月8日、福岡県生まれ。4歳から水泳を始め、小学生時代から世代別の全国大会で優勝を飾る。高校3年生で出場した世界ジュニア選手権で200m個人メドレーと200m平泳ぎで銅メダルを獲得。その後、2021年秋に病名不明の目の病を発症。2023年3月にパラ水泳の大会に初出場し、日本新記録を樹立。同年4月の日本選手権では200m個人メドレーで4位に入賞し、ワールドユニバーシティ大会の日本代表入りを果たす。現在は、auフィナンシャルホールディングスに所属。

石原さんを読み解く3つのS

Society

障がいの有無にかかわらず、私のように分け隔てなく、どちらでも活躍を望むアスリートが増えていってほしいですし、そういった人が活躍できる場が日本でも増えてほしいです。ただ、結果を出すためには競技力は必要なので、これからもレベルアップのために日々頑張ります。

Sleep

小さい頃から寝るときは、ぬいぐるみと一緒だったので、今も変わらず隣に置いて寝ています。私にとっては、生活の一部のような感じです。あと、遠征のときは自分の匂いがついたものがあると安心して眠れるので、ぬいぐるみ、枕、ブランケットのどれか一つは必ず持参します。

Smile

ディズニーが大好きなので、時間があれば舞浜にあるテーマパークへ行ってリフレッシュしています。今年は10回ほど行きました! 楽しみ方はたくさんありますが、私はアトラクションに乗るよりもパレードを見たり、キャラクターと写真を撮ったりするほうが好きですね。

 

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