自然界でほぼ分解されず、人の体内に長く残る“永遠の化学物質”。発がん性や出生時の低体重などさまざまな健康への影響が指摘されるPFAS(ピーファス)が、全国各地の河川や浄水場などから相次いで検出されていることが今問題になっている。
汚染源は主に在日米軍基地や航空自衛隊の基地、化学工場、産業廃棄物処理場周辺など。特に米軍基地が集中する沖縄県中南部では、基地内から流れ出たとされる高濃度のPFASがたびたび検出されてきたにもかかわらず、いまだ十分な調査もできていない状況だ。不安が広がる中で、私たちが知るべきこと、考えるべきことは何なのか。沖縄のPFAS汚染を題材にした作品を手がける、ビジュアルアーティストの鈴木萌さんに話を伺った。
ロンドン芸術大学ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーション、京都芸術大学卒業。家族や地域コミュニティ、環境問題などをテーマに、写真やアーカイブ、イラスト、製本技法を織り交ぜた作品を制作している。2020年に発表した、緑内障により視力を失っていく父親が見る世界を表現した作品『底翳(SOKOHI)』が国内外で評価され、さまざまなダミーブック賞を受賞。2024年、沖縄県における米軍基地由来のPFASによる水や土壌汚染をテーマにした作品『Aabuku』を発表。
PFASは1万種類以上あるとされる有機フッ素化合物の総称。熱に強く水や油をはじく特性があるため、1940年代から産業利用され、泡消火剤や調理器具のコーティング剤、防水服、半導体の製造など幅広い用途に使われてきた。
昨今は世界的に規制が強化され、PFASの中でも有害性が確認されているPFOSとPFOA、PFHxSの3種(以下、まとめてPFASという)については製造や使用、輸入が国際条約で禁止されている。しかし、これまでに基地や工場などから漏れ出たPFASが地中に浸透し、長い時間をかけて地下水から湧き水となり、河川へ流出している。「汚染地点が集中する沖縄中南部の地層は、サンゴの殻が堆積した琉球石灰岩なので透水性が高く、深刻な地下水汚染につながるとされています」と鈴木さん。過去に漏れ出たPFASが現在も分解されないまま、水道水や井戸水を通じて体内に取り込まれることが懸念されている。
PFASの健康への影響はどのようなものがあるのか。2022年、アメリカの学術機関「ナショナル アカデミーズ」は、脂質異常症や甲状腺疾患、腎臓がんや精巣がんなどとの関連性が高いことをデータとともに示した。また、WHO(世界保健機関)の国際がん研究機関は、PFOAを発がん性の可能性のある物質リストの最高ランクに位置付けている。
日本国内では、PFASの健康影響に関する知見はまだ少ないとされている。妊婦のPFAS血中濃度が高いと低体重出生の確率が上がるという国内調査結果が示されているが、内閣府の食品安全委員会の評価書では関連性を「否定できない」と評価するにとどまり、発がん性については「証拠は限定的」としている。
WHOや各国は水質を監視するべく、PFASの濃度の目標値を設定した。WHOが示す指針値は、PFOSとPFOAそれぞれ1リットル中に100ナノグラム(100ng/L)。鈴木さんによると、1ng/Lとは25mプール(水深1m)に塩3粒程度を溶かした濃度に例えられるぐらい、非常に小さな単位だという。日本では法的拘束力のない暫定的な基準値として、PFOSとPFOAの合計で50ng/Lとしている。
一方、アメリカは2023年3月に、PFOSとPFOAそれぞれ4ng/Lという厳しい規制値案を公表した。「アメリカは、以前はもっとゆるい目標値を設定していたのですが、バイデン政権下で規制が強くなりました。欧州でも同様の傾向が見られるので、今後日本の基準が変動する可能性は大いにあると思います」と鈴木さん。実際、環境省は2024年7月に有識者会議を開き、水道水の暫定基準値の見直しに向けた議論をスタートさせた。同時に政府は水道水の全国調査にも乗り出し、汚染の実態把握を急ピッチで進めている。
環境省が2022年に実施した調査によると、沖縄を含む16都府県の111地点で基準値を超えるPFASが検出された。沖縄の水道水がPFASで汚染されていることが初めて公表されたのは、2016年1月。それは県の中南部に位置する北谷(ちゃたん)浄水場で、県民約45万人に供給される水だった。北谷浄水場の比謝川取水ポンプ場の上流では、嘉手納基地内を流れる大工廻(だくじゃく)川が合流する。当時この川から、1,462ng/Lという高濃度のPFASが検出された。汚染源は、1970~80年代に同基地内の大工廻川脇で使用されていた消火訓練場である可能性が極めて高いと見られている。
その後沖縄県が実施した調査の結果、普天間基地下の湧き水・喜友名泉(ちゅんなーがー)では最大2,000ng/L、普天間第二小学校グラウンドの土壌からは6,600ng/kg、嘉手納基地周辺の井戸群では最大1,870ng/L、このほか、嘉手納弾薬庫や陸軍貯油施設下流の天願川、キャンプフォスター周辺の湧き水、キャンプハンセンから流れ出る地下水などでも同様に高濃度のPFASが検出された。
そして2020年4月10日、普天間飛行場の格納庫にある火災報知器が誤作動を起こし、大量の泡消火剤が噴出する事故が起きた。合計約14万3,830リットル、ドラム缶719本分の消火剤が排水溝を通じて基地外に漏出し、高濃度のPFASを含むふわふわの白い泡が、宜野湾市の大謝名(おおじゃな)地区へ流出した。鈴木さんはこの漏出事故をニュースで見たのをきっかけに、沖縄でのフィールドワークを始めた。
「飛行場を作るためには真っ平らな土地が必要で、戦後米軍が接収して基地にしました。普天間基地も嘉手納基地も高台にあり、基地内では定期的に消火訓練が行われます。そこで泡消火剤が流出するたびに高度の低い方へ、つまり人びとが住んでいる海側に流れていきます。上にある米軍基地から、下で暮らす住民へ。まるで沖縄の問題を象徴するかのような地理的構造になっています。
普天間基地の漏出事故は白い泡として可視化されましたが、水道水に含まれるPFASは目に見えないし、においも味もしません。沖縄の基地問題も、本土に住む私たちにとっては見ようとしなければ見えてこない。どちらも“不可視な存在”であるからこそ、伝えなければならないと思いました」
数値化できない、人びとの不安や曖昧さを作品に
鈴木さんは沖縄のPFAS汚染を取材し、約3年の制作期間を経て、『Aabuku』というタイトルの写真集を完成させた。県内の汚染地域で実際に生活を営んできた人たちのポートレートとともに、それぞれの汚染にまつわる記憶や思いを聞き取り、綴った。
『Aabuku』には、老若男女計11組が登場する。普天間飛行場に隣接する地域に住む女性は、娘が通う小学校のグラウンドと飲み水がPFASで汚染され、ゆがんだ環境が子どもにとっての「普通」になってしまっていることに悔しさを滲ませる。少年時代から汚染された湧き水を手ですくって飲むことを日課にしていた男性は、心の半分ではPFASを気にしながらも、今のところ健康に暮らせているからしょうがないと諦める。汚染された水を農業用水にしていた農家の男性は、「自分は毒の入った野菜を売っている」と意気消沈する。汚染は日常の中にあり、ごく身近な場所で起きている。そのことを汚染と隣り合わせに暮らす人びとの生の声が、如実に物語る。
「PFASは目に見えないし、健康への影響も現時点ではまだはっきりとはわからない。とらえにくい問題だからこそ、さまざまな声が集まりました。『あのときに自分たちが使ったり飲んだりしていた水が、じつは汚染されていたのかもしれない』というような、日々の記憶が呼び起こす漠然とした不安。それは決して数値化できないものですが、汚染問題を語る上で重要な軸のひとつだと思います」
現地の人びとの語りの裏付けを取るために、鈴木さんは聞き取りと同時に入念なリサーチも行った。『Aabuku』の巻末には、専門家への取材、研究データや書籍、公文書などをもとにした解説が綿密に記されている。沖縄のPFAS汚染の実態を、地理や科学、政治などあらゆる視点から紐解いた一冊だ。
鈴木さんは『Aabuku』を通じて、汚染問題を引き起こす社会構造にも目を向ける。沖縄のPFAS汚染の解決を難しくしているのが、米軍の権利を定める日米地位協定だ。日本の関係機関は米軍基地に許可なく立ち入ることはできず、「環境に影響を及ぼす事故が現に発生した場合」に限り、立ち入り調査を申請できる取り決めになっている。しかし、これまでに政府や自治体の立ち入り調査が許されたのは2回のみ。「県側が立ち入り調査を要請しても許可されないばかりか、日本政府も消極的で要請に関する回答を避け続けている」と鈴木さんは強調する。
「1度目の立ち入りが実現したのは、2020年の普天間飛行場の泡消火剤漏出事故のあとでした。基地内のPFAS漏出事故は頻発しているのですが、米軍はこのときに初めて漏出があったことを認めたので、沖縄県と日本政府が普天間基地の土壌調査を実施しました。続いて、基地内の地下貯水槽にPFAS汚染水が大量に保管されていることも明らかになりました。米軍はその後、台風による雨水流入で貯水槽があふれるのを防ぐために、基地外の下水施設への汚染水の放出を強行したのです。日米間の協議の結果、日本の防衛省が費用を全額負担し、基地内の汚染水をすべて引き取るということがありました」
これまで基地由来の汚染水を処理してきたのは、米軍ではなく日本政府と沖縄県の自治体だ。PFAS以外にも六価クロムやダイオキシンなどといった基地由来の有害物質問題が未解決だが、それらについても同様に日本政府や自治体が費用を負担し、除染を行ってきた。
「2016年に北谷浄水場の水が汚染されているとわかったとき、汚染除去に有効とされる高機能の粒状活性炭が導入されました。その整備や交換には年間3億5,000万円かかるといわれていますが、その費用の7割は防衛省が、残り3割は沖縄県が負担しています」
汚染問題から見えてくる、絶対的な権力と不条理。沖縄の問題は「沖縄だけの問題」ではないと鈴木さんは訴える。
「私たちが何気なく平和だなと思って暮らしている社会には、明らかな不均衡が生じています。権力者が市民の守られるべき人権を侵害する。そんな絵に描いたような構図になっているのが沖縄です。たとえ沖縄に住んでいなくても、私たちはそのことにもっと目を向けるべきです。
基地由来とされる汚染が実際に起きているとわかっていても、脅かされるのは県民ひとりひとりの暮らしだとわかっていても、日本政府は米軍を優先し、根本的な解決策を提示できずにいる。そんな社会に生きているんだということに、ひとりひとりが気づかなければいけないと思います」
『Aabuku』の出版にあわせて、2024年2月に東京で、5月には京都で写真展を開催した鈴木さん。8月1日からは那覇市内のギャラリーでの展示も予定されている。
「現地で聞き取りをした方々はみんな『沖縄のことは蔑ろにされているからぜひ伝えてほしい』とおっしゃっていました。沖縄出身でも在住でもない私は、いってみれば部外者であり、地理的な加害者という立場でもあるのかもしれません。ですが、そこで暮らす人びとの声を通して汚染問題を伝えることはできると信じて取り組んでいます。PFAS自体にまだまだ曖昧な部分も多く、簡単に結論づけられる問題ではありません。ですが、その曖昧さをたぐり寄せながら、立ち止まって考えてみることが大切なのではないでしょうか」
生きている限り、誰もが当事者になり得る。ある日、自分の暮らしの身近なところで起きるかもしれないのが汚染問題だ。だからこそ、汚染地域だけの問題と無関心でいてはいけない。ひとりひとりが自分自身の問題として見つめる必要がある。
考えるべきことは山積みだ。国の基準値を超えるPFASが全国各地で検出されていること、その基準値が厳しく見直されようとしていること、汚染源のひとつに在日米軍基地があること、その基地の7割が沖縄に集中しているということ。ひとつ扉を開くたびに、また次の扉が見えてくる。その途方のなさに、ただ立ちすくむのか、それともわずかな希望の光を信じて進むのか。重い扉を開け続けた人でなければたどり着けない景色がきっとあるはずだ。