きこえない・きこえにくいアスリートのための国際スポーツ大会「デフリンピック」の日本初開催が、11月に控えている。メダリスト有力候補のひとりとされているのが、デフ陸上日本代表の山田真樹さんだ。2017年のデフリンピック・トルコ大会では、200mと4×100mリレーで金、400mで銀と、計3個のメダルを獲得。しかし2022年のブラジル大会では、新型コロナウイルスの感染拡大により無念の棄権となった。その後しばらく陸上から離れ、役者業に専念した時期もあったが、3年前の雪辱を果たすべく、地元・東京で世界の大舞台に挑む。デフアスリートとして、表現者として、彼は今何を思うのか。胸の内を明かした。
家族の中で自分だけがきこえない。通じないことが当たり前の環境だった
イギリス人の母と日本人の父のもとに、ふたり兄弟の次男として生まれた真樹さんは、幼い頃から耳がきこえなかった。真樹さん以外の家族は全員聴者であるため、4人で住んでいた頃は家族の会話に十分参加できず、孤独を感じることもあったという。
「父と母と兄は、日本語と英語のミックスで音声で会話しますが、僕と話すときは3人ともコミュニケーション方法がバラバラなんです。父との会話では、唇の形から言葉を読み取る口話を使うし、手話を覚えてくれた母とは日本手話を、兄とは指文字(50音を手指の形で1音ずつ表現する方法)を使って話します。それぞれ一対一で話すことはあっても、全員で話すことはありませんでした。それに、3人の会話の内容に僕だけ入れないのは当たり前でした。愛情はたっぷり注いでもらったと感じていますが、それでもどこか家族の一員じゃないような感覚はありました」
真樹さんは、幼稚部から高等部までろう学校に通った。全員と安心して手話でコミュニケーションが取れるろう学校は、真樹さんにとって居心地の良い場所だった。「小学校に入るときに地元の学校かろう学校かを選ぶことになり、後者がいいと両親に言ったそうです。僕自身はよく覚えていないのですが、ろう学校は自分の居場所だという認識があったんだと思います」
イギリスで出会った陸上の神様と、ブラジルでの挫折
特別足が速いわけではなかった真樹さんに、転機が訪れたのは2011年。東日本大震災が発生した年だった。真樹さんの母は、当時中学1年生だった真樹さんを連れて、イギリスの実家に一時避難した。約1ヵ月後に日本に帰ってきたとき、変化は起きた。
「体力テストの50m走で初めて学年トップを取って、そこからどんどん速く走れるようになっていったんです。イギリス滞在中に何か特別な練習をしたわけでもないのに、不思議ですよね。イギリスに陸上の神様がいて、日本まで付いてきてくれたのかな」
走ることが楽しくなっていった真樹さんは、ろう学校の高等部に進むと陸上部に入り、本格的な練習を始めた。すると、ろう学校の全国大会で優勝するだけにとどまらず、都大会やインターハイ予選など、一般の高校生の試合に出場できるまで実力をつけていった。
舞台表現を通じて見えてきた、「再現力」という課題
ブラジル大会以降、真樹さんは一度陸上競技から離れることを決め、幼い頃からの夢でもあった役者としての活動を始めた。舞台の稽古を重ねるうちに、それまでは曖昧だった陸上の課題もクリアになっていったという。
「役者に挑戦してわかったのは、演技と陸上には共通点があるということでした。両者に求められるのは“再現力”です。以前、舞台の監督にこう言われたことがありました。役者の仕事は言われたことを身体に叩き込み、同じことを繰り返し表現することだと。そのとき、陸上にも同じことが言えると気づいたんです。コーチのアドバイスをしっかりと理解し、練習を積み重ね、言われたことを再現できれば、パフォーマンスの質が上がります。陸上も舞台表現も、再現力がなければ次に進まない。演技を通じて大切なキーワードにたどり着いたことは、自分にとっては大きな収穫でした」
目標は、聴者の世界で戦うこと
デフリンピックの日本開催が決まったことを受け、現役に復帰した真樹さん。プライベートでは今年の夏に生まれたばかりの第一子の子育てに取り組みながら、11月の大会に向けて練習に励んでいる。走り込みやウエイトトレーニングなど、黙々と個人練習をする日もあれば、4×100mリレーに出場する坂田翔悟さんらと練習をともにする日もある。
「聴者の場合はバトンを渡すときに声を出しますが、僕たちは声がきこえないので、あらかじめ歩数を数えてテープを貼り、前の走者がそのテープを踏んだときに走り出すことで、スタートのタイミングを感覚で掴むようにしています。ただ、その日のコンディションによって左右されるところもあるので、走ってくるときの相手の表情をよく見ながら微調整しています。僕たちろう者は、普段から目を見て伝え合うことを自然にやっているので、相手の表情の変化がよくわかるんです」
ろう者が身近にいることを知ってほしい
日本におけるデフリンピックの認知度は、決して高いとはいえない状況だ。東京2025デフリンピックの大会の“顔”としても期待されている真樹さんは、デフリンピックを周知するためのPR活動にも注力している。積極的に発信し続ける根底には、「ろう者の存在をもっと知ってもらいたい」という思いがある。
「昔に比べると、障害がある人たちの生活は豊かになってきました。車の運転免許を取れるようになったり、住宅ローンを組めるようになったり、社会的にも法的にも認められることが増えてきたし、選択肢が広がってきています。それでもまだまだ制限されている部分はあって、困り事がたくさんあるのも事実。 例えば先日、新幹線に乗るために駅のホームに並んでいたら、周りの人たちが突然慌てた様子でいっせいに移動し始めたんです。駅員さんの音声アナウンスによる情報しかなかったので、僕は何が起きているのかまったくわかりませんでした。電車が緊急停止したとわかったのはしばらく経ってからで、そのときは取り残されたような気持ちになりました。東日本大震災のような自然災害が起きたときも、避難所で孤独を感じていたろう者の方がたくさんいらっしゃったと聞いています。今回のデフリンピックを通じて、きこえない人が身近にいるということを、もっと多くの人に知っていただきたいです」
見てわかる応援「サインエール」
デフリンピックを観戦する際、声援が伝わりにくいデフアスリートたちに応援を届けるにはどうすればよいのか。目で見てわかる応援方法として、新たにつくられたのが「サインエール」だ。日本の手話言語をベースに複数の動きを組み合わせたもので、「行け!」「大丈夫 勝つ!」「日本 メダルを つかみ取れ!」といった3つの基本要素がある。開発メンバーのひとりでもある真樹さんに、「行け!」のサインエールを教えてもらった。