女性初の南極地域観測隊長・原田尚美さんに聞く、地球の今とこれから

南極に昭和基地が開設された1957年から現在に至るまで、70年近く活動を続けている日本の南極地域観測隊。長い歴史の中で、今年女性として初めて隊長を務めるのが、東京大学 大気海洋研究所教授の原田尚美さんだ。極地に魅せられて30年以上、南極観測の重要性や人生3度目となる南極行きへの意気込みを語ってもらった。 

南極に昭和基地が開設された1957年から現在に至るまで、70年近く活動を続けている日本の南極地域観測隊。長い歴史の中で、今年女性として初めて隊長を務めるのが、東京大学 大気海洋研究所教授の原田尚美さんだ。極地に魅せられて30年以上、南極観測の重要性や人生3度目となる南極行きへの意気込みを語ってもらった。 

国立極地研究所にあるコンテナの前に立つ、南極地域観測隊隊長の原田尚美さん

地球環境の未来予測の要、南極地域観測とは

領土主権の放棄や平和目的利用を定めた南極条約にもとづく国際協力のもと、各国が自由に科学調査を行える南極大陸。最大で約4,900メートルもの氷床に覆われる広大な「氷の大陸」は、地球温暖化の影響が最も少ない地域とされている。

数十万から数万年前の雪が降り積もってできた南極の氷床には、当時の雪や空気、飛んできた火山灰などが保存されている。氷床を掘削調査することで過去の地球環境がわかり、そのデータは未来の予測にも役立てられる。南極地域観測は、重要な国家事業のひとつだ。

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極地に関する観測研究を行う国立極地研究所の中にある倉庫。南極へ輸送する約1年半分の物資がここに集約される。

1956年の第1次隊発足以降ほぼ毎年派遣されている観測隊は、12月~3月の4ヵ月間滞在する夏隊と、その後も1年を通して滞在する越冬隊で編成される。2024年12月に日本を出発する第66次隊は、夏隊員が59人、越冬隊員が31人で、それぞれ観測系と、建築・土木や機械、調理、医療など観測活動を支える設営系のふたつの部門に分かれている。これら隊員とは別に、報道関係者や教育関係者などの夏隊同行者25人を含む総勢115人のメンバーで現地に赴き、南極の大気や生物、地学などのさまざまな調査や研究を行う。原田さんは、この大所帯を率いる観測隊長(兼夏隊長)として現地での任務にあたる予定だ。

「冬の間は昭和基地内でのルーティンワークが中心ですが、夏は白夜で気候も安定し、プラスの気温になることもあるので、仕事はかきいれどき。大陸の測量や地質系の研究など、昭和基地周辺のいろんなフィールドにヘリコプターで運んでもらって野外調査をするチームもいます。
観測隊は組織ごとにチームで動いているのですが、何か決め事が必要なときに瞬発的に判断を下したり、仕事がうまく進むように調整を繰り返したりするのが隊長の主な役割です。南極の環境は非常に厳しく、決して想定通りにはいきません。日々直面するトラブルをシューティングしていかなければならないので、現場では毎日打ち合わせを重ねてプランを変更していきます。隊員たちにはその都度納得してもらう必要があるため、隊長はコミュニケーション力や調整力を発揮するポジションです」

“地球上のクーラー”、南極にも押し寄せる温暖化の波

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東南極のトッテン氷河末端域。(国立極地研究所提供)

南極観測事業は6年ごとに観測計画が立てられる。第Ⅹ期6ヵ年計画(2022年度~2028年度)の重点的テーマのひとつが、原田さんの専門領域である海洋観測だ。これまで南極は温暖化に対して敏感に応答しないエリアという位置づけだったが、昨今は温暖化の影響が南極周辺にも押し寄せてきていると原田さんは警鐘を鳴らす。

「北極と違って周辺に陸地がなく、周囲を海洋で覆われた南極は、河川水や海流などを通じて熱が入り込みにくい条件が整っているので、冷たい空気を送り込む“地球上のクーラー”のような役割を果たしています。しかし2015年頃から、大西洋、太平洋側に面した西側南極周辺を中心に、海氷が急激に減っていることが、衛星観測から明らかになりました。
一方、昭和基地がある東南極周辺でも、現場を航行するとたいへん多くの氷山が見られるようになるなど、最近の大陸縁辺部から海氷域に変化が現れています。
ここで脅威なのは、南極周辺の海氷が溶けてなくなってしまうと、大陸を覆う氷床がどっと海に流出してしまう恐れがあることです。東南極周辺ではトッテン氷床が融解のホットスポットで、もしもトッテン氷床が融解した場合、地球の海面水位が平均4メートル上昇すると見積もられています」

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昭和基地沖に接岸する南極観測船「しらせ」(原田さん提供)

「現在、日本の周辺では年間3.5ミリずつ海水面が上昇しているのをご存じでしょうか。主な原因は、温暖化で暖まった海水の体積が膨らむ熱膨張という現象だとされています。しかし、いよいよ南極の氷床が溶けるというフェーズに入ってくると、ミリ単位などではなくメートル単位で海面水位が上がっていくことになります。もしそうなったら、海抜0メートルにある日本の大都市には住めなくなるでしょう。
どのくらいの期間で氷床の融解が起こりうるのかはまだわかっていませんし、そもそも起きないかもしれません。一見するとまだ何も変化がないように思えるのですが、実際に現地で採取される観測データや解析結果を見ると、これはただ事ではないという恐怖感が湧いてきます。しかし、怖れを抱くだけではなく、子供や孫の世代が大変なことになる前に、今、対応策を考え順次進めていく必要があります。その時間的猶予はまだ残されています」

原田さん率いる第66次隊は、昭和基地のある東南極エリアを拠点に、南極観測船「しらせ」を使った沿岸域と外洋の監視観測を行う。

「海水の熱が氷を溶かしているという仮説のもと、現在の海水の熱量を観測から推定し、数値モデルによって10年後、20年後の変化をシミュレーションしていきます。さらに、溶けた淡水や海底からの栄養を含む物質が、光の豊富な表層に供給されることによって、プランクトンをはじめ海に生息する生き物がどのような影響を受けているのかも、観測を通じて明らかにしていきます。
厳しい南極氷床の最前線でも観測できる『しらせ』のような砕氷艦は、世界的にも多くはありません。観測データやその成果を、日本から世界に発信していく責任を感じています」

女性はたったひとり。学生時代に自ら志願した憧れの南極

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観測隊の拠点である南極の昭和基地。(国立極地研究所提供)

原田さんが初めて南極の素晴らしさを知ったのは大学4年生のときだった。卒業論文の指導教官が南極観測経験者で、先生の話を通じて極地の魅力に惹かれていった。その後、南極観測隊員を数多く輩出する、海洋生物地球化学の研究で有名な名古屋大学大学院理学研究科へ進学。博士後期課程在学中に南極行きのチャンスに恵まれた。

「大学院では、海洋中の炭素循環を専門とする研究室に所属していました。私のテーマは、かつて海の表層に生息していたプランクトンによる有機物を海底の堆積物から分析・解析し、過去の海の環境を推測するという研究です。
研究対象のひとつに、『マリンスノー』と呼ばれる海中を雪のように沈降する巨大な粒子があります。肉眼でも見えるマリンスノーは、微生物の死骸や排泄物などいろいろなものが凝集されてできているのですが、主成分は植物プランクトンが光合成によって大気中の二酸化炭素(CO2)を吸収した後に作り出した有機物です。このマリンスノーを測定することで、海中の生物がどれくらいのCO2を吸収しているかを検証することができます。
私が所属していた研究室では、マリンスノーの季節変動を計測するフィールドワークを実施していました。海水中を沈降するマリンスノーを自動的に集める特殊な測器(セジメントトラップ係留系)を海洋中に設置することで、どの季節にどれくらいの量のCO2が海水中に吸収されるかを測定します。
この実験ができる研究室は日本で数ヵ所しかありません。当時それを南極でも実施するということで、私の指導教官のところに実験補助のための学生派遣の要請があったんです」

教授が声をかけたのは男子学生だけだったが、誰も手をあげなかった。当時、日本から南極に行った女性はまだひとりだけ。それでも、不安よりも行ってみたいという興味が上回り、原田さんは自ら南極行きを志願した。

「先生には大反対されました。そもそも南極観測は私の博士論文のテーマと全然違うし、南極に行くために休学したら卒業が遅れてしまうことなど、いろんなことを心配してくださったんだと思います。でもそのときの私は、とにかくいろんなフィールドを経験したい一心でした。博士論文も南極のサンプルを使った論文も両方書いてから卒業するので、なんとか行かせてほしいと先生に頼み込み、しぶしぶ納得していただきました」 

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雪上車訓練中の隊員のそばを歩く、1羽のアデリーペンギン。(国立極地研究所提供)

1991年、第33次観測隊のメンバーとして念願の南極へ向かった原田さん。現在は日本からオーストラリアまでは飛行機で移動するが、当時は日本から「しらせ」に乗船して南極へ出航する時代だった。約1ヵ月の船旅と4ヵ月の滞在期間中、女性は原田さんただひとり。もちろん基地内には女性専用のトイレも浴室もなかった。過酷で心細い環境におかれても、「何もかもが楽しかった」と原田さんは振り返る。

「自然環境はもちろん厳しいですが、南極でしか見られない景色がたくさんあります。昭和基地内で仕事をしていると、ペンギンがなんの警戒もなくすぐそばまで歩いてくるし、夏の白夜の美しさは言葉で表せないほど。私がいちばん好きなのは1月下旬の真夜中の空です。太陽が沈んで、またすぐに昇ってくる、その一瞬の空の色がピンクから紫のグラデーションになるんです。あれは南極であの時間帯に起きている人だけが見られる特別な景色。隊員はそれぞれ自分だけのお気に入りの景色を持っていると思います」

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昭和基地の白夜の空。(国立極地研究所提供)

33年前にやり残した宿題を終わらせるために

第60次隊には副隊長として参加し、今回が3度目の南極行き。原田さんには隊長としての仕事以外にも大切な任務がある。それは、初めての南極観測で実施したマリンスノーの測定実験に再チャレンジすることだ。

「初めて南極に行ったとき、じつはマリンスノーの観測には失敗してしまったんです。設置したはずの測器が潮に流されてしまったのか、影も形もなくなってしまって回収することができませんでした。複数の研究テーマを持って行っていたのが不幸中の幸いで、南極の論文を書いて卒業するという先生との約束は果たせましたが、メインの観測テーマは現在も未完のまま。
今回は実験のための研究資金も無事に獲得できたので、南極でマリンスノーのサンプルと研究データをとることもひとつの大きな目標です。33年前の宿題を今度こそ終わらせて、研究結果をもとに論文を書きたいと思っています」

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33年前には100人中ひとりだった女性観測隊員の割合も、第66次隊では全体の25%にまで増えた。温暖化の脅威や日本技術の衰退が叫ばれる中、「明るい未来があるとしたら、こういう分野にも女性が増えていることです」と原田さんは意気込む。

「教育者という立場になった今、10代、20代の女子学生たちを見ていると、かつての私のようになんとしてでも自分のやりたいことをするという人よりも、周りの意見をちゃんと聞いて、できるだけそこから外れないような道を選ぶ人が多いような気がします。もしもこの記事を読んでくださった方の家族や親戚の中に、理系に興味のある若い女性がいらっしゃったら、たとえ彼女たちの希望する進路が女性の少ない分野であっても、不安がらずに背中を押してあげてほしいです。
多様性のある組織は意見の偏りがなく、優れたアイデアが生まれやすいと思います。『女性は理系には向かない』という無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)にとらわれず、さまざまな優秀な人材が、もっといろんな分野で活躍する社会になってほしいですね」

 厳しい環境にも耐え抜く屈強な精神力と、どんな状況でも柔軟に対応する、やわらかな感性の持ち主。しなやかなリーダーとして、また理系女性のロールモデルとして、果敢に挑戦し続ける原田さんの姿は、夢を追う多くの人たちを勇気づけるに違いない。

「私たちの研究結果は心配を煽るようなことが多いのですが、日々の暮らしの中で少しでも自分事として捉えてもらうためのきっかけを作りたいと思っています。地球規模でどんな変化が起きていて、将来それがどんな影響を及ぼすのか、私たち観測隊が現地へ行って調べてきますので、活動を見守っていただけたらうれしいです」

原田尚美さんプロフィール画像
第66次南極地域観測隊長原田尚美さん

はらだ なおみ●北海道生まれ。1991年、名古屋大学大学院在学中に第33次南極地域観測隊に参加。2018年の第60次隊で副隊長を務める。2022年より、東京大学 大気海洋研究所国際・地域連携研究センター教授に。2024年12月より、第66次隊の隊長として南極へ出発予定。

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