われわれの身体問題、アクティビスト&起業家からのメッセージ 2022 ━vol.3 京都大学医学部附属病院産婦人科 医師 池田裕美枝さん

「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)」という言葉を耳にしたことはあるだろうか。「性と生殖に関する健康と権利」と訳され、子どもを産むことや性の問題に関して健康な状態でいられること、そして自分で決められることを指す。基本的人権のひとつであり、SDGsにも明記されている概念だが、日本にはまだSRHRの考え方が普及していないという。

それに危機感を抱いた産婦人科医の池田裕美枝さんは、SRHRについて学際的に議論し追及する研究会「京都大学リプロダクティブ・ヘルス&ライツ ライトユニット」を設立。SRHRについて幅広く発信する活動を始めた。医療の現場から社会を変えようとする池田さんに、日本におけるSRHRの課題について聞いた。

「自分のからだは自分のもの」を医療現場から発信する

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「社会のため、誰かのため」に産むのではなく、生殖の主体を取り戻す

「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」とは、狭義では「妊娠や出産、中絶などに関する健康と権利」のことです。1994年に誕生した概念ですが、それまで子どもを産むという行為は、女性が主体となって行うものではなかったという背景があります。生殖は、国や社会、または親や夫など自分以外の誰かの要請で行うものになっていました。私は、「生殖の主体を女性に取り戻す」という主張が、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの根本なのだと考えています。

「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR)」は、それを具体化させるための広い概念を含んだ言葉で、自分のセクシュアリティはどういったものなのか、自分は性行為をしたいかどうか、子どもを産みたいのかどうか、そういったことをすべて主体的に選べて、かつその選択が可能になる医療サービスにアクセスできる社会の状態を指します。だからひとりひとりの問題というだけではなく、社会全体の問題であると考えています。

イギリスで受けた衝撃「日本は一体なんなんだ!?」

私自身が真剣にSRHRに取り組み始めたのは、2011年にイギリス・リバプールにある熱帯医学校へ留学に行ってからです。それ以前からうすうす「日本のSRHRは遅れている」と感じてはいたのですが、そうは言ってもさすがに日本は先進国だし、そこまで遅れをとっているわけではないだろうと思っていたのです。

ところが留学先で世界各地から集まったクラスメートたちとディスカッションをしていると、「日本の現状は一体なんなんだ!?」と疑問に感じることが続出したんです。たとえば先進国には当然のように存在する、思春期の避妊ケアサービスやユースクリニックは日本にほとんどないのに、妊婦健診やがんの手術においては世界最先端のレベルだったり。また、ちょうどこの頃、緊急避妊薬が日本国内で初めて認可されたのですが、クラスメートたちに「今までは認められていなかったの!?」と驚かれました。海外では、中絶が禁止されていたりする事情もあり、10代の女性や低所得者には避妊薬を無料で配布している国が多いんです。一方日本では、中絶は合法なのになぜか避妊の手段が限られている。「日本は一体どうなっているの?」とクラスメートに聞かれ、私も答えることができませんでした。このとき、世界との違いを目の当たりにしたんです。

帰国して痛感した、日本社会の問題点

そんなとき、日本で東日本大震災が起こり、私は産婦人科医として石巻に向かうことに。その頃の被災地は、実は医療の過密地帯になっていました。医療物資は潤沢にあり、各避難所に1つずつ救護所があって医師もいる状態。それにもかかわらず、妊婦のケアが全然足りていなかったんです。避難所には、地震で妊婦健診も受けられなくなり「いま陣痛が来てもどうしたらいいかわからない」と困っている臨月の妊婦さんもいました。災害時は、妊婦は高齢者や障害者と並んで、よりケアを必要とする存在として扱われます。それが国際的なスタンダードなのに、被災地では妊婦が後回しにされていた。生理が止まってしまった人もたくさんいましたが、避難所には妊娠検査薬もなかったので、妊娠したのかどうかすら確かめられずに悩んでいる人も多かった。それに衝撃を受けました。

その後、産婦人科医として日本で勤務し始めたのですが、患者さんを通して日本の社会のあり方に憤りを感じることがあまりにも多くて。たとえば子どもを産んでまだ4週で、既に水商売の仕事を再開している女性がいました。「夫の借金を返さないといけないから」と言うのですが、まだ労働基準法では産休が義務づけられている時期です。貧困と暴力が連鎖している現状に、行政の申請主義がフィットしていないんです。

更年期障害で身体の不調を訴えて受診する人の中にも、義両親と自分の両親の介護に育児、さらにパートタイム労働まで抱え込んでいるケースが。更年期障害の以前に、社会に押しつけられた負担によって健康を害しているんです。さらに本人が「女性はこうしなければならない」という規範を内面化していることが多くて、自分の置かれている状態の異常さに気づいていないことも。患者さんたちが直面している苦境の多くは、社会が作っているということを痛感しました。

社会を変えないと、困っている人は永遠に減らない

とにかく外来で患者さんとして出会う人たちの中には、「今までよく生き延びてこられましたね」と心の痛くなるような状態の女性がたくさんいた。でも、産婦人科医が患者さんにできることは限られています。時間も足りないですしね。だから粛々と診察や処置をするしかない医者が多いのですが、それを考えると、ときどきすごく虚しくなるんです。根本にある社会の問題を解決しないと、同じ問題を抱えた患者さんがずっと生み出され続けるわけですから。

患者さんたちのSOSをどう引き出し、どう課題解決していくのか。その技術を研究したくて、京都大学SPH(公衆衛生大学院)に進学しました。そこでの研究を基にして生まれたのが、「KYOTO SCOPE」です。京都市内に暮らす女性を対象にした支援のプラットフォームで、地域にある支援機関を「見える化」することを目指しています。医療関係者としてできることは限られているけれど、一歩病院の外に出ると、地域には助けてくれる人がたくさんいることを知ったんです。そういった地域の支援機関と患者さんを繋げる機能を、病院が果たすにはどうしたらいいのか。そういう疑問からスタートしました。

自分自身と対話し、本当の思いに気づくことがSRHRの最初の一歩

国連としてSRHRの推進を担っているのは国連人口基金(UNFPA)ですが、私が代表を務める「京都大学リプロダクティブ・ヘルス&ライツ ライトユニット」は、UNFPAの世界人口白書2021の翻訳協力をしました。この白書のテーマは、「ボディリー・オートノミー(Bodily Autonomy)」でした。直訳すると「体の主権」という意味で、自分の身体に関する決定権が自分にあるということです。つまり「私のからだは私のもの」という感覚のこと。心と身体の声を聴き、自分がいちばん心地よい状態の心と身体でいることです。

これはSRHRの基礎となる大切な概念なのですが、欧米社会と比べると日本社会ではこの感覚が薄いのではと感じます。日本的な感性は、他者への共感を育みやすいなどいい面もありますが、自分の意思と他人や社会からの期待が混ざって曖昧になりがちな面も。SRHRについても、親の願望や社会規範を優先するのではなく、まずは自分自身がどうしたいのか、どうありたいのかが感覚的にわかって、初めて立ち現われる概念です。だから、まずは自分自身と対話し、自分自身の意思を大切にすることから始めてほしいですね。

何をするにもまずは一度、「本当にそれをしたいのか?」と自分に問いかけてみてほしいんです。性的同意の話で言うと、相手からセックスを求められたとき、「自分は本当にこの人とセックスがしたいのか?」と一瞬でもいいから自分に聞いてあげてほしい。たとえセックスをしたことで後から問題が起こっても、「あのとき自分で選んだのだから」と思えたほうが乗り越えやすいはず。これが、ボディリー・オートノミーの最初の一歩だと思います。

とにかく「3人の人につながる」勇気を

自分の心や身体が「今、つらいかも」と言っているなと感じたら、次は誰かにそれを伝えてほしい。伝える相手は、1人じゃなくて3人がいいです。それは医療機関でも公的な支援機関でもいいし、友達でも隣に住んでいるおばちゃんでもいい(笑)。3人に声をかければ、そのうちの1人くらいは親身になって助けてくれると思うから。1人でも助けてくれる人に繋がることができたら、そこからネットワークが広がっていき、状況が大きく変わるかもしれません。そしてその「助けてくれる人」のネットワークは、実は各地域にたくさんあるし、みなさんが思っている以上に広いです。だからまずは勇気をもって、繋がってみてくださいね。

 

●●私のオススメする、視野を広げる最初の一歩●●

わたしのからだだから

池田さんの主宰する京都大学リプロダクティブ・ヘルス&ライツ ライトユニットが発行する冊子。世界人口白書2021の翻訳協力をする中での学びをまとめたもの。詳細は当団体(srhr.jp)へ。

PROFILE

池田裕美枝●京都大学医学部附属病院産婦人科、医局員、非常勤医
京都大学医学部卒業。総合内科にて研修後、産婦人科に転向。現在は臨床にあたりつつ、京都大学大学院博士課程にて研究を行う。京都大学リプロダクティブ・ヘルス&ライツ ライトユニット代表。ソーシャルワークプラットフォーム「KYOTO SCOPE」事務局代表。

text:Chiharu Itagaki illustration:Natsuki Kurachi

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