私の上京「服」ストーリー:2002 個性を押し殺しても“エビちゃん”になれずに挫ける日々

バービーさん/BARBIE

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衣装/スタイリスト私物

芸人。1984年北海道夕張郡栗山町生まれ。2002年上京し、東洋大学でチベット密教を学ぶ。大学4年のとき養成所に入り、’07年ハジメとお笑いコンビ「フォーリンラブ」を結成。昨年本誌で連載中のフリーライター、武田砂鉄さんがパーソナリティを務めるラジオ番組で見せた知的な一面が話題に。

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1 大自然に囲まれた栗山町で、古着を着て個性を発揮していた頃。一時期ゴスロリ風にしていたことも
2 上京後は周囲とのあまりの差に愕然としてきれいめを狙うも、インナーは祖父のシャツでバッグは祖母のもの。完全に寄せ切れてはいなかった……
3 よく服を譲ってもらっていた祖母の形見の机。上京したときに持参し、引っ越しを重ねた今でもずっと愛用している
4 大学の友人たちと(右端)。祖父のジャージに母が若い頃に着ていたコートを羽織り、ここでも古着をミックス。時には服やバッグを手作りすることも。結局好きなのは70年代を中心としたレトロなスタイル

Q なぜ東京に行こうと思われたのでしょうか?

とにかく地元から出たい、という欲望が強くて。コンビニもやっとできたぐらいの田舎だったので、当時は東京以外知らなかったんです(笑)。テレビを撮っているのも東京だし、そこですべてが行われているんでしょ?と。4人姉妹でみんななぜか脱毛への意識が高かったのですが、東京には永久脱毛があるらしい、と聞いていて(笑)、何でもできるところなんだ、という感じはしていました。

Q 2002年に進学のために上京したときの服装を教えてください

中高生のときから、祖母のセーターを切ってレッグウォーマーにしたり、母のお古の70年代のAラインのコートや、父のシャツなどを着ていました。地元の個人商店の一角で売っていた古着も活用していましたね。あとはモンチッチを首から下げて独特のアレンジを施したり(笑)。そんな個性的な格好で上京しました(笑)。

Q 当時東京ではどんなファッションがはやっていましたか?

『CanCam』モデルのエビちゃんがブームになっていて、大学がマンモス校だったこともあり、周りはみんなコンサバでした。ファッションや芸術系の学校に行っていればもっと自分のセンスに磨きをかける方向にシフトしたと思うのですが……東京の人は田舎者とは違って幼い頃から感性が磨かれているはず、というコンプレックスもあり、自分の格好が恥ずかしいと感じるようになりました。

Q それからどんな服を着るようになったのでしょうか?

とにかく普通になりたいと、ジーパンに白Tシャツといった『CanCam』みたいな感じに寄せようとしました。でも、白いシャツやスニーカーを買っていたのがスーパーやホームセンターだったりして、ちょっとごちゃついている感じだったかも(笑)。大学4年のときに養成所に入って高円寺に住み始めてからは個性派に戻るのですが。

Q なぜ高円寺に住むことにしたのですか?

サブカルっぽい空気が流れているし、アーティストは中央線上だろ、という思い込みがあって(笑)。4年ぐらい住んだのですが、一番極貧だった時代です。道端にある「ご自由にお持ちくださいボックス」から服を持って帰ったり、100円のワゴンセールで古着を買ったり。下駄を履いていたときもありましたね(笑)。この頃はモードに関心を持っていて、『SPUR』を読んでいました!

Q 東京に対して今どんな思いを抱いていますか?

地元ではファッションひとつ取っても周りに足並みを揃えられず、窮屈だと思っていました。東京に出てきたら誰も変な目で見てこないし、自由だったので癒やされました。上京する前は夢の国、くらいに思っていましたが、実際は一人ひとりがちゃんとこつこつ仕事をして成り立っている街。今では世界の一都市、という感覚です。

Q なぜ出身地栗山町の町おこしに取り組まれているのでしょうか?

東京には、ただただ何もない緑の中でポツンとひとりでいたくなる瞬間がある人がたくさんいて、栗山町にはそういう空間はいくらでもあります。でも、その存在を知らなかったり、行く手段がなかったりする。また、栗山町でゴミだと思っていることが、東京の人には宝だったりするし、その逆もあります。その橋渡しや通訳みたいなことができたらいいな、と思ったんです。

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