世界最大規模の報道写真コンテストとして知られる「ワールド プレス フォト(世界報道写真コンテスト)」。その入賞作品を紹介する「世界報道写真展」がこの冬、3年ぶりに日本にかえってくる。展示会場は、京都新聞ビル地下1階印刷工場跡。かつて国内外のニュースを毎日プリントしていた場所が、世界の重要なストーリーを届ける場として再び息を吹き返す。
多くの国や地域で人権が危機にさらされ、マスメディアや報道のあり方が問われて久しい。スマホさえあれば誰もが情報の発信者となれる時代に、フォトジャーナリズムが果たすべき役割とは何か。写真展を通じて、改めて考えてみたい。
世界各地で起きている重要な出来事を、写真の力を通して伝える
イスラエル軍のミサイルが自宅に直撃し、死亡した5歳のめいの遺体を抱きしめるパレスチナ人女性の写真。2023年10月17日、ロイター通信記者のモハメド・サレムさんが、ガザ地区ハンユニスにあるナセル病院の遺体安置所で撮影した。2024年のワールド プレス フォトで、フォト・オブ・ザ・イヤー(大賞)に選ばれた1枚だ。
1955年から続くワールド プレス フォトは、オランダのアムステルダムで年に1度開催されている。前年に世界各地で撮影、制作された報道写真の中から、世界6地域ごとに4部門(シングル、ストーリー、長期プロジェクト、オープンフォーマット)の優勝作品が選出される。
今年は130の国と地域から約6万点の応募があり、厳正な審査を経た32作品が選ばれた(各地域の優勝作品に加え、佳作と審査員特別賞を含む)。先述したガザの写真をはじめ、ロシアによるウクライナ侵攻やミャンマーの軍事政権による市民弾圧、アマゾンの干ばつやカナダの森林火災など、世界各地で起きている人権侵害や社会問題、環境問題を、写真の力を通して伝えるものだ。
「世界報道写真展」3年ぶりの日本開催復活に向けて
毎年の受賞作品は全世界の約80都市で展示され、何百万人もの人びとの目に触れる。日本でも長年「世界報道写真展」として開催されてきたが、2021年を最後に開催が途絶えていた。3年の空白期間にピリオドを打つべく、動き出したのが京都新聞だ。
きっかけは、同紙写真記者の松村和彦さんが取り組む認知症のプロジェクト「心の糸」のフォトストーリーが、オープンフォーマット部門のアジア地域優勝作品に選ばれたことだった。今年の5月にアムステルダムでの受賞セレモニーに参加し、現地でワールドプレミアを見た松村さんは、「世界の出来事を知る大切な機会が日本で失われていることを、たまらなく残念に思った」と振り返る。
「フォト・オブ・ザ・イヤーに選ばれたパレスチナ人ジャーナリストのモハメド・サレムさんは、イスラエル軍の包囲によってセレモニーに参加することはできず、ガザからビデオ通話で登場されました。サレムさんは破壊された建物の前で、大勢の市民やジャーナリストが亡くなっていること、食料や水、医薬品を手に入れるのがむずかしい現状を語り、『この写真が戦争を止める圧力となることを願っています』と訴えました。メッセージが終わると、会場は大きな拍手で彼の思いを受け止めました。
受賞作品の中には、日本では報じられていない大切なトピックを伝える写真もたくさんあり、見た人に強く訴えかける力があると確信しました。ワールドプレミアで、大勢の来場者たちが世界の“今”を克明に伝える受賞作品とじっくり向き合う姿を見て、日本開催を復活させたいという思いはいっそう強まりました」
世界と日本をつなぐ、新聞インスタレーション
京都新聞主催のもと、3年ぶりの日本開催となる「世界報道写真展2024京都」では、32の受賞作品が一堂に会する。会場は、京都新聞ビル地下1階にある印刷工場跡。かつて国内外のニュースを毎日印刷していた場所で、世界の報道写真を展示する。
国際情勢への関心が薄いといわれる日本人に向けて、世界の報道写真をどのように自分ごととして捉えてもらうのか。世界の出来事と日本の来場者をつなぐ橋渡しとして着目したのが、自社のリソースでもある新聞記事だったと松村さんは言う。
「世界の報道写真というと、どうしても“外国の遠い出来事”になりやすい。では、ワールド プレス フォトの受賞作品のトピックは、実際に日本でどのように報じられているのか。そんなシンプルな興味から、京都新聞のデータベースを使ったリサーチを始めました。
2020年1月1日から2024年10月31日までの期間、各受賞作品にまつわるトピックのキーワードから関連記事を検索すると、ウクライナ侵攻では数千件ヒットしましたが、アフリカの内戦の記事は数十件程度。モーリタニアからヨーロッパを目指した移民船が中南米に漂流しているというショッキングなニュースは『該当データなし』と表示されました。北中米に関しては、アメリカ以外の報道が少なかったです」
「一方、シングル部門のヨーロッパ地域の優勝者に選ばれたのは、2023年のトルコ・シリア大地震の惨状を撮影したアデム・アルタンさんの写真だったのですが、京都と滋賀のニュースを発信する京都新聞では地震のことを報じつつ、募金活動が滋賀県守山市で行われたことを伝えていました。日本の国際報道に偏りがあるのは明らかですが、受賞作品とあわせて関連記事を紹介することで、世界と日本のつながりを示すことができると考えました」
松村さんは、各受賞作品のテーマに関連する記事が載った新聞のインスタレーションを制作した。紙面は実際に新聞を印刷する輪転機でロール紙に刷り出され、工場稼働期にロール紙があった場所に展示される。
一部、紙面が印刷されていない白紙の箇所もあるが、これはデータベース上に該当する記事がなかったことを表している。「関連記事の大きさや掲載位置、受賞作品と記事の内容の差異にもぜひご注目ください。日本と世界の関係性を浮き彫りにしています」と松村さん。
今回の写真展には、京都で毎年国際写真祭を行っているKYOTOGRAPHIE(キョウトグラフィー)が特別協力として参加する。オープンフォーマット部門のアジア地域優勝者である松村さんのプロジェクト「心の糸」は、2023年春のKYOTOGRAPHIEで展示された経緯があり、その縁もあって実現した。
「展示空間の設計や設営、キャプションの翻訳などをKG(KYOTOGRAPHIE)チームの方々に担っていただきました。来場者に強く訴えかける展示空間を制作する上で、テーマに沿った解釈で展示設計をご提示くださるKGチームのお力を借りられたことは、たいへん大きなことでした」
強い写真が心を開き、対話の場をつくる
日本開催を成功させるためには、資金確保という課題もある。会場の印刷工場跡はギャラリーではないため入場料を設けることができない上に、プリントの輸送や会場制作に多額の費用が必要だ。公共性の高い情報を伝えることへの社会的な理解を求めて、クラウドファンディングも実施している。
なぜ今、私たちは世界の出来事を知る必要があるのか。日本開催に合わせて来日する世界報道写真財団エグゼクティブ・ディレクターのジュマナ・エル・ゼイン・クーリーさんは、こう述べる。
「世界はこれまでにも増して危険な時代になっていると感じています。エスカレートする戦争、長引く紛争、深刻化する気候変動問題、原因はそれだけではありません。固定観念に支配され、他者を理解しようとしないことがもたらす新たな硬直。私たちが生きる世界はいま、対話の著しい欠如に陥っています。そんな時代だからこそ、フォトジャーナリズムが担う役割は重要性を増しています。
世界報道写真展では、強い写真が閉ざされた心を開くことを、物語には普遍性があることを伝えようとしています。私たちは、普遍性こそがつながりを生むと信じています。世界の危機的状況に対して具体的な解決策を提示することはできませんが、対話なくして解決策はありません。その対話の場をつくることが、私たちの使命なのです」
写真は社会を映す鏡だ。現実を記録するだけにとどまらず、ときには目に見えないものを捉えることもできる。平和とは、正義とは、人権とは。たった1枚の写真が、見た人に強く訴えかけることもある。大陸や国、言語が違っても、たとえそれが「遠い国の出来事」であったとしても、たった1枚の写真を通じて私たちは同じ思いを抱き、同じ願いをもち、つながることができる。2024年の締めくくりに、この世界で起きていることを伝える作品と向き合ってみてはどうだろう。知るための扉は今、開かれているのだから。