【ミシェル・ヨー】演技嫌い、大事故、二度の引退……『エブエブ』でアカデミー賞に届いたミシェルの数奇なキャリア

「女性のみなさん、誰にも『あなたは人生の盛りを過ぎた』なんて言わせてはいけません。絶対に諦めないで」。2023年、アカデミー賞授賞式は感動に包まれた。

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Photo:Getty Images

60歳となるミシェル・ヨーが、アジア系として初の主演女優賞に輝いたのだ。マルチバースSF『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下『エブエブ』)で彼女が演じたのは、アメリカでコインランドリーを営む移民のエヴリン。普通の母親だったが、突如「全宇宙を救える存在」と指名されたことで、映画スターやシェフ、ただの石といったさまざまな「別の宇宙の自分」とつながっていく。

「演技嫌い」からアクションスターへ

カオスで独特な映画なわけだが、ミシェル本人のキャリアもまた、一般的なハリウッドスターとは異なる軌跡をたどっている。1962年マレーシアに生まれた彼女は、元々、役者になりたくはなかったのだ。夢見ていたのはバレエダンサーで、10代のころ怪我で断念してからもダンススタジオ開業を計画していたという。一方、舞台でセリフを読むとなると舌が動かなくなるほど緊張してしまうため、演技は大の苦手だった。

しかし、1980年代、母親が勝手に応募したことでミス・マレーシアとなり、CMに出演した流れで映画出演のオファーを授かった。お金を稼ぎたかったミシェルは、広東語も北京語も喋れないにもかかわらず、芸名ミシェル・カーン(またはキング)として香港映画業界に飛び込んだ。そこで目にしたのが、アクロバットな武術俳優の一団。アクション振付とダンストレーニングの類似性を見出した彼女は、当時男性中心だったスタント(アクション等の危険な演技)でキャリアを積むことを決めた。「可哀想な乙女」役を嫌っていたこともあり、スタジオに戦闘役を求めて「おかしい子」扱いされつつも、アクション主演作『レディ・ハード 香港大捜査線』を見事ヒットさせてみせた。

見事女性アクション俳優となったわけだが、数年後、元共演者から「君の演技は上達してない」と言われることもあったという。これに同意するミシェルいわく、当時の香港映画制作は「月曜日に撮影し金曜日に公開」といったスピーディ体制が多く、台本やリハーサルがないことも珍しくなく、役者のセリフは吹き替えだった。1987年公開『チャイニーズ・ウォリアーズ』のスタント事故で動脈が破裂したこともあり、20代半ばのミシェルは結婚を機に俳優を引退してしまう。

二度の引退から世界的スターへ

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円満離婚を経た3年後となる1992年、ミシェルは『ポリス・ストーリー3』でカムバックを果たす。演技の真髄を追求するための復帰だったという。「技巧的にすぐ泣くことができない自分にとって役柄への感情移入こそ重要」だと気づき、共演者ジャッキー・チェンらに助言を求め演技を磨いていった。しかし1996年『スタントウーマン/夢の破片』のスタント中に橋から落下し、椎骨を骨折。半身不随の危機を感じたミシェルは、二回目の引退を決意した。

ここで彼女の意思を変えたのが、今やアメリカを代表する映画監督であるクエンティン・タランティーノだ。『レディ・ハード 香港大捜査線』に魅了されていた彼は、1994年作『パルプ・フィクション』プレミアで香港にやってきたとき、5分だけ得たミシェルとの面会で、ひざまずくように彼女の演技がいかに素晴らしいか熱弁し、しつこく復帰を促したという。心を動かされたミシェルは、前述のアカデミー賞スピーチにもつながる気づきを得た。「私はまだ、演技を諦められていない」。

そこからはグローバルスター、ミシェル・ヨーの時代だ。本名名義で挑んだ1997年の英語作『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』で「女性版007」との喝采を受け、2000年、北京語を暗記して挑んだ武俠映画『グリーン・デスティニー』で英国アカデミー賞の主演女優賞候補となった。2018年には、主人公の姑役を演じたロマコメ『クレイジー・リッチ!』が歴史的な大ヒットとなったことで、ハリウッドで見過ごされてきた「アジア系の物語」の表象旋風を切り開いた。

アカデミー賞はキャリアの集大成

2023年、アカデミー作品賞にも届いた『エブエブ』の魅力について、ミシェルはこう語る。「この作品は、カオスだから感動的なのでしょう。人生というものはカオスで、予想不可能で、浮き沈みがあります。奇妙で荒波のようだからこそ『もうこれでいい』と言わなければいけない時がある」。この人生観は、そのまま、彼女のキャリアにも当てはまるのかもしれない。

ミシェル・ヨーは、アカデミー賞に届くまで、三つの断念を経ている。一度目はバレエの夢、二度目は大怪我による俳優業の引退決意。しかし、幾多もの苦難を後悔しないことが彼女の哲学だ。それらがなければ、現在のキャリアは存在しなかった。

「私は前進をつづけます。人生とは前に進むことだからです。失敗こそ、強さをもたらし、道を教えてくれるのです」

興味深いのは、アカデミー賞の有権者が『エブエブ』のエヴリン役を「ミシェル・ヨーにしかできない演技スキルの集大成」と評したことだ。ある会員は「身体、戦闘、感情の表現が連結されたパフォーマンス」が投票理由だと語り、ほかの会員は「アクションと実験的表現を同時に行う類を見ない技術」だと感嘆した。共演者ステファニー・スーすら、ミシェルの「自我を捨て去る武術の経験」こそ、身を投げ出すようにさまざまな役柄を演じていくアンサンブルを可能にしたと推測している。

もちろん、賞はすべてではなく、絶対的な文化的価値の尺度にもなりえない。それでも、ミシェル・ヨーのアカデミー主演女優賞は、彼女が歩んできた「道」の結実として映画史に刻まれるだろう。

辰己JUNKプロフィール画像
辰己JUNK

セレブリティや音楽、映画、ドラマなど、アメリカのポップカルチャー情報をメディアに多数寄稿。著書に『アメリカン・セレブリティーズ』(スモール出版)

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