今注目のミックスマッチを先取りしたデザイナーがいた!?その知られざる人物の伝記を執筆した著者に直撃
1 1972年、自身のブランドの初めてのショーのバックステージでほほえむビル・ギブ。ブッキングされたモデルはたったの5人。自らメイクアップを施した
70年代からミックスマッチを追求
by Iain R. Webb(ライター、キュレーター、キングストン大学教授)
チョポヴァ ロウェナ(2)やマティ・ボヴァン(3)など、今多様な柄や素材を大胆に組み合わせたアイテムやスタイリングを打ち出すブランドが人気を博しているが、約半世紀も前にすでにそのスタイルを提案していたデザイナーがいた。スコットランド出身のビル・ギブ(1・1943〜’88)だ。彼についての伝記を執筆した、イアン・R・ウェッブに聞く。
「ギブは現在のセントラル・セント・マーチンズ美術大学とロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学んだあと、60年代末にアメリカ旅行やロンドンのポートベローマーケットで出合ったヒッピーの精神に大きな影響を受けました。就職した"Baccarat"というロンドンのファッションブランドではパッチワークを駆使し、さまざまな柄を組み合わせたデザインを手がけています(4・5)」「美しき混乱」「かつてないほどのミクスチャー」と評され注目を浴びたビルは、1972年に自身のブランドを設立。44歳の若さで死去するまで活動を続けた(6・7)が、今の気分にも通ずるミックスマッチのスタイルはどうやって生まれていたのか。
「飛行機が苦手でしたがインド、ロシア、日本といったエキゾチックな旅先に着想を得ていました。あらゆる生地を収集し、歴史的な資料を参照することも。それらを再解釈して"調和した不一致"を生み出していたのです」
また、彼は個性豊かなスタッフを集め、数々のプリントメーカーや刺しゅう家たちとも積極的にコラボレーションしていた。そのオープンな姿勢も多様な要素が融合したものづくりの一因になっていたのかもしれない。
死後も彼の服は愛され続け、ケイト・モスがフロントローで着用したことも。ジョン・ガリアーノも大ファンで「ビル・ギブの本質は、英国出身のデザイナーらしく、語り手であり夢想家であること」と言ったが、ビルの公私にわたるパートナー、ニッターのケイフ・ファセットの「一着のドレスの中でちょっとした演劇が上演されているようだった」という証言からもそれは確かであるようだ。多様な要素を物語を綴るようにまとめ上げたロマンティストの仕事は、今見ても新鮮な驚きをもたらしてくれる。
2 「ビル・ギブ的アプローチは、アートスクール的な感性でブリコラージュやパッチワークをする若手デザイナーたちに見られます」(ウェッブ)。チョポヴァ ロウェナもミックスマッチの達人 Instagram: @chopovalowena
3 イギリス出身のマティ・ボヴァンもそのうちのひとり。2016年にブランドを設立し、ニットを得意としている
4 ’70年頃、ビル・ギブがデザインしたペザントスタイルのドレスを着たツイッギー。彼女の映画デビュー作『ボーイフレンド』(’71)のプレミアのために特別に製作された
5 水を表現したプリントのセットアップを着用したモデル。’72年、ロンドンで開催されたショーにて
6 70年代前半の一般市場に向けて作られたウェアラブルなアンサンブルピース。活動期間の短さから、ヴィンテージアイテムも稀少価値が高い。3ピースニット¥58,000/EVA(ビル ギブ)
Profile
イアン・R・ウェッブ●1980年セントラル・セント・マーチンズ美術大学を卒業後、ファッションエディターとして活躍。’16年キングストン大学デザイン科教授に。’08年にはビル・ギブの仕事を追った『Bill Gibb: Fashion and Fantasy』(上写真)を上梓した。
photography: Kae Homma (6), Getty Images styling: Natsumi Ogasawara (6) text: Itoi Kuriyama