最後のコレクション作りにあたって見つめたのは、過去ではなく未来
退任発表からの3カ月と、その夜、〝そのとき〟を迎えるまで
6月22日。その日がついにやってきた。ドリス・ヴァン・ノッテン最後のひのき舞台で、彼の2025年春夏メンズコレクションを発表。通算すると129回目のショーだ。38年間まっとうした仕事、自身の名を冠したブランドのファッション・デザイナーとしての役職から今回を最後に退くことが発表されたのは、今年の3月18日。ブランドと社員たちの将来を考え、6年前に自社をスペインのプーチ社に売った時点で、自身の引退を準備していることは予想されていた。とはいえこのニュースには世界中の多くの人が呆然とし、泣いた。少なくとも涙をこらえた。もちろん筆者も例外ではない。
そして最後のショーを控えた1週間ほどは各国大手メディアでのインタビューや回顧記事が次々と公開され、メンズのファッションウィークはクライマックスへとテンションを高めていった。また〝その日〟が近づくと、シルバーに白字で「LOVE」とひと言書かれたインビテーションを受け取って感動したゲストたちの投稿がSNSを埋め尽くした。ショー当日、筆者は一度帰宅して心を落ち着ける時間をとり、(泣くことを予想して)アイメイクはせず、バッグにはハンカチを用意し、大好きなドリス ヴァン ノッテンのドレスに着替えて会場へと向かった。
パリ郊外ラ・クルヌーヴへ車を走らせ、開場定刻の20時30分前には会場に到着した。ここは20年前に彼の記念すべきショーが開かれた、工場跡地。ショー前のカクテルディナーでは巨大なキューブ型の4面を覆うLEDスクリーンに、動画がコラージュ上映されている。それらは過去のショー、コロナ禍にオンラインで発表したコレクションの動画、インドの刺しゅう工房の様子を収めたビデオなど。
人混みの中に、アン・ドゥムルメステールの顔が見えた。彼女は1990年代初頭に、今で言うコミュニティのパワーを発揮した「アントワープの6人」の中でもドリスと最も親しい友人で、すでに2013年には自身のブランドを売却し、引退している。「NY タイムズ」紙でのドリスに関する記事では自身のブランドとの〝離婚〟がいかに精神的に大変かを彼女が語っていたことを思い出し、話しかけてみる。経験者としてドリスの胸の内を察し励ましに来たのかと思いきや、彼女は笑顔で「ドリスは素晴らしい決断をしたわね。彼のことを思うと今日はとてもハッピー」と。私たちは感傷的になりすぎているのだろうか? 複雑な気持ちになり、周りの喧騒をよそに、しばしスクリーンに見入った。
6月22日の最後のショーにて。
1 ショーの最中バックステージでランウェイを映し出すスクリーンに真剣に見入る
2 フィナーレでは歓声が轟く中、満面の笑みで最後の挨拶を
スタンディング・オべーションで幕を閉じた、感動のとき
photography: KAJ LEHNER (1, 3), ZOE JOUBERT (2)
3 ショー直後、ドリスが"家族"と呼ぶなじみのモデルたちに囲まれて。オープニングは彼の最初のショー(1992年春夏メンズ)にも出演したアラン・ゴシュアン
21時50分。人々が次々と一定方向を向き、携帯をかざしている。そちらを見るとカーテンがゆっくりと開き、銀箔を敷き詰めた一本道のランウェイが露わになった。会場は、ショーを待ち侘びていたゲストたちですぐに埋まった。空席はない。セレブリティを呼んではいないから、フロントロウに群がるカメラマンによる混乱もない。
22時10分頃に陽が落ち、日中は天窓から光が差し込むこのスペースが暗くなると、静けさの中、最初のメンズルックが現れた。聞こえてくるのはデヴィッド・ボウイの“Time... one of the most complex expressions...”。楽曲ではなくボウイによる詩の朗読で、〝始まりも終わりもない〟という言葉が聞き取れる。
ショーが進むと男性モデルに交じって、カレン・エルソン、カースティン・オーウェンといった懐かしい顔、近年のドリスのショーの常連であるハンネ・ギャビー、そしてもちろんクリスティーナ・デ・コーニンクやハナロア・クヌッツといったドリスと同郷の女性モデルたちも、メンズウェアを纏って登場。モデルたちの歩みに伴って、ランウェイでは銀箔がふわっと下から舞い上がる。テーラード・ピース、日本に古来から伝わる技法墨流しの柄、羽のように軽くて微妙な色合いのポリアミドのアウター、シルバーとゴールドを交錯させた生地……さまざまな要素がドリス流のミックス&マッチで69体続き、15分が過ぎたところでいよいよフィナーレ。
スタンディング・オベーションの中、ボウイのヒット曲「Sound and Vision」とともにドリスがにこやかに登場して両手を振ると、カメラマンたちのブーイングやセキュリティによる制止にもかかわらず、ゲストたち全員がドリスを見納めしようとランウェイに殺到する。数秒後には、去りゆくドリスと入れ替わるようにして巨大なミラーボールが現れ、音楽はブロンディに一転し、会場はダンスフロアに。
筆者は感極まったものの、涙は流さなかった。先にアンが言ったことが頭をよぎる。私たちはドリスのキャリアを葬るためではなく、達成感をシェアするためにここにいるのだ。バックステージにはジャーナリストやバイヤー、友人たちがドリスにお祝いや賛辞を述べるために詰めかける。抱擁、キス、シャンパン。しばらく〝その後〟の様子を見渡したあと、セルフィーを撮る人たち、踊る人たちの間を縫って、筆者は会場を後にした。
ドリスが語る、未来を見つめた150回目のコレクション
photography: Fe Pinheiro
翌日、マレ地区のドリス ヴァン ノッテンのオフィスを訪ねた。約束の時間通りに現れたドリスは、いつもの白のTシャツにネイビーのセーター、チノパンといういでたち。「また会えたね! 来てくれてありがとう」とはつらつとした声で、満面に笑みをたたえている。ドラマティックな前章はなく、これまでの数回のインタビューと同じように、会話はスムースにスタート。まずは今の心境を訊いた。
「とにかく、ほっとしています。この3カ月間はとても強烈で、ベストな決断をしたんだろうか?と自問自答を繰り返してきたけれど」
葛藤があったことに驚きはないが、悲しくはなかったのだろうか?
「私はとてもエモーショナルですし、感情を露わにするのを厭いません。号泣したのは準備期間にショーのサウンドトラックをチェックして、フィナーレ用の曲を聴いたとき。パトリック(ドリスの公私にわたるパートナー)も号泣。確か夜中の2時でした。でもショーの直後はインタビューや撮影続きで悲しくなる暇はなく、忙しさに助けられました。もしかして今後寂しさに襲われるかもしれないけれど、今はまだアドレナリンが出ている感じ」。
ショーにあたっては、期待の高さもプレッシャーだったと言う。内容の濃さはもちろん、フローラル・プリントや幾何学模様、そして鮮やかなカラーパレットからなる、〝ベスト・オブ・ドリス〟を予測する声もあった。しかしこの期待は見事に裏切られた。
「レトロスペクティブにするつもりはなかったんです。密かにメッセージをちりばめたものの、これは私のキャリアのグランド・フィナーレではなく、新しいコレクション。いつもと変わらず、見つめたのは過去ではなく未来。だから何か実験的なことを、と新しい素材を探求しました。たとえばポリアミドやオーガンザはまるでガラスのように透明感があり、これまでメンズウェアでは取り入れられなかった質感です。まったく新しいところでは、墨流し」。
伝統技法による微妙な色合いの花火のようなモチーフは、シグネチャーの鮮やかな色の大輪の花に取って代わった。一方、たくさんの持ち札から、彼のデザイナーとしての出発点であるテーラリングもフィーチャーされた。こうして異なる要素が交錯し、ドリス特有の心地よい不協和音が生まれるのだ。
「これからも私の(クリエイターとしての)人生は続きます。詳しくは話せないけれどほかにもエキサイティングなプロジェクトがたくさんあって、まだまだ忙しい。今までとは違う形でブランドとも関わっていきますしね。スタジオには、前と比べて小さいけれどまだ私の部屋があります。毎日通うのではなく、シーズンに2、3回、デザイナーたちとミーティングをしに行きます。ディクテーターではなく、距離を保ったアドバイザーとして。彼らは私のアドバイスを聞いてもいいし、反対のことをするのも自由。舅姑のようにはなりたくないですからね」と笑った。
「私の素晴らしいチームがデザインする次のコレクションは、これまでと同じくらい強いはず。見ると若いビジョンを感じるでしょう。そしてもっと先、ドリス ヴァン ノッテンがブランドの魂に忠実でいながら少しずつ変わっていくのも、見守ってほしいですね」
“始まりも、終わりもない”。この言葉に忠実に、ドリスは新しい旅に出発する
ドリス特有のコントラストを、香り作りでも続けていく
最後のショーにて。
1 ショーに先んじたカクテルディナー会場での動画スクリーン
もう一つ、自身の名前で続けていくことがある。香りとメイクアップ・コレクションのディレクションだ。
「フレグランスを作るにあたって考えたのはブランドの真意、そのエッセンス、つまりコントラストとサプライズを香りに置き換えること。私は〝退屈〟が大嫌いで、ありきたりのことはしたくない。完璧な美しさは、ともすれば退屈です。意外なコンビネーションで、ありふれた素材の別の一面を引き出すのも楽しいですね。たとえばローズとペッパーのぶつかり合い。香りができたら、ボトルをドレスアップ。いわば、私のファッションの凝縮版ですね」。こう語るドリスは、今後さらに新たな香調を発表する予定だ。「女性にも男性にも、パーソナリティが異なる多くの人たちに選択肢を与えたいんです。二つの香りをミックスしてもいい」。
また〝コントラスト〟のドリス方程式は、色使いにも適用される。
「好きな色を単体で挙げるのは難しい。色は使い方がカギだから。単独ではあまり使わない鮮やかな赤も、花柄の差し色としては映えるし、特に好きではないライラック色の魅力的な使い方も探求しました。挑戦しないのはつまらないから」。
彼の色談義は尽きず、青とピンクのコートを例に、配色に加えて素材との関係にも言及する。
「これは手描きに見えるけれど、実はプリント。シルクとダッチェスコットンのとても厚い生地を使ったら、色に深みが出ました」。ちなみに、ドリスの色彩感覚を決定づけた要因は、二つある。一つは幼い頃を過ごした、両親の田舎の家。
「とてもカラフルな家でした。内装に参加したカラー・アドバイザーが、数色に塗り分けたから。私と兄の寝室はサーモンピンク、廊下がダークブラウンだったほか、フロントドアは歓迎を示唆する鮮やかなブルー、そしてダイニングルームの天井は食欲を刺激するというビビッドな赤」。
そして後に決定的な影響を与えたのは、フランシス・ベーコンの作品だ。
「彼の絵画は、必ずしも美しくない。その色使いも調和していないところが興味深いですね」。〝クワイエット・ラグジュアリー〟な服が個性を最大限に引き出すと言われる一方、「あなたの服では色の渦の中で着る人が逆に引き立ちますね」と言うと、「ドリス ヴァン ノッテンはラウド・ラグジュアリーかな」と、笑った。
2 幻想的な柄を、今回は京都に10世紀以上も前から伝わる技法"墨流し"で表現。水に垂らした墨汁を、油性絵の具をつけた爪楊枝で突くと液体が分離してマーブル状になる。「普通はここに生地を浸して転写するところ、私たちは出来上がった服を漬けました。この方法を完成させるには1年かかりました」とドリスは教えてくれた3 メンズのテーラード・ジャケットを纏ったカレン・エルソン
4 フィナーレで、銀箔のランウェイに集ったモデルたち
退任を機に悟ったのは、服のパワー。顧客からの言葉を胸に、休暇に向かう
"グローバリゼーション"を嫌うドリスだから、世界で12軒あるショップはそれぞれ異なったインテリア。今後の新店舗のデザインにもドリスは関わっていく予定。 5 彼の世界観が凝縮されたアントワープ本店6 パリ左岸、ウィメンズとメンズのブティックの間に位置するビューティ専門店7 パリのウィメンズ店にはアンティークのオブジェが並ぶ
「服には計り知れないパワーがありますね。退任アナウンスのあと受け取ったたくさんの手紙や人々のリアクションから、服がいかにその人の思いを背負い、愛され、自己表現に役立っているのか、私の服が彼らに何を意味したのか、を学ぶことができました」とドリス。
中でも最も彼の心を動かしたのは、ある女性からの手書きの手紙だった。広告業界で重要な仕事に就く、アントワープ店の長年の顧客。そこには、ドリスの服を着ることで自信が持ててキャリアにも役立った、と綴られていたそうだ。もっとも、彼がその手紙を読んだこと自体が感動的だが。もう一つ、ドリスの服のパワーを証明する例は、日本から。
「東京でのトランクショーに来てくれたカップル。あるパーティでお互いドリス ヴァン ノッテンを着ていたことが話すきっかけとなり、今では結婚して子どももいるそうです」。彼はこう言うと、目を細めた。
そのクリエーションだけでなく人間性からも敬愛されているドリスは、オピニオン・リーダーでもある。コロナ禍初期には、不特定多数の同業者に向けた〝オープンレター〟なるメッセージを公表した。そこで提案したのは、業界全体で結束しての販売管理、不必要な旅の抑制など。彼は回想する。
「何かしなければと思ったんです。2020年春、3カ月近い規制のあと、やっと新作を揃えてブティックを開けた6月初旬は、もうセールの時期。自分のブランドにも痛手だったけれど、ファッションの未来を担う若いブランドはもっとつらかったはず。ファッションの動向を変えるには、大きなグループも巻き込まなければ、と」。
レターには多くのデザイナーやブランドが共鳴し、署名。しかし台風一過のあとは各メゾンによるデスティネーション・ショーをはじめ、巻き返しがすごい。
「イニシアチブはとったものの、この提案は実現しませんでした。しかし、会社としては学ぶことがたくさんあり、ビジネスを見直すようになりました」。
その一例として、コロナ禍を経てオープンしたロサンゼルス店では、アーカイブス(過去のコレクション)をディスカウントせずに販売。ギャラリーも設けたのは、何でもネットで買えるようになった今、店に行く意味を見つけてほしかったからだとか。
またドリス ヴァン ノッテンは大手ブランドとしては唯一、広告を出さないしインフルエンサー・ビジネスにも手を染めていない。 「広告は1990年代半ばに世界で2誌だけに出したところ他誌の怒りを買ったため、それ以来一切していません。それより、ショーに予算を費やすことにしました。そのほうがコレクションの本質がよく伝わりますし。インフルエンサーを使わないのは、幸い必要でないから」と、誇らしく言う。
「影響を与えるのは服そのもの。ドリス ヴァン ノッテンの服を着てソーシャルメディアでシェアしてくれる人のすべてがインフルエンサーです」。〝ドリス格言〟がまた一つ増えた感じだ。
インタビューの時間が、終わりに近づいてきた。これからイタリアのアマルフィ海岸の別荘でのバカンスに出かけると言うドリスに、別れを告げなければならない。
「ファッションは、まるでアディクション。私はデザインにあたっては生地はもちろん一粒のスパンコールから配色まですべてを選んでいました。ちょっとピンとくるものを見たら写真を撮り、聞こえてくる曲が気に入ったら、シャザム。やることすべてが仕事につながり、24時間体制で休むことはありませんでした」。
そんな日常は、この夏を機に変化する。別荘にとどまるのもいいけれど、旅もしたい。イタリアのまだ行ってない地も訪ねたいし、知っている所にもまた行きたい。 ドリス・ヴァン・ノッテンのポジションの変化により、ファッションにおける一時代が終わった。そして彼の〝これまでとは違う〟取り組みとともに、新時代がスタート。終わりと始まりはつながっている。ボウイの詩から取り、ラストコレクションの隠れテーマとした〝始まりも終わりもない〟という言葉の意味が、やっとわかった気がした。
photography: PATRICE STABLE (9), Kurt De Wit (10, 11)
これまでのコレクションに見られる要素の数々は、"隠れたメッセージ"としてラストショーにちりばめられている。8 オスマン・トルコのきらびやかさをメンズライクに落とし込んだ2006-’07年秋冬ウィメンズコレクションのショーでは、エコール・デ・ボザールで金箔ランウェイが設置された9 ブールデル美術館で開かれた2011-’12年秋冬メンズコレクションでは、彼の永遠のヒーローであるデヴィッド・ボウイのダンディスムを、遊びのあるテーラードで再解釈。このコレクションのキールック、2色使いのダブル・ラペルのコートやジャケットは、ラストコレクションのブレザー(3)に再解釈された10 2014年にパリの装飾芸術美術館で開かれた、ドリスの着想源を集大成した展覧会『Inspirations』の図録11 左ページはLéon Spilliaertのセルフ・ポートレート(1903年)。右ページは2009-’10年秋冬メンズコレクションより。ドリスのテーラード・ジャケットを象徴する、襟裏に縫いつけられた白いフェルト
photography:ANDREW THOMAS
12 「学ぶことが多く自身のキャリアにとって最も大切だった」と語る50回目を記念したショー(2005年春夏ウィメンズ)。ゲストたちは140mにわたるテーブルについて、まずはディナーを。その後130個のシャンデリアが一斉に引き上げられ、モデルがテーブルの上を歩いた。会場はラストショーと同じく、パリ郊外の工場跡地
photography: MATHIEU RIDELLE (13, 14), MARLEEN DANIELS (15)
代表的なコレクション。13 クチュリエ、クリスチャン・ラクロワを招いてコラボレーションした、2020年春夏ウィメンズ14 パリ市庁舎で開かれた2010-’11年秋冬ウィメンズでは1950年代のエレガンスとパンク精神を交錯させた15 カルカッタに刺しゅう工房をもつドリス ヴァン ノッテンは、インドと関わりが深い。1996-’97年秋冬ウィメンズでは、色が炸裂する"ボリウッド"スタイルをモダンに解釈した