吉田恵里香さん(左)
神奈川県生まれ。日本大学芸術学部卒業。連続テレビ小説『虎に翼』(2024)、ドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(2020)、『生理のおじさんとその娘』(2023)、映画『ヒロイン失格』(2015)、『センセイ君主』(2018)など、さまざまな映像作品の脚本を手がける。ドラマ『恋せぬふたり』で第40回向田邦子賞を受賞。
渡辺ペコさん(右)
北海道生まれ。「YOUNG YOU COLORS」にて『透明少女』(2004)で漫画家としてデビュー。『ラウンダバウト』(2009)が第13回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選ばれる。その他の著書に『1122(いいふうふ)』( 2020)、『にこたま』(2010)、 『ボーダー』(2013)、『変身ものがたり』(2013)、『おふろどうぞ』(2016)などがある。モーニング・ツーにて連載した『恋じゃねえから』完結巻が2025年2月に発売予定。
社会的なテーマを作品に取り入れたきっかけ
――二人の作品には、結婚という制度についての疑問や、女性が置かれている理不尽な立場に対する視線が描かれるなど、社会的なテーマがあるように感じます。普段から意識して作品に取り入れているのでしょうか? 渡辺ペコ (以下、渡辺 ) 私は漫画家デビューして20年になるのですが、どちらかというと、連載している雑誌の中で浮かないように、あるいは、読者に受け入れられるように、ということを意識していました。「社会的な視点がありますね」と言われるようになったのは最近のことで、『1122』以降です。
吉田恵里香 (以下、吉田 ) 私は、ラブコメや恋愛ものが書きたくてこの世界に入ったんです。当初は向田邦子さんのように、恋愛の機微 を描きたいと考えていました。でも、突き詰めていくと恋愛っていろんな方向に分岐しているのに、描かれていないものが多いな、と思い始めて。今のように社会的なことを書くようになったのは、『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』という、BLドラマの脚本を担当したことがきっかけ。この中で、他者に対して恋愛感情を抱かないキャラクター を描いたことが制作陣に響いて、アロマンティックやアセクシャル(※)の人を描いたドラマ『恋せぬふたり』につながり、それが『虎に翼』へと続きました。
渡辺 私は女性向けの漫画雑誌でデビューしたので、「恋愛と仕事」がメインテーマでした。ただ、世の中には「恋愛の物語」がたくさん あるのに、これ以上必要なのかなという思いもあって、表向きはカップルの体裁をとりながら、家族の問題を描くことが多かったです。家族は社会の最小単位なので、自然と社会的な問題を扱う方向に進んでいきました。※アロマンティックは他者に恋愛感情を抱かない人、アセクシャルは他者に性的に惹かれない人。
吉田 漫画家さんって、映像作品とは違って、自分で全部制作するじゃないですか。責任をすべて一人で背負う大変さと自由さがありますよね。脚本家は、そもそも社会的なテーマを「書ける機会」を作ってもらわないと成り立たない。自分のやりたい企画ができる人は限られているのではないでしょうか? だから、完全に好きなように書くよりも、ある程度の枠組みがあったり、誰かにテーマを投げてもらったりするほうがいいのかな、と悩み中です。
――『虎に翼』も、誰かにテーマを投げてもらったからこそ書けた、という部分もあるのでしょうか?
吉田 朝ドラの脚本を執筆することが決まって、最初は オリジナルの企画を出したのですが、通りませんでした。確かに、朝ドラ未経験の私に、半年間に渡って脚本を任せることを考えたら、企画が通らなくて当然なんですよね。それで、プロデューサーに朝ドラのモデルを探していただいた時に、一番輝いて見えたのが三淵嘉子さんだったんです。
――渡辺さんは、社会的なテーマを扱う漫画を描く時に、どのようにリサーチされているのですか?
渡辺 テーマが決まって、さあ調べるぞということはないんですけれど、自分の想像力や知識だけでは足りなくなるので、補足的にどんな事例があるかを調べます。『1122』の時はある程度、自分が思ったことで描いていけました。それでも、世の中にはどんな夫婦がいるのか、同世代の夫婦が仲良く見えたとしても、実際にはどんな感情を持っているのかわからないので、アンケートを取ったこともありました。
『恋じゃねえから』の場合は、性被害にあった人々を描くので、当事者の方に話を伺ったり、関連した本を読んだり、自分や知人が経験したことも入れて、嘘のないようにと考えて描いています。
アートやエンタメ業界の搾取の構造に向き合う
性加害をしたアーティストの作品に憧れを抱く中学一年生の翠を通して、知らない内に二次加害に加担している怖さを描いた。『恋じゃねえから』4巻より。©︎渡辺ペコ/講談社
――『恋じゃねえから』の中では、性加害をしたアーティストが作った芸術作品の背景を知らずに、その作品や作家に憧れを持つ若い女性の姿も描かれていました。こういったキャラクターを入れることで、性被害にあった人だけでなく、知らずに二次加害に加担している人の姿も見えるようになっていると感じました。
渡辺 映画や小説、写真の中には、賞賛された作品でありながら、その背景には傷ついている人がいた、という事例もあります。作品に対する賞賛の声が大きければ大きいほど、「芸術的な視点がわからず批判しているのは野暮だ」と言われたり……。でも、本当は違和感があるのに受け入れなければならないと思うことが、性的な搾取やハラスメントの構造を作り上げているのではないでしょうか。 例えば、芸術家のある作品に性の搾取の構造があったとして、私が実際に仕事で関わった場合に「これはないんじゃないですか?」と、言えないかもしれない。そんな自分自身に対しての怖さもあったので、漫画の中で二次加害に加担している人物を描きました。
――今までは怖くて声をあげられなかったことって、世の中にはたくさんあると思います。声をあげるという責任については、どのように考えていますか?
吉田 声のあげ方についてはすごく悩みます。誰かのキャリアに影響が出る場合もあるし、センシティブで勝手に公にしてはいけないこともあるので、直接声をあげられない状況も多い。だからこそ、作品で声をあげることは必要だと感じています。作品をきっかけに、誰かを踏みとどまらせることができるかもしれない。こうして取材を受ける時も、嫌われてもいいから責任を持って発言していきたいですね。
夫の透が性加害をした事実をだんだんと見過ごせなくなる妻の紅子。『恋じゃねえから』5巻より。©︎渡辺ペコ/講談社
――吉田さんはよく「透明化されている人に光を当てたい」と発言されていますが、渡辺さんにも共通する考えなのではないでしょうか。 渡辺 最近描いている漫画に関しては、声を大きくあげられない人、透明化されている人を描こうというよりは、見るからに傲慢ではないけれど、実は傲慢な人たちを描こうという意識が強いです。 誰かにとって都合のいい構造をクリエイティブなことだからと賞賛したり、わかったふりをしてしまう。そういう傲慢さを描くと、自ずと透明化されている人が見えてくるのかな、と。
吉田 私は『恋じゃねえから』に出てくる紅子さんが気になっています。紅子さんは、彫刻家であり、少女の裸を作品にしたことで性加害をしたアーティスト・今井透の妻でマネージャー。表面上は成功した女性であり、加害者のパートナーなので、最初は感じが悪いキャラクターとして偏見で見ていた部分もあったんです。でも、紅子もだんだんと、夫の加害性を見過ごせなくなっていく。加害者と関わる人 物や背景の描き方もすごく丁寧ですよね。
『虎に翼』の魅力あふれるキャラクターが生まれた背景
渡辺 そう言ってもらえてうれしいです。私は『虎に翼』を観て、ひとりの人間の時間軸の変化を書くのも、脚本家の力の見せ所だと感じました。登場人物たちの人生が折り重なっている織り物のように立体的で。ドラマにおいて、 この週ではこの人に光を当てようと、吉田さん自身が考えられていたんですか? 吉田 明律大学女子部で出会う4名と轟、寅子の兄嫁である花江にはモデルがいないんですけれど、最初の企画書に、オリジナルのキャラクターとして提案していました。朝鮮半島から法律を学びに日本に来た崔香淑を書く時には、当時の日本と朝鮮の関係性について調べることが多かったです。彼女のキャラクターや背景は、 考証の先生の力添えもあって、私だけの力で書いたものではなかったですね。
渡辺 そんな登場人物たちの性格や背景の設定、組み合わせに迷ったりはしましたか?
吉田 キャラクターに関しては、女性が抱えているものを下敷きに、わりとすんなり決まりました。ただ、彼女たちがどのようなゴールを迎えるかは、書きながら変わっていったところもあって。特に夫と子どもがいて、法律を学びに大学に通っていた梅子。彼女は家庭の中で弁護士の夫や義母、末っ子を除く息子たちからも蔑まれているという、辛い立場にあったので、もっと早く離婚させたかったんです。でも、当時の法律では、夫側が「子どもはいらない」と言うまで、妻側が親権を得ることができなくて。梅子がシングルマザーになるという道筋も考えたのですが、「よき母」「子どもを愛する母親」というものを書きたくなかったので、練り直しました。
――梅子が法律を駆使して、家族と訣別するシーンは反響が大きかったのではないでしょうか。他にも変わっていったキャラクターはありましたか?
吉田 他に大きく変わったキャラクターに玉がいます。彼女は華族令嬢の桜川涼子の付き人だったのですが、後に二人の間には友情が芽生え、共同で喫茶店を経営することになるなど、切っても切れない関係性に。これは、玉の表情などが繊細に切り取られている完パケ映像を見て、脚本を変えました。
渡辺 寅子の恵まれた家庭環境や、周りの人にも好かれる性格を、‟まぶしすぎる”と感じる人もいると思うんですね。『虎に翼』はいろんな背景を持つ登場人物がいることで、さまざまな方向性のゴールに辿り着いていた気がします。特に、私はよねが大好きでした。
吉田 よねは人気がありました。私がもし実在のモデルがいないオリジナルヒロインで朝ドラを書くならば、よねを主人公にしたと思います。でも、今回は、寅ちゃんのように恵まれた人にしか救えない人もいることを書きたかったんです。私自身も、 寅ちゃんが何もかも解決していく話だと、まぶしすぎて見ていられなかったので、寅子を、“いい人だけれど利己的な部分もある”という、ぎりぎりのライン上にいる主人公にしたつもりです。
渡辺 寅子は年を重ねるうちに、見えないことや配慮のないところも出てきて、周囲から怒られることもありましたね。
吉田 『恋じゃねえから』の主人公・茜も、愛情深い家庭で育ち、結婚して円満に見えるという面では寅子と似ているけれど、40代の現在は、精神的に不安定なところもあって、そこがリアルだと感じました。渡辺 私は、自分ではどうにもできないところで持ち得る‟力”は、人によって違うと考えています 。例えば、帰れる実家があったり、頼れる両親がいたり。そういう持っているもののゲージを常に意識しています。私が描きたいのは、そのゲージが少ない人が、どうやったら少しでも元気に生きていけるのかということ。彼らが元気に生きていくための方法として、物語の中に多いのが‟新しい家族”や‟理解のあるパートナー”など、恋愛によって救われるフィクションです。それもありだとは思いますが、私個人としては、恋愛に頼れない人、救われない人がどうやって生きていけるのかに関心があります。
次につながる前例を『虎に翼』で作りたかった
――二人の作品には、人が持っている特権性に切り込んでいるという共通点もあるのでしょうか?
吉田 自分が当事者ではない脚本を書くことが多いので、理解者のような顔をしてはいけないと思っています。『虎に翼』を書いている時に、そのことを改めて実感しました。フィクションは、“被害者・理解者・敵”の構図になりがちですが、主人公も何らかの加害性を背負わないといけないのではないか?という意識を、ここ1~2年は持っています。
――『虎に翼』や『1122』がドラマとして広く観られたり、漫画『恋じゃねえから』の反響を見ると、こうした作品が世の中に求められていると思います。それを観たり読んだりした人たちが、気軽に社会問題について語れるようになるといいな、と。
渡辺 私自身は今、描きたい漫画が描けているのですが、もっと社会的なテーマや多様な人々を描いた作品が、世の中に増えるといいですよね。 吉田 実は『虎に翼』を始める時に、次にいつ朝ドラの脚本を書く順番が回ってくるかわからないので、後悔がないように、なるべくいろんなテーマを入れ込もうと決めていました。ドラマを作る際に、前例がないということで、企画が却下されることって多いんです。でも、『虎に翼』で、多様な人々の姿を書いているので、もし誰かの企画が却下されそうになったら、「こういうテーマは『虎に翼』でもやってましたよ」と言って、どんどん使ってもらいたい。
――それは、いい前例になりますね。もっと世の中に、多様な女性像を描いた作品が増えて欲しいです。
吉田 『恋じゃねえから』を読んだ時、1巻の冒頭シーンで、主人公の茜が自分の入れ歯を洗っている場面があって、印象に残りました。それも、多様な女性を描くことの一つですよね。
渡辺 漫画の中の女性って、美しく描かないといけないとされてきたけれど、そうじゃなくてもいいのではないか、という気持ちがあって。現実にもいろんな人がいるのに、きれいな人だけを描きたくないと感じています。40歳の茜と同年代で、入れ歯やウィッグの人だっているでしょうし、そういう人が登場すれば、読者も、だんだん自然に受け止められるようになるんじゃないかな。
吉田 最近だと、小泉今日子さんと小林聡美さんが団地で暮らす50代の独身女性を演じる、『団地のふたり』がすごくリアルで面白 い。私もこういうテーマでいつか書いてみたいと思いながら観ています。