「ハイヒールは特別なものではない。でも、あなたにとって自由な選択肢のひとつとなってほしい」。義足での生活を続けるアーティストの片山真理さんが、2011年に始めた「ハイヒール・プロジェクト」。すべての人が理想を抱ける社会を目標に掲げ、ハイヒールを履ける義足を製作し、ハイヒールで歩き、パフォーマンスを行う活動を続けている。2022年からイタリアのシューズブランドのセルジオ ロッシをパートナーに迎え、新たなフェーズへと向かう今、プロジェクトに込められた思いを振り返る。
自分が選んだ道だから。心に蓋をして生きてきた過去
先天性脛骨欠損症により両脚を切断し、9歳のときに、車椅子ではなく義足で生活することを決断した片山真理さん。「みんなと同じ靴が履きたい」という強い思いに動かされ、自らの意思で選択した道だった。小・中学校時代にはハンディキャップが理由でいじめられ、その頃から家で絵を描いたり、裁縫をしたり、創作活動に励むようになった。高校に入ると、義足に絵を描いた作品が「群馬青年ビエンナーレ’05」で奨励賞を受賞。その後、美術大学を経て東京藝術大学大学院に進学し、芸術表現の道を追求した。
学生時代は学費と生活費を稼ぐためにアルバイトを探したが、身体障害者手帳1級を持つ片山さんを受け入れてくれるところは少なく、大学院に通いながら、夜はジャズバーで歌手として働いた。ステージに立つときは義足が隠れるロングドレスをまとい、フラットシューズを履いていた片山さん。するとある日、ひとりの酔った客に心ない言葉を浴びせられた。「ハイヒールを履いていない女なんて、女じゃない」。そのときの悔しさを、彼女はこう振り返る。
「私の足のことも、履きたい靴を諦める辛さも知らないお客さんが野次を飛ばしてきたとき、ずっと蓋をしていた心の傷をえぐられたような気持ちになりました。『自分が選んだ道だから』と表面的に納得させようとしていたことを指摘されたような気がして、悔しくてたまりませんでした」
夜が明けると、すぐさま長年付き合いのある義肢装具士のもとへ向かい、ハイヒールを履くための義足部品を海外から取り寄せてもらうことにした。そもそも、義足の人がハイヒールを履くことを想定すらしていない日本では、そのような部品は作られていなかったのだ。保険適用外で、全額自己負担。当時の彼女にとって、それは途方もなく高額なものだった。
誰もが抱く憧れに、自由な選択肢を
ハイヒール型の義足をなんとか手に入れたものの、今度は義足に合うヒール靴が見つからなかった。市販のハイヒールは義足に耐え得る構造ではなく、履くとすぐに潰れてしまった。残された方法は、義足の形状に“ぴったり”合うシンデレラシューズを作ることだけ。片山さんは諦めず、靴の学校や障害者のためのリハビリ施設などを訪れ、さまざまな専門家の協力のもと、靴づくりのための科学的な知見を深めていった。



