私の上京「服」ストーリー:1971 西新宿に住み、 アイビールックでアルバイトした

北村道子さん/MICHIKO KITAMURA

私の上京「服」ストーリー:1971 西新の画像_1

スタイリスト。1949年石川県生まれ。30歳頃からさまざまな媒体で衣装を手がけるようになり、『それから』(’85)を皮切りに映画でも活躍。取材日の装いはザ・ノース・フェイスのベストにメゾンマルジェラのニットとバッグ。メガネは白山眼鏡店のもの。

上京当時のスタイル。サンフランシスコの船乗りをまね、ロールアップした袖にタバコを忍ばせていた。ヘアはセンター分け。眉毛を剃り、つけまつ毛をして、そばかすを描き、キスミーの赤い口紅をしていた

Q 出身地の石川ではどんな少女時代を過ごしていたのですか?

学校にはほとんど行かず家で本を読みあさっているような子でした。16歳のとき、親友の父親が金沢の美大の教授で、彼のところにネイティブアメリカンたちがやってきたんです。タトゥーにドレッドヘアという初めて見る彼らの姿に衝撃を受けました。地元にいても決められた人と結婚をして人生が終わってしまうはず。世界を見て「変態」したい、と彼らについてアメリカへ渡りました。

Q それから東京に行くことになった経緯を教えてください

アメリカでは5年ほど放浪しました。ユニークな人たちの後ろをついて歩くのはすごく面白かった。私はそれを「後見人」と勝手に呼んでいます(笑)。あるとき一緒に行動していたネイティブアメリカンの男性が別の人と旅をすることになり、いったん帰れ、と言われて。それで帰国して金沢の美大に入るのですが、全然つまらなかった。8カ月で退学し、絵を勉強しようと上京しました。

Q 上京した1971年頃はどんな服装をしていたのですか?

60年代中頃から出てきた、アイビールックで銀座・みゆき通りにたむろしていた「みゆき族」に近かったかもしれません。VANの子どもサイズのジャケットに白いボタンダウンのシャツを着て、タイトなロングスカートにコインローファー。周りにはヒッピーっぽい格好や、ワンピースにカーディガンを羽織って、カチューシャやパールをつけるお嬢さんっぽいスタイルの人もいました。

Q 当時はどこでどのような暮らしをしていたのですか?

現在の西新宿4丁目あたりの「十二社」と呼ばれていた町にあった酒屋の2階に住んでいました。お金がなくて、さんざんアルバイトをしていましたね。ロシア人でいっぱいの歌舞伎町のバーとか、赤坂のキャバレー「ミカド」で皿洗いをしたりとか。女子大生は出版社で働いたりしていましたが、私は色気がなかったからそういう華やかな仕事はやらせてもらえなかったんです(笑)。

Q それからどんなスタイルを経て現在に至るのでしょうか?

30歳くらいの頃は、コムデギャルソンの部屋着のブランド、ローブ ド シャンブルを外で着たくて、そのために坊主にして、眉も剃っていました。竹のハンドルの黒い傘を持って、足もとはビーチサンダル。そして歯を黒く塗って、マリークヮントの黒いマニキュアをしていました。今はだいぶラフなスタイルになりましたが、ファッションは見せるものだとずっと思っています。

Q 東京に対して、今どんな思いを抱いていますか?

東京は田舎者が出てくるところだと思っているので、特に憧れは持っていませんでした。東京に住んでいる人は無関心な人が多くて、隣に誰が住んでいるのかとか、周りに何があるのか、といったことを気にしない。私は関心を持つと没頭してしまうタイプなので、まっすぐ歩けないんです。東京の人たちは目的地に向かって進むだけだから、ぶつからなくていいですよね(笑)。

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