クマと人が共生する道。今、私たちにできることとは

日本全国でクマによる人的被害が増えており、人里や市街地にまで出てくるケースが多発している。2023年度は全国で219人が被害に遭い、統計のある2006年度以降で過去最多となった。それに伴い、クマの捕獲数も過去最多の9,253頭にのぼった(環境省調べ)。人間と野生動物との不幸な出合いが招く衝突。両者が共存する道はあるのだろうか。自然と人との関係性に向き合い続ける、写真家の𠮷田多麻希さんとともに考えてみたい。

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𠮷田多麻希さんプロフィール画像
写真家𠮷田多麻希さん

神戸市生まれ。生き物好きに育ったことから、自然や動物の姿を気にかけるようになる。身近な生物や自然の持つエネルギーを可視化させる作品「Sympathetic Resonance」を2018年に制作し、同作品で2019年「キヤノン写真新世紀」優秀賞を受賞。北海道で撮影した作品「Negative Ecology」で、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2022「10/10現代日本女性写真家たちの祝祭」展に参加。同展示が第47回木村伊兵衛写真賞にノミネートされた。

人間によってモンスター化された、一頭のヒグマの正体

北海道の知床半島に位置する羅臼町で駆除された、ある一頭のヒグマにまつわるプロジェクトを行う𠮷田さん。興味を持ったきっかけは、オスのヒグマが民家の飼い犬を次々に襲ったという記事を読んだことだった。2018年から2022年夏までの間に、羅臼町で計8匹の飼い犬が殺傷され、犬に残された唾液や毛などをDNA鑑定した結果、同一個体のものと判明した。「犬殺し」とメディアで騒がれたそのクマは、羅臼町に隣接する斜里町のルシャ地区で初めて目撃されたことから、研究者の間で「ルシャ太郎」、通称「RT」と呼ばれていた。

RTはなぜ飼い犬を襲ったのか。その行動をたどるべく、𠮷田さんは2021年に羅臼町に赴きフィールドワークを始めた。山と海に囲まれたこの町で、クマはどんなルートを歩くのだろうと想像しながら現地取材を重ね、写真を撮り続けた。

「町役場の許可を得て、地元の猟友会の方にも協力いただき、事故が起こった民家の裏山など、山中の9ヵ所にトレイルカメラ(動物の熱を感知して自動で撮影するカメラ)を設置しました。RTをはじめ、羅臼町の山にどんな生き物がいるかを知る良い機会になると思いました」

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トレイルカメラに映っていたRTの姿と、𠮷田さん本人との比較写真(𠮷田さん提供)。

RTの姿を奇跡的にとらえたのは、羅臼町のコミュニティセンターからわずか数十メートルの場所に設置したカメラだった。「まさかこんなところで」と𠮷田さんは思った。映像は駆除される直前のもので、生前のRTの姿を撮影できたのは𠮷田さんだけだという。

地元の人から得た情報や、RTの足跡をたどるなかで、わかってきたこともあった。

「野生生物に関することはさまざまな要因が複雑に絡み合っているため、一概にこれが正解とは言い切れませんが、RTが最初に犬を襲ったのは突発的な事故だったと推測されます。最初に襲われた犬は、RTが山から海へ移動するルートに近い場所で外飼いされていました。おそらくRTが通るたびに盛んに吠えられていたことから、その犬に接触してしまったのでしょう。以来、紐でつながれた犬を簡単に狩れる“獲物”として認識してしまい、それが次の事故を引き起こしたとも考えられます」

RTが犬を襲った時期は夏に集中していた。𠮷田さんは、RTが過酷な自然環境での縄張り争いに負けてしまった可能性も示唆する。

「芽吹の春と実りの秋は、餌が豊富にある時期です。知床半島ではサケやマスの遡上もあります。一方、夏はクマにとって餌の少ない厳しい季節。もちろんクマは雑食なのでシカなどの動物の肉も食べますが、そのような獲物は縄張り争いに勝った『強いクマ』のものになります。若いクマや老いたクマは餌場の確保ができず、人里に降りてきたところを捕獲されてしまう。RTは捕まったとき10歳前後で、野生のクマとしては比較的高齢でした。餌の縄張り争いに敗れたのだとしたら、駆除されたのは避けられないことだったのかもしれません」

2022年7月、RTが捕殺されたという連絡が𠮷田さんのもとに入った。その瞬間には立ち会えなかったが、亡骸の一部に対面したときには得も言われぬ思いが込み上げた。

「人が仕掛けた罠に入ることは絶対になかったRTが、シカ肉のにおいにつられて檻の中に入ってしまった。あまりの空腹に耐えられなかったのでしょう。あっけない最期でした。一方で、もしRTが捕まっていなかったら、今もずっと得体の知れない凶暴なヒグマのままだったかもしれません。死んで人前に姿を見せてくれたことで、RTはやっと“普通のクマ”に戻ることができました。人が生み出した恐ろしいモンスターのイメージを、最後は人の手で終わらせることができた。それは、ある意味では良かったのかもしれないなと思っています」

捕まったからこそ見えてきた、人びとの複雑な感情

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2023年9月に開催された、𠮷田さんの写真展「葬斂 SO-REN」より。©︎Tamaki Yoshida

「人びとの生活を脅かす危険なクマ」とメディアは報じたが、地元の人たちへの取材で浮き彫りになったのは、もっとリアルで複雑な心情だったと𠮷田さんは言う。

「RTが捕まる前は、地元の方の間でも怖いという声が目立っていましたが、一方で『ああ、そんなクマいるね』という感じでごく当たり前に思っている方もいらっしゃいました。また、被害に遭われたあるご家庭にはお子さんがいらっしゃいました。事故当初はクマの名前を聞くのも嫌だというほど精神的ショックを受けられていたそうですが、RTが死んでからしばらくすると、RTの爪を保管している方に、その爪を譲ってほしいと言い出されたそうです。私はまだそのお子さんと直接話せていないのですが、とても大きな心境の変化だなと思いました。RTが死んで人びとの記憶から忘れ去られていく反面、こうした新たな感情も生まれている。『怖い』というレッテルが剥がれたとき、一頭のクマに対して抱く思いは、とても複雑なものだとわかりました」

写真を通じて、生き物の命の重みを考える

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写真展「葬斂 SO-REN」の会場の様子。©︎Tamaki Yoshida

羅臼町での約2年間のフィールドワークを経て、𠮷田さんは2023年9月、RTをテーマにした写真展「葬斂 SO-REN」を発表した。空腹に負けて人里に降り、結果的に捕獲されたRTの行動や姿を、写真と映像で表現した。檻のように設置された柵の中に、命が尽き、横たわったクマの写真を置いたのは、人間によって駆除された一頭のクマの魂を暗闇に浮かび上がらせるためだった。

「羅臼町にはトビニタイ文化の洞窟遺跡があり、そこでクマの頭骨を祀っていたことが確認されています。『命をいただく』という古来の人びとの営みに着想を得て、展示では捕獲されたクマの魂を海へと送る、弔いの思いを込めました」

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ネガを反転させたクマの写真をブラックライトで発光させ、暗闇に浮かび上がるような演出に。©︎Tamaki Yoshida

写真を通じて伝えたいのは、生き物の命の重み。なぜ駆除されたクマは解体処理され、ゴミとして廃棄されなければならなかったのか。人や動物を襲ったクマにはどんな事情があったのか。本当に恐ろしいモンスターだったのか。一度立ち止まって考えてみてほしいと𠮷田さんは訴える。

「時代とともに価値観は変わっていくものですが、現代を生きる私たちは、野生動物を理解すること、生き物の命を奪うことに対する意識があまりに希薄になっているように思います。当たり前だと思っていることは、本当に当たり前なのだろうか。写真を通じて、そういったことを考えてもらうきっかけになればと思っています」

人間の領域とクマの領域。不運な衝突を避けるために

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写真展「葬斂 SO-REN」より。©︎Tamaki Yoshida

環境省は2024年2月、ヒグマとツキノワグマを「指定管理鳥獣」に追加することを発表し、保護から管理へと方針を変えた。クマが「指定管理鳥獣」になったことで、自治体は捕獲を行う際に国から財政的支援を得られるようになった。クマ被害が増える昨今、状況によってはクマの捕殺がやむを得ない場合もあるだろう。一方で、シカやイノシシと比べて繁殖力の低いクマに対する過度な捕獲を続ければ、個体数が極端に減ってしまう懸念もある。クマと人とが共存する未来について、𠮷田さんの思いを聞いた。

「2023年の夏に羅臼に行ったとき、スーパーで爆竹を購入しようとしている女性に偶然出くわし、人里に若いクマが出たと聞きつけました。トラックに積んでいたつぶ貝のにおいにつられて出てきたそうです。地元の人が夜通し爆竹で追い立てても逃げず、結果的にその若いクマは捕獲されてしまいました。そういう話を聞くと、やはり心が痛みます。とはいえ、駆除せざるを得ない状況だった。地元のハンターの方がたも、自分たちの生活圏を守るために日々命がけで仕事に取り組んでいらっしゃいます。
人間には守るべき領域がある。クマはクマで、空腹になったら食べ物を探しに人間の領域に入ってくる。そこで不運にも衝突が起きてしまうことがある。近年はとにかくクマの数が増えており、2023年は羅臼町でも過去最多数のクマが捕獲されました。クマを管理することは重要だと思いますが、一方で人を狙いにきているわけではないことも事実です。RTのプロジェクトは今後も続けていくつもりなので、自分なりの方法で、共存の道を探っていきたい。常に自問自答しながら、慎重に考えていきたいと思っています」

人間と野生生物のより良い関係を目指して

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都内のLAG(LIVE ART GALLERY)で開催中の写真展「日目」より。ロードキルに遭ったシカをダゲレオタイプで表現した作品。

𠮷田さんは、野生動物と人との“衝突”を別の切り口から伝えるプロジェクトにも取り組んでいる。最新作では、多くの観光客や登山客が集まる富士山麓で、ロードキルに遭った野生動物にフォーカス。人によって引き起こされた生き物の死をテーマにした写真展「日目」が、都内のギャラリーLAG(LIVE ART GALLERY)で開催されている(2024年7月6日まで)。事故死した生き物たちの姿は、銀メッキをほどこした銅板に像を焼き付けるダゲレオタイプという古典技法で表現した。

「ダゲレオタイプを採用したのは、動物の亡骸に目を背けず、直視してもらうためです。銀板写真のフィルターがかかることで、生々しさを消すことができました。また、作品を見るときに自分の姿が映り込むのですが、それによって私たち人間も自然環境の一部であることを意識してもらえればと思っています。
人間の交通量と比例して、ロードキルの件数も増加していますが、死亡事故に遭った動物の多くは路上に放置されたままです。事故が起こらないために、私たちはどうするべきなのか。例えば道の脇にシカがいたら、その後ろには5、6頭ファミリーでいることが多いので、そういった動物の生態を知ることもすごく大切です。また、事故が起きてしまったときには警察や道路管理者に報告したり、後続車両にひかれないために措置をとったりなど、放置するのではなくきちんと対処をするべきです。今回の作品を通じて、そういったことに少しでも意識を向けてもらえたらうれしいです」

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写真展「日目」の展示の様子。

𠮷田さんが撮影する野生生物の写真は、どれも気高く美しい。生き物の死をまざまざと見せつけながらも、そこには「かわいそう」という言葉を超えた、確かな尊厳が宿る。人も動物も命に価値の差はない、という揺るぎない姿勢を貫く𠮷田さんだからこそたどり着いた、唯一無二の写真表現なのだろう。人間と野生動物とが適切な距離を保ち、不幸な衝突を防ぐために、一人ひとりが当事者意識を持ち、自然界への理解を深め、行動する必要がある。過度な恐怖心を植え付けるような報道をそのまま信じ込み、思考停止してはいけない。生き物を通して人の姿をも映し出す𠮷田さんの作品が、そう痛烈に語りかけてくる。

𠮷田多麻希 写真展「日目」
𠮷田多麻希 写真展「日目」の画像_9

会期:2024年6月11日~7月6日
場所:LAG(LIVE ART GALLERY)
住所:東京都渋谷区神宮前2-4-11 Daiwaビル1F
営業時間:13:00~19:00(日曜・月曜・祝日は休館)