夏の全国高校野球選手権埼玉大会の1回戦。レジデンシャルスタジアム大宮球場に、「アウト!」「セーフ!」の力強い声が響き渡った。一塁の塁審を務めていたのは、埼玉県高等学校野球連盟(埼玉高野連)審判部に所属している佐藤加奈さん。国内では数少ない女性の審判委員として活躍しているひとりだ。平日は中学校教諭として働きながら、休日に審判委員として活動し、二児の母として子育てもする。「大変だと思ったことは一度もないんですよ」。そう端然と話す眼差しの奥に隠された、熱い思いを伺った。

高校野球で女性審判委員として活躍する佐藤加奈さん
幼い頃から野球観戦が好きだったという佐藤さん。プレーもしたいという思いはあったが、女子が野球をできる環境がなかったため、高校まではバスケットボールに打ち込んだ。その後、日本体育大学に進学し、女子軟式野球部に入部。未経験ながら、4年生で外野手としてレギュラーを掴み、全日本大学女子野球選手権大会優勝にも貢献した。
大学卒業後は、中学校の保健体育の教員に。着任先では大学時代の経験を買われて野球部の顧問に就いたが、技術指導に行き詰まることがあったという。「当時はまだ知識が乏しく、野球のセオリーもわかっていませんでした。子どもたちは純粋に『バッティングを見てください』と言ってくれるのですが、経験値が足りなかったこともあり、自分の指導に迷いがありました」。
そんななか、野球部の監督に勧められて始めたのが審判だった。当初はしぶしぶだったが、やってみると面白さに開眼した。「もともと理数系が得意で、答えがひとつに決まっているものが好きなんです。野球でも、この場合はアウト、これをしたらルール違反といったように、審判目線でなら明確に判断できると分かってからは、子どもたちにも自信をもって指導できるようになりました」。
審判のスキルを高めたいと思うようになった佐藤さんは、プロ野球審判員の採用とアマチュア野球審判員の技術向上のために、年に一度開催される「アンパイア・スクール」を受講した。そこで適性が認められ、2017年に阪神大学野球の春季リーグで審判デビュー。同連盟初の女性審判委員として球場に立った。
「この世界に飛び込む前は、『女のくせに』と思われるんじゃないかと不安でしたが、いざ入ってみると杞憂でした。女性だからといって蔑視されることもないですし、フェアに接してくださっています。野球界は男性が多いですが、私も含めて女性で審判をやっている人たちは、みんな自分の意思をしっかり持っていて逞しいですね」。

WBSCワールドカップに参加した女性審判員。右から2番目が佐藤さん(写真は佐藤さん提供)
評判が評判を呼び、デビューから半年後には、香港で開催された女子野球アジアカップに審判員として出場。国際審判員のライセンスを取得し、初の国際大会の舞台を踏んだ。2018年にはフロリダで開催されたWBSC女子野球ワールドカップへ。その翌年にはWBSC U-18ワールドカップにも参加し、初めて男子の国際試合でのジャッジも経験した。
順調に実績を積み、活躍の場を広げる一方、世界との差も痛感したという。「日本の女性審判員は、外国に比べるとまだまだ少ないと感じています。アメリカやメキシコ、韓国などでは、プロリーグで審判を務める女性もいますが、日本のプロ野球では女性の審判員はまだひとりも出ていません。女性でも野球の審判ができることを、もっと多くの人に知ってもらいたいですね。そのためにも私自身がいろんな大会に出て頑張らないといけないなと思っています。審判員を目指す子たちに、希望を示す存在になりたい」と意気込む。

右から2番目が佐藤さん、左端が韓国の審判員のキム・ミンソさん(写真は佐藤さん提供)
二児の母でもある佐藤さんには、女性審判員としてロールモデルにしている人がいる。「韓国でアマチュア審判員をしているキム・ミンソさんという方です。国際大会に参加したとき、すごく助けていただきました。当時、私にはまだ子どもがいなかったのですが、彼女にはお子さんがいらっしゃって、夜にフェイスタイムで韓国にいるお子さんと話されていたのを覚えています。その姿を見たとき、いつか自分が子どもをもっても、彼女のように審判を続けたいと思ったんです」。
高校野球は、大人も成長できる場所

夏の高校野球埼玉大会の試合で、打球の後、アウトかセーフかを判定している佐藤さん
2度の出産を経て、今年の4月から審判活動を本格的に再開した。現在は、おもに高校野球の試合でジャッジをしている。日本高野連によると、各都道府県高野連に審判委員として登録している女性は、全国で約20人。高校野球においても、女性審判の存在は珍しい。
炎天下で行なわれる夏の大会。審判委員は水分補給こそできるが、長時間グラウンドに立ちっぱなしだ。過酷な状況でも、試合中は決して真剣な姿勢を崩さない。「夏の大会は、3年生にとっては引退がかかった大事な試合です。審判委員も選手と同じようにしっかり練習して準備を整え、万全の体勢で大会に臨んでいます」。
高校野球の審判委員はほぼボランティアで、審判着や用具は自己負担。多くの人が仕事を持ちながら、休日に手弁当で審判活動を行なっている。審判委員の高齢化や、なり手不足という課題もあるなかで、佐藤さんは「ただただ好きだから続けられている」という。そこまで惹きつけられる審判の魅力とは何なのか。
「審判は、球審と塁審の4人がチームで動いているんです。例えば、二塁の塁審が外野のフライを追うと、三塁の塁審が中に入ります。そうすると球審が三塁に上がり、一塁の塁審がホームにいく。そうやってチームワークがうまくいったときはすごく楽しいです」。

試合中、拳を上げてアウトのポーズを取る佐藤さん
ルールを熟知していることや、長時間グラウンドで動き回れる体力があることはもちろん、試合の流れを読み、次に展開されそうなプレーを冷静に予測し、即座に、公正に判断しなければならない。審判委員に求められる力は多岐にわたる。
「審判って、ときには批判されることもあるので、嫌な役回りなのかもしれません。でも、アウトかセーフかきわどい場面でのジャッジにはみんなが注目するし、そこで正しい判断をして、プレーを盛り上げることができるのは審判だけです。じつは、私はあまり計画的に行動できるタイプではないので、審判には向いていない性格なのですが、だからこそ審判の仕事を通じて自分自身を鍛えられているように思います。高校野球は球児だけでなく、私たち大人にとっても成長できる場なんです」。
球児に最も近い位置で彼らを見守ることにやりがいを感じる一方、女性審判委員が育つ環境を整えていく必要性も感じている。「出産後も審判を続けられるように、例えば球場内にキッズスペースがあるとありがたいなと思っています。また、高校や大学の女子野球選手向けに審判講習会をしたり、女子野球のイベントで講習会の時間を設けてもらったりなど、若い世代が審判に触れる機会や仕組みを増やしていくことも重要だと感じています」。
「今日の審判、女性だったんだな」と思ってもらうのが理想
取材中、佐藤さんの前を通りがかった高校球児たちは、立ち止まって帽子を取り、深々と頭を下げた。すると、佐藤さんも同じように彼らに対して一礼した。それはごく自然な光景だったが、選手と審判が互いを尊重し合う関係性であることが伝わるやり取りでもあった。
佐藤さんは、選手と審判委員の間に上下関係はないと話す。そして、グラウンドに立っている間は選手とのコミュニケーションを欠かさない。「ナイスプレーが出たら『よく取ったね』とか、下を向いている子がいたら「次、頑張ろう」とか、試合中は積極的に選手たちに声をかけるようにしています。プロ野球の審判がそのような声かけをすることはないですが、高校野球の場合、ひとつのミスが子どもたちの精神面に影響を及ぼすことがあるので、そういうときに審判が前向きな声かけをしてあげることは大事だと思っています」。
高校野球の審判委員は、「グラウンドティーチャー」ともいわれている。試合を進行するだけでなく、対戦相手への敬意や試合におけるマナーなどを選手たちに教えることも期待されている。「指導するべきときはしっかりと指導しつつ、子どもたちのいいプレーを引き出してあげるのが、私たち審判委員の役目です。選手のプレーを讃えるという意味でも、迷いなく全力でジャッジすることを心がけています」。
あこがれの舞台は、高校野球の聖地、甲子園。公式の高校野球の選手権大会で、女性審判委員が甲子園に出場したことはまだない。
「試合開始前の整列のときに、私を見た選手たちが『今日の審判、女性じゃない?』とざわつくことはあります。そういうときは、ジャッジする姿を見せるしかないと思っています。理想は、試合が終わった後の整列で、『そういえば今日の審判、女性だったんだな』と、試合中に忘れてもらえるくらいになること。女性審判がいて当たり前の環境をつくるためにも、注目度の高い甲子園に出て存在をアピールすることが、一番の近道だと思っています」。
高校野球審判委員のユニホームの左胸に入った「F」マークは、連盟(Federation)のほかに、フェアプレー(Fair play)、友情(Friendship)、闘志(Fighting spirit)という意味も込められている。若者たちが野球を通じて3つのFを体得するという使命のもと、情熱あふれる大人たちが100年以上続く高校野球を支えてきた。ときに励まし、ときに見守るグラウンドの「先生」として、審判委員は選手とともに試合を動かし、つくり上げてきた。
高校野球の夏の地方大会で、初の女性審判委員がグラウンドに立ったのは今から約25年前。「先輩たちが切り開いてきた道があるからこそ、こうして活躍できる環境がある」と佐藤さんは言う。いつか審判委員として、甲子園の土を踏むために。叶わない夢ではなく、そう遠くない「目標」に向かって、佐藤さんはこれからも挑み続ける。