私の上京「服」ストーリー:1993 サイケデリックなファッションで古着と音楽の聖地、高円寺へ

谷崎彩さん/AYA TANIZAKI

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スタイリスト。1971年福岡県生まれ。’98年代官山に輸入洋品店を開業。マルタン マルジェラの精神を継ぐルッツ ヒュエルやブレスなどを取り扱う。2000年〜’04年頃まで『Purple  fashion』のスタイリスト兼ファッションエディターを務める。

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1 サイケデリック時代は博多の古着店で買った70年代の花柄のキャミソールを愛用
2 ポラロイドは大阪で70年代のファンクシーンを牽引したジョージ・クリントンと
3 マルタン マルジェラにはまっていた頃
4 ローズボールで見つけたルーサイト製アクセサリー

Q 東京に行くまで、どのように拠点を変えてきたのでしょうか? 

高校までは福岡にいました。それから、大学に通うために大阪へ。ジャニス・ジョプリンがすごく好きで、サイケデリックな格好をしていたのですが、大阪はビッグシルエットのダンスファッション全盛の時代。だんだんいやになり、2年後、お金を貯めてヒッピーカルチャーが生まれた地、サンフランシスコへ行きました。

Q アメリカでの暮らしについて教えてください

ヘイト・アシュベリーのサイケデリック・ポスターの店に通ったり、レコード店と古着店をしらみつぶしに回ったりしていました。でも、私が行った1992年頃は当たり前ですけどもうサイケデリックカルチャーは終わっていた。それでさらに古着を求めてLAへ。フリーマーケットの「ローズボール」にはまったのですが、ロサンゼルス暴動が起こって治安が悪化したため帰国しました。

Q 1993年に帰国したとき、なぜ東京に行くことにしたのでしょうか?

福岡に帰ってもつまらないし、大荷物で成田に降り立ったから、というくらいの理由です。アメリカ帰りで、東京に緊張していなかったのかもしれません(笑)。とりあえず友達が住んでいた高円寺の家に居候させてもらいました。高円寺は古着が充実していてライブハウスもけっこうあるし、居心地がよかった。家を借り、近所のアジア雑貨店で時給500円でバイトを始めました。

Q その頃も引き続きサイケデリックファッションだったのでしょうか?

私は相変わらず70年代のシルエットが好きで、フェイクファーのコートとベルボトムに厚底の靴といったスタイルでした。当時はクラブカルチャーが盛り上がっていましたが、ファッションは棲み分けがはっきりしていましたね。でも、あるとき雑誌で偶然見たトリコ・コムデギャルソンの服が可愛くて思わず爆買い。だんだんサイケを卒業していくんです。

Q それからどんなブランドを着るようになったのでしょうか?

古着はもういいや、と思うようになり、次にジュンヤワタナベにはまるのですが、’94年頃にNYに行ったときに「IF」というショップでマルタン マルジェラの服に出合ったんです。異質な空気が漂っていて、すっかり心を奪われて買い集めるように。’98年にショップを始めるまで、ワードローブはすべてマルジェラでした。

Q 東京に対して、今どんな思いを抱いていますか?

今年はいろんなことがあり、気分がふわふわして落ち着かないし、大きな変化を迎えてため息交じりの言葉をたくさん聞きます。でも、東京には昔の姿を残したまま淡々と存在している場所もあるんです。人間は、時がたてばちゃんとあるべき姿に戻っていけるもの。もう少し楽天的に捉えてもいい気がしています。東京は、歴史と現代が入り組んでいて面白い。これからも楽しみたいです。

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