ムッシュ ディオールが愛した南仏の別邸

ムッシュ ディオールが愛した南仏の別邸の画像_1
photography:©Parfums Christian Dior

クリスチャン・ディオールが自らデザインした池を目前に佇むラ コル ノワール城。ムッシュがこの世を去ったのち、その所有権は売却される。何度かオーナーが代わるうち、屋敷は再び荒廃するものの、2013年、ディオール社が購入。3年にわたる復旧工事を経て、かつての輝きを取り戻した。今後はディオールの文化遺産として保存される予定だ

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池の前に佇むクリスチャン・ディオール、1956年頃。残念ながら彼はラ コル ノワール城の改修工事の完成を見ることなく1957年に亡くなっている

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同じベルベットで壁面まで布張りされた寝台。ひとつ星はアルコーブの上に

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八角形のフォルムをなすエントランス。ムッシュがこだわったバラの羅針盤のモチーフは、現在ジュエリーにも活かされている

クチュリエであるのと同時に、パフューマーでもあった天才。ムッシュ ディオールのことだ。

彼にはカトリーヌという妹がいて、1947年、かのニュールックを打ち出した初コレクションと同時に発表した名香「ミス ディオール」は、彼女にインスピレーションを得て創られたというのは有名な話。でも、南仏のグラース近郊に彼が愛した別宅があった事実は、あまり知られていない。

名前はラ コル ノワール城という。ニュールックの発表から4年後の1951年、南仏にたびたび足を運んでいたクリスチャン・ディオールがこのシャトーを購入した当時は、現在の佇まいとはかけ離れていた。完成から約100年を経ていた屋敷は所有者の愛情を受けることなく朽ち果て、ただ豊潤なプロヴァンスの自然に抱かれるままの姿。そんな情景こそがクチュリエの心を刺激したのかもしれない。ムッシュ・ディオールは果敢に改築に乗り出した。

幼少期を過ごしたノルマンディーのグランヴィルで育んだ自然美、造形美へのまなざしは、ここでも冴え渡っている。屋敷の正面には自らデザインした巨大な池を造り、夜になれば水面に映る星の輝きに心を癒やした。パリのサントノーレ通りの道端で偶然に星のモチーフを見つけ、運命的に自らのファッションハウスを設立することを決心した日から彼にとって特別なアイコンとなった「ラッキースター」は、この館でも幸運を耳もとでささやくように彼を見守った。

たとえば、寝室のアルコーブに配された星形の彫刻。クチュリエの休息は、この星があったからこそかけがえのない時間となったのだろう。予想外に小さくて、ささやかなその寝台は、まるで少年の基地のようにも見えた。

彼によるデザインの白眉が、八角形のエントランスホールだ。小石を敷き詰めた床が描くのは、グランヴィルの館を飾っていたというバラの羅針盤のモチーフ。少年時代の、若い日の幸せな思い出をプロヴァンスの屋敷に刻みながら、彼は素顔の「クリスチャン」に戻る小さな魔法をひとつひとつ縫い合わせ、夢のドレスを仕立てていたに違いない。そう確信するきっかけとなったのが、庭に広がるバラの畑だ。

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エディターIGARASHI

おしゃれスナップ、モデル連載コラム、美容専門誌などを経て現職。
趣味は相撲観戦、SPURおやつ部員。

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