アレッサンドロ・ミケーレはこうしてグッチと、ファッションの定義を革新した<前編>

グッチのクリエイティブ・ディレクター、アレッサンドロ・ミケーレは、わずか3年間のうちに、ファッションの流れを大きく切り換えた。世の中の価値やジェンダーの概念、さらにアイデンティティにまで、新しい視点をもたらしながら


 5月の晴れ渡ったある日、アレッサンドロ・ミケーレと私は隣同士に座り、大きなガラス窓越しに、ロウアー・マンハッタンの一角を眺めていた。同じ景色を見ていたが、それぞれに受けた印象は違った。私の目には実用本位の雑多なビルの寄せ集めに映ったが、ミケーレはそこに物語と歴史とヘリテージを読み取った。できれば統一感をもたせたいと思う私とは違って、彼はありのままの自然体がいいと言う。活気はあるけれど乱雑だと私がつぶやけば、ミケーレはモザイクのようだと形容する。

「ヴィクトリア様式、1930年代のスタイル、この街にはたくさんのエレメントが織り込まれているんだ」と彼は感嘆した口調で語り出す。うっとりさせるような声で話すミケーレは、彼の友人ジャレッド・レトに劣らない俳優のように見えてくる。「美しいよね、素顔の感じがいい。ここは人々の生活が息づく街なんだ。みんなが心地よく暮らせるようにと、少しずつ築かれてきた街なのさ」。彼はニューヨークに来るたび、このホテルのスイートに泊まる。10階の高みから見渡せるこの景色のために。ローマの自宅を離れている間、ここが彼にとってのマイホームになるのだ。

画像: アレッサンドロ・ミケーレ 2018年5月6日NYにて撮影

アレッサンドロ・ミケーレ 2018年5月6日NYにて撮影

 現在47歳のミケーレは、2015年1月にグッチのクリエイティブ・ディレクターに就任した。今回彼は、ふたつのイベントのためにニューヨークにやってきた。まず、このインタビューの前日に、ソーホーにグッチのニューショップがオープンした。ここは単に商品を買うだけの場所ではなく、あちこちを見て回り、のんびりと時間を過ごせるファッションの殿堂だ。円形ソファでくつろいだり、映写室で映画を観たり、1985年出版のマドンナが表紙を飾った『インタビュー』誌の復刻版をぱらぱらとめくったり、20数万円のレザーブーツを試したり(試さなかったり)しながら、ミケーレのイマジネーション溢れるにぎやかなカオスにゆったり浸ることができる。グッチは今、世界中のショップをこういったスタイルにリニューアルしているところだ。ショッピングするだけでなく、自分らしさを見つけ、くつろいで、夢を見られる場所にするために。

 ふたつめの目的はメトロポリタン美術館コスチューム・インスティテュートのチャリティ・ガラだ。ミケーレには、俳優のジャレッド・レトと歌手のラナ・デル・レイが同伴した。ふたりの話をし始めると、ミケーレの口調は熱を帯びてくる。独創的な彼らは“なりたいと思ったとおりになる”という理念を体現した人たちだとミケーレは言う。彼らのようになるには自分の意思で生き、自分で決断していく必要がある。「ジャレッドはシャーマンみたい。ロングヘアで整った顔だちをしていて、クレイジーなスタイルをしている。ポップカルチャーの新イエス・キリストっていう感じかな。生き方そのものが外見に現れた人だよね」

「生き方」という言葉は、ミケーレが常に大事にしているコンセプトだ。このテーマをもとに彼は、影を薄めていたグッチの全面改変をし、最も話題性の高いブランドへと昇華させた。多くの顧客がショップに舞い戻り、グッチは再び、かつての文化的な威信と経済的な成功を取り返した。ミケーレはもちろん、服やスリッポン、バッグなどが売れることを望んではいるが、単に“もの”を売りたいわけではない。彼はそこに付随するエキセントリックで多様性に富んだ、開放的な感性を伝えたいのだ。そのメッセージを広く発信するために、ミケーレはあらゆるコミュニケーション方法を用いている。

 彼が新しいグッチの世界に巻き込んでいるスターやコラボレーターも、その伝達役を担っている。元プロスノーボーダーのトレバー・アンドリュー、別名“グッチゴースト”は、2013年末から2014年にかけて、「GG」のロゴを使ったグラフィティをブルックリンやマンハッタンのあちこちに描いてきたアーティストだ。彼は無許可でロゴを使用していたが、ミケーレは著作権の侵害訴訟や停止通告をするどころか正式なコラボレーターとして招き、快諾したアンドリューとともに2016-’17年秋冬コレクションを手がけた。

 グッチで2017年に発表された、ダークブラウンのミンクファーに、モノグラムプリントの巨大なバルーンスリーブがついたボンバージャケットは、80年代のハーレム伝説のデザイナー、ダッパー・ダンのコピーだと糾弾されて世間を騒がせた(註:ダッパー・ダンはハイメゾンのロゴなどを取り入れた服で人気を得たが、著作権侵害に問われ1992年以降、活動を休止していた)。非難を受けたミケーレは、コピーしたことを認めると同時に、それがダンへのオマージュだったことを説明した。

ダンへの敬意を示して、ミケーレは彼にコラボレーションのオファーをし、ジョイントラインも展開した。さらにはハーレムの、見事に改修されたブラウンストーンの角のビルの1階にダッパー・ダンのアトリエをオープン。華やかに装飾された入り口に足を踏み入れると、窓から通りを見渡せる、真っ赤なカーテンに囲まれたアトリエに通じる。「最初は冗談かと思ったんだ。シンデレラが、何頭もの馬が引く馬車を目にするまで、夢物語を信じられなかったようにね」。アトリエに立ち寄った私に、ダンはそう話してくれた。「でもそのあと僕は、まるでこれから舞踏会に向かうような、天にも昇る気持ちになったよ」

 ミケーレが初めて監修した香水「グッチ ブルーム」を発表したとき、彼は既存の枠にとらわれずに、個性的な3人のミューズを選んだ。映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(2015年)の中で、ロープで縛られ、ゆがんだ愛欲に翻弄される役を演じたダコタ・ジョンソン。フォトグラファーであり映像プロデューサーの若きカナダ人、ペトラ・コリンズ。そしてトランスジェンダーのモデル兼女優として活躍するハリ・ネフ。ミケーレは大声で人々に伝えたいのだ。彼が創り出すラグジュアリーの世界はどこまでものびやかで開放的なのだと。グッチは誰にでも居場所のあるパラッツォ(大規模な邸館)で、その華やかに飾り立てた空間では、誰もが仲よく肩を並べて暮らせるのだということを。(ミケーレによる常識破りなグッチが誕生するまで)

SOURCE:「Alessandro MicheleBy T JAPAN New York Times Style Magazine BY FRANK BRUNI, PHOTOGRAPHS BY MICHAL CHELBI, FASHION STYLED BY JAY MASSACRET, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO JANUARY 10, 2019

その他の記事もチェック

The New York Times Style Magazine: Japanプロフィール画像
The New York Times Style Magazine: Japan

T JAPANはファッション、美容、アート、食、旅、インタビューなど、米国版『The New York Times Style Magazine』から厳選した質の高い翻訳記事と、独自の日本版記事で構成。知的好奇心に富み、成熟したライフスタイルを求める読者のみなさまの、「こんな雑誌が欲しかった」という声におこたえする、読みごたえある上質な誌面とウェブコンテンツをお届けします。

FEATURE
HELLO...!