私たちにもできる、都市の緑の守り方。造園家・矢野智徳さんに聞く自然の再生の話 

再開発による木々の伐採に関する問題がさまざまな場所で議論をされている今、私たちには何ができるのだろうか。人々が暮らす現代社会で見落とされている植物がもたらす機能について着目し、空気や水の通り道を整えることで、疲弊している大地を蘇らせる。そんな新しい取り組みから「環境再生医」と呼ばれる造園家・矢野智徳さんに都市の環境再生について話を聞いた

造園家・矢野智徳さん
矢野智徳プロフィール画像
矢野智徳

やの とものり●1956年、福岡県生まれ。花木植物園を営む家庭で育つ。東京都立大学で自然地理を専攻。1984年、矢野園芸を始める。1999年、元日本地理学会会長・中村和郎氏らとともに環境NPO「杜の会」を設立し、環境改善に取り組む。2017年、一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」を賛同者とともに設立する。現在も環境再生のネットワークと新たな手法の構築を続ける。

水や空気の通り道は塞がれ、大地は呼吸不全を起こしている

目詰まりしている大地の呼吸を取り戻し、自然の循環を蘇らせる——そんな独自の手法で、自然環境の改善に取り組んでいる環境再生医・矢野智徳さん。彼の毎日は超多忙だ。屋久島の森から、静岡・三島の個人住宅の庭まで全国を駆け回り、さまざまな依頼に対応している。6月中旬、静岡県富士宮市で、とある病院の敷地を整備していると聞いて、現場を訪ねた。

「この現場には10年ほど前から来ていて、少しずつ手を入れさせていただいています。もともと院内の敷地は、全部アスファルトで埋められていて植物はなかったんですね。それは周辺地域もほぼ同じで、今、富士宮は街全体が、コンクリートの無機質な空間のようになりつつあります。本来、富士宮は里山で、田んぼや畑が富士山の裾野までつながっていた。それが近年すっかり変わってしまったんです」

そう矢野さんが言うように、富士山をのぞむ絶景のロケーションながら、見渡すと周囲は、ぬくもりの薄れたコンクリートの建物が多い。土埃が舞い、大地が乾いているのが感じられる。

「ある日、病院長の奥さんから電話があり、『コンクリートだらけで気が滅入りそうだ』と。奥さんは都会から嫁がれて、自然の多い昔の風景を知っているだけに耐えがたいものがあったんでしょう。それで病院の敷地に緑を増やすことになりました」

それはコンクリートをはがして、樹木を植える——というような単純な作業ではない。大地の血管である「水」と「空気」の通り道となる"脈"を回復させ、循環型の環境をつくるというのが、矢野さんの技法だ。

造園家・矢野智徳さん
富士宮市の病院の敷地で、この日、行われていたのは、エントランスのスロープの整備。これまでのアスファルトをはがし、アスファルトの混合物に木材チップなどを混ぜた「有機アスファルト」を新たに敷いていく。その手技は繊細だ。「自然の雨風の彫刻にならった作業です。"風化"という現象を観察すると、空気や水が渦を巻きながら物を動かしていくことがわかる。そうした自然の業にならって、アスファルトも敷きならしていきます」

「本来、大地は、水と空気が地上と地下で互いに浸透・循環することで、清らかな環境が保たれてきました。でも、日本では戦後の高度経済成長期に、都市整備を全国津々浦々に行き渡らせ、あらゆる場所にコンクートを張りめぐらせました。都市ではおびただしい数の巨大な重量の建築物が敷き詰められ、とんでもない負荷をかけています。

その結果、水や空気の脈は塞がれ、大地は呼吸不全を起こしています。雨が降れば、山は土砂崩れを起こし、河川は頻繁に氾濫するようになってしまった。経済も物流も誇れる国になったけれど、何かがおかしいと、今みんなが感じているはずです」

造園家・矢野智徳さん
樹木の手入れをする矢野さん。ノコガマと小さな移植ゴテが矢野さんのトレードマークだ

そんな疲弊した大地を、豊富な経験と基礎知識と感性を駆使して再生させていく矢野さんは、「地球のお医者さん」とも呼ばれる。病院の敷地では、「建物の周囲にあった下水管や雨水管が自然の水脈につながるよう整えて、その循環の流れを保全するように植物の根っこや枝葉をつないでいく」という複雑な作業が10年にわたり施された。すると土埃はなくなり、鳥や昆虫がどんどんやってくる心地よい空間に。

「植物があるからというだけでやってくるんじゃないんです。空気が通るようになったからです。みんな気流を感じてやってくる。生き物は正直ですね。そうすると人の気持ちも安らぐんですね。患者さんたちも最初は、『何が始まったのかな』って感じで見ていたけれど(笑)、今では『気持ちのいい空間になったね』と喜んでくれています」

「大地の再生」でよく使われる有機アスファルト
「大地の再生」でよく使われる有機アスファルト。「混ぜ込まれた有機物や隙間に入り込む植物によって水分が保たれて、一般的なアスファルトより表面温度が低く保たれます」

アスファルトの照り返しで街が干上がる中、ここだけが潤いを保ち、吹き抜ける風がサワサワと木々を揺らしていく。

「僕は大学で地理を学んで、地理の先生方に、自然のシステムはミクロもマクロも同じ(相似形)だと教わってきました。小さな庭先でできたことは、都市規模に実用化することも可能なんです」

富士宮市の病院
病院の周囲に茂る樹木。青々として、目にも優しい

自然はがれきを利用して、環境再生を成し遂げている

花木植物園を営む家庭に生まれた矢野さんは、子どもの頃から植物の世話を手伝い、自然と向き合ってきた。大学卒業後も全国を放浪して地域の風土を体感。28歳で造園事業を始めたが、現在のような環境改善の手法に取り組むことになったのは1995年、阪神・淡路大震災が主なきっかけだった。

「兵庫の芦屋の庭園で、被害を受けた桜の木々の環境を再生する樹勢回復作業に参加していました。そのときに作業で出た残土や剪定した枝などを処分するために、災害残渣の埋め立て地に車で行ったんですね。そうしたら捨てるのに1日かかるくらいの長蛇の列で。その膨大な量のがれきを見て、こんなことをしていたら人も社会もおかしくなる、こういうやり方はもうやめなければならないと感じたんです」

そこで新たに模索し始めたのは、雨・風の業にならって、環境再生をはかるというやり方だった。

「たとえば地震や土砂災害で、建物が押し流されたとき、コンクリートの残渣を自然はどう使うのだろうか、と観察しているとよくわかります。復興には何年もかかるだろうと言われていた場所が、半年もしないうちに、見る見る緑に変わっていくんですね。がれきをゴミとはせず、それをまた生かしていく。生態系が相乗的な連鎖を組んで、生き物が呼吸できる表層環境を再生していこうとする力は、人間の想像をはるかに超えています。それを見ていて、『あ、これこそがこれからの環境再生だな』と思いました。これを人間が学んで後押しすれば、大地の再生はより早くなるはずです。そしてこのおびただしいコンクリートの構造物が、緑の息づく岩になるかもしれないんです」

しかし災害残渣を利用して、大地を再生させるというのは、ひと筋縄ではいかなかった。木が腐る。空気が腐る。水が腐る。ガスが出る。施工主の理解を得られず苦労したことも。大学の恩師の地理や土木の教授にアドバイスを仰ぎながら試行錯誤を重ね、今の施工にやっとたどり着いたのは、震災から10年が過ぎた頃。その決め手となったのが「炭」の活用だった。

「空気や水を循環させる緩衝材として、さまざまな人工資材をがれきに混ぜて試してみましたが、どれもうまくいかなくて。行き着いたのが炭でした。植物由来の有機資材である炭だったら、目詰まりしている空気を動かせるんじゃないかと思ったんです。それで炭の研究の第一人者、杉浦銀治先生に会ったら、意見がぴったりと合って、『矢野さん、どこでもついていくよ』と。当時80歳を超える老体に鞭打って、3年間現場につき合ってくださった。おかげで炭の実用化が可能になり、最後のハードルを越えられました」

地球を生き物として見ていない。それが現代土木の盲点です

そんな矢野さんの活動を追ったドキュメンタリー映画『杜人』が、昨年、完成。現在も全国各地で上映会が開かれ、反響を呼んでいる。また、足もとの住環境から奥山の自然環境の改善を実地作業を通して学ぶ「大地の再生」講座も人気だ。多くの人が矢野さんの理念に共感しているのは、昨今の自然異変に危機感を抱いているからだろう。

「人間の体にたとえると、よくわかると思います。脈を塞ぐような状況になれば、たちどころに血流も滞る。それは大地も同じで、コンクリートや巨大な建造物によって、空気や水の循環が滞れば、流域全体が循環不良を起こしていくわけです。でも、人体で起きることを地球に置き換えられないのは、結局、地球を生き物として見ていないから。あくまで無機物として見ているんですね」

「それが現代土木の盲点だと思う」と矢野さんは言う。

「昔の人はそうじゃなかったんですよ。間違いなく、息づきの対象として、ちゃんと大地を見ていた。その痕跡が、古来あらゆる場所の施工に残されていました。その集大成が江戸時代でした。江戸の街は水路が張りめぐらされていたことで知られていますが、河川や池など自然の水路網と、集落や田んぼ・畑につくった人工の水路網が絶妙につながっていて、本来の天然の脈の機能を侵していないんです。自然と人工物が見事に融合していたと思います。

また、江戸を中心に全国をつなぐ街道がつくられ、脈の機能を果たしていました。人や物が動く一方、各地域ごとに文化が生まれ、流域生態系が保たれていた。徳川300年は、循環型社会のお手本だったと思います。だから鎖国も可能だったんじゃないかと。それが明治以降、西洋土木建築の視点が入ってきたことで変わっていった」

植物こそ、この都会の環境を再生してくれる一番の救世主

矢野智徳さんが手がけた兵庫県西脇市にあるアパレルメーカー「tamaki niime」の現場
私たちにもできる、都市の緑の守り方。造園の画像_7
1・2 矢野さんが手がけた兵庫県西脇市にあるアパレルメーカー「tamaki niime」の現場。2が元で、1が現在の様子。コンクリートしかない場所に少しずつ手を加え、木々の根がしなやかに伸びていくよう空気や水の脈が張り巡らされ、植物同士がつながり合っていく環境を整えた。作業の中で地面を露出させるために砕かれたアスファルトやコンクリートの塊も、剪定された枝や炭や土と一緒に混ぜ込まれ埋められ、やがてそれらは天然の岩のような役割を果たす。ただ植栽をするのではなく、大地が再生するよう手を尽くすことで豊かな風景が生まれた。

アスファルトで埋め尽くされた都市を見ると大地の回復には、何もかも壊し、昔の生活に戻るしかないように思えるが、「それは現実的ではない。雨風はそんなことはしない」と矢野さん。

「今や日本は世界に冠たるコンクリート大国です。海岸のコンクリート護岸比率は、世界トップレベルですから。ここまできたら、コンクリートがある中で、生き物が息ができる状態をどうにかつくるしかない。林立するビルの中で、空気や水の脈を通すことをひたすらやっていくしかないと思っています」

夢を語る理想主義者のようでいて、矢野さんは徹底したリアリストだ。

「アスファルトの下は、元の大地なんですよ。コンクリートを全部壊さなくても、大地とつながる脈の機能をちゃんと再生していけば、都市は元の大地とつながることができる。植物がこのコンクリートの中にかろうじて根を張り、元の大地の水脈と息をしながらつないでくれるんです。そうすれば見る見る自然は再生するし、ラジエーター機能も回復してヒートアイランド現象も抑制できるはずです」

富士宮市の病院でもアスファルトを取り除いたのは、建物の周囲のみ。それでも植物は青々と勢いづいていた。

「雨が降れば、コンクリートの上を水が流れます。その水の動きを見ていたら、雨風がどう動きたがっているのかが見えてくる。それで水脈や空気の通り道をつくっていくんです。大事なのは、自然がどういう動きをするのか、自然の業をよく見て観察することです」

たとえば風は直線には進まない。だから矢野さんは、風が吹き抜けるイメージで、ノコガマを軽く回転させるようにして草を刈っていく。

「土砂崩れの土石流もただめちゃくちゃに流れていっているわけではないんです。往復運動と回転運動の渦のエネルギーで、がれきが組み込まれていくんですね。今、考えているのは、僕らがそうやって感覚的にやっている施工を一般化できないだろうかということ。数値化まではできなくても、もっと実用的な形で、誰もができる庭理論みたいなものを構築できたらと。今なら大地の再生は、まだ間に合う。みんなでスクラムを組めば、不可能だと思っていたことも可能になります」

しかしその一方、東京では明治神宮外苑の再開発のため750本近い大木の伐採の計画があるなど、都会の樹木は、依然として危機にさらされている。

「植物こそ、この都会の環境を再生してくれる一番の救世主です。木もただ立っているわけじゃない。人工の構造物とともに育ちながら、脈の機能を育み、環境の循環機能を創造してくれているんです。それを人の都合で伐採するのは、まさに宝物を自ら捨てるようなもの。そのことに早く気づかないと、取り返しのつかないことになります」

時間はあまり残されていない。自然と共存し、大地を守るために、私たちは今何ができるのか。最後に伺った。

「人が一歩譲りながら環境再生をはかっていくのが第一のステップです。そのためにも日常的に自然や生き物や大地と関わって、感覚学習をしていくことが大事です。そうして人としての感性を育んでいくことで、どうあることが"人らしい"生き方なのかということがわかるのではないかと思います」

結の杜基金

矢野智徳さんは新たな取り組みとして、財団法人の設立と「結の杜基金」の創設に着手。より大きな規模での都市部での緑地化および樹木保全のほか人材育成や学術連携の促進を目指している。これまで公園や学校樹木の救済活動や相模川流域改善、上野原里山再生事業などに利用され、支援者には活動が報告される予定。

くにたちみらいの杜プロジェクトメンバーが語る。緑を守る、つなぐこと

小学校の改築工事に伴って伐採予定だった樹木(100本)を救うために発足した「くにたちみらいの杜プロジェクト」。矢野さんと一緒にどう木々を守ったのか。その経緯を聞いた

前田せつ子プロフィール画像
前田せつ子

まえだ せつこ●編集者、映画監督。『辰巳芳子の展開料理』などの書籍を手がける。2011〜2015年、国立市議会議員。初の長編映画『杜人』を監督。

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森田真里恵

もりた まりえ●「〜つづく つながる〜くにたちみらいの杜プロジェクト」共同代表。国立第二小学校に娘二人が通う保護者でもある。

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中谷純江

なかや すみえ●NYの国連本部で紛争地域を担当したのち、昨年、帰国。現在は一橋大学勤務。国立市在住。小3の息子がいる。

木のいのちをつなぎたい。その一心でプロジェクトを発足

2023年4月、東京都国立市の国立第二小学校(以下・二小)の改築工事が着工した。

もともと校庭には、桜や梅、プラタナスやヒマラヤ杉など約160本もの樹木が生い茂り、その豊かな緑が地域の人たちにも親しまれてきた。しかし新校舎建設のため、約100本が伐採されることが、2年前に決定。その中には正面玄関に続く美しい桜並木、約40本も含まれていた。

「二小の桜並木は、卒業式から入学式の頃にかけて見頃で、毎年、見事な花を咲かせます。子どもたちにとっても保護者にとっても思い出深いものでした。それがなくなると聞いて、娘も『どうして?』とすごく悲しんでいたんですね。でも、最初は、伐採の決定を覆すことはできないと思っていたので、伐採された木を使って、桜の思い出を残していこうと考えていました」(森田さん)

老木になった桜は移植も難しいと聞いていた。それが一変したのは、2022年11月、『くにたち映画祭2022』で、映画『杜人 環境再生医 矢野智徳の挑戦』との出合いがきっかけだった。森田さんらは「矢野さんなら救えるのでは?」と考え、まず監督の前田さんに相談。前田さんから「移植できるかもしれない」と聞いたのは2023年に入ってからだった。

「じつは去年、都心の小学校の拡張工事に伴って、隣の公園の木が全部切られることを知り、矢野さんが木々の大引っ越しをしたんです。同じ方法で救える木々があるのではないかと思って、矢野さんに相談したところ、『やりましょう』と言ってくれたんですね」(前田さん)

そこで「なんとか木々のいのちをつなぎたい!」と思いを寄せる人が集まって、4月中旬に急きょプロジェクトが発足した。ゴールデンウィーク明けには桜並木を含む約40本の伐採が迫っていた。

「私の息子は別の小学校に通っているのですが、話を聞いてプロジェクトに参加しました。木を100本伐採して、新しく350本植えると聞いて驚きました。何十年もかけて育ったものを簡単に植え替えるなんて、木を使い捨ての発想で捉えている。それを変えることこそ、環境教育じゃないかと。子どもたちにSDGsを教えておいて、大人がそれでは無責任ですよね。まずは大人が変わらないといけないと思いました」(中谷さん)

しかし教育委員会や工事会社との話し合いは難航。費用は市民グループが負担すると提案したものの、時間がない。

「『僕たちだってできるだけ木は残したいと思っている』と教育委員会は言ってくれるんですけれど、『しかし移植先がない。1本ならやりましょう』と。確かに伐採までは2週間ちょっとしかなく、それまでに約40本の移植先を探すのは難しい。矢野さんの案は、『校庭の空いている場所を仮置き場にして、本移植先はあとから決めればいい』というものでしたが、『校庭にそんなスペースはない』と言われて」(前田さん)

しかし粘り強く交渉を続けるうちに、こちらの熱意が次第に伝わっていった。

「矢野さんは、子どものことを敬意を持って"小さい人"と言うんですね。話し合いの場で、『このプロジェクトの施主は、僕たち大人じゃなくて、小さい人たちなんだ』『小さい人に対して、自分たちが精一杯やったと胸を張って言えるのか』という話をしたときは、その言葉の重みにみんな、泣いていました。そんな中で、教育委員会や工事会社の人たちの気持ちもだんだん変わっていったんです。『可能な限りやりましょう』と言ってくれたときには、みんなで『やった!』って。奇跡のようでした」(中谷さん)

移植作業は、ゴールデンウィーク中の4日間を使って行われ、矢野さんをはじめ、職人やスタッフ、見学者など、毎日100人を超える人が集まった。子どもたちも炭を撒いたり、枝を運んだりと作業に参加し、約40本の木々が救い出された。

「矢野さんが大事にしているのは『結(ゆい)』。人と人、人と自然の結びつきのことですが、今回は、まさに『結』で成し得たことだと思います。木をいのちと考えない人にとっては、人が集まって、必死に作業することにどんな意味があるんだろうと思うかもしれません。莫大な費用もかかっている。でも、教育の現場で、いのちが簡単に見捨てられるようなことが起きるのは避けたかった。いのちの尊厳に対して、私たち大人の姿勢が問われた4日間でした」(前田さん)

ただ残念なことに1本だけ、救えなかった桜があった。重機の入らない場所にあり、どうしても手が回らなかったのだ。

「伐採された桜の写真を『これだけ切られちゃった』と小4の娘に見せたら、横を向いて涙ぐんで、『ああ、こびとの木だ』って言うんですね。その桜の木にこびとが住んでいるという話があって、1年生のときに『こびといるかな?』って、みんなで周りを走りまわっていたらしいんです。私は名もない木だと思っていたんですけれど、子どもたちの世界では大事な木だった。娘はすごくショックを受けていました」(森田さん)

「この話を聞いて、どの木もかけがえのないいのちだと改めて思いました」と前田さんが言うように、木々がもたらす恵みは、単に「緑」というだけでなく、計り知れないものがある。1本は失ったが約40本もの桜を救った意義は大きい。

「国立の小学校で、二小が最初の改築工事だったんですね。今後のことを考えると、ここで頑張ることはとても意味があったと思います。救出した木々の本移植先の交渉はこれから。さらに移植やその後の養生・育成にかかる費用をクラウドファンディングで募ったものの必要額には達しておらず、さまざまな課題があるため、プロジェクトはまだしばらく続きます。仮置き場の桜は、少し弱っている木もありますが、すでに新芽を出している木もある。その新しい芽は、いのちをつなぎたい、という私たちの希望になっています」(前田さん)

くにたちみらいの杜プロジェクト
国立第二小学校の美しい桜並木。「伐採した桜でウッドチップを作って再利用するという話でしたが、いのちをつなぐことができて、本当によかった」(森田さん)
くにたちみらいの杜プロジェクト
「二小の木を残してくれてありがとう」と子どもたちからのメッセージも。プロジェクトのおかげで、いのちは未来へとつながった
くにたちみらいの杜プロジェクト
ゴールデンウィーク中に、移植作業のために集まった矢野さんをはじめとした職人やスタッフたち。「うちの息子は、『ヘルメット姿がかっこいい!!』と職人さんに憧れを抱いていました」(中谷さん)

写真提供:くにたちみらいの杜プロジェクト

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